客
マスター、こないだね、虹を見たよ
店主
ほう 虹ですか。そういや私も長く見てないですね
客
朝起きてね。天気が気になったから、ベランダに出てみたんだ
客
そしたらね、街に大きな虹がかかっていたんだ
店主
ほう そんなところに
客
それでね、ああ、写真を撮ろうと思って
客
服を着て、カメラを取って、急いでマンションを出たんだ
客
マンションの出口はベランダと反対の方向にあって
客
おまけに高い建物があったから、そこからは虹が見えない
客
ベランダから見えた場所が見えるところまで急いでいった
客
けどね どこにも虹が見えなかった
店主
おや
客
まあ虹は光の現象だからね
客
その短い間に雲が動いたりして、条件が変ってしまったのかもしれない
客
結局、写真に撮ることはできなかったよ
店主
それは残念でしたね
客
それでね 俺ちょっと思っちゃったんだ
店主
何をです?
客
俺の人生もこんな感じだなぁって
店主
ふむ?
客
あのとき、もたもたせずに、がむしゃらに突っ込めたら
客
虹を掴めたのかなって
店主
ふーむ
店主
まあでも、裸で飛出すわけにもいかないでしょ?
客
それは、まあね
店主
それにね、私思うんですよ
客
うん?
店主
写真を撮るのは間に合わなかった、消えてしまったかもしれない
店主
でも
店主
虹を見た記憶はあるじゃないですか
店主
これまでの人生で掴めなかった虹も
店主
全部、お客さんの心に残っているんじゃないですかね
客
……そうかもね
客
マスター、同じものをお代わり
店主
はい、どうぞ
客
乾杯しようか
店主
じゃあ、お客さんの、心の中の虹に
客
乾杯!
店主
乾杯!