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放課後。 完全下校時刻が迫る中、俺と二葉は待ち合わせ場所の体育倉庫へと向かう。
昨日俺と三国が会った場所から北、明学の敷地の外れに位置するこの体育倉庫は、かまくびさんの噂のこともあり、ほとんど近寄る人はいない。
昨日と大して気温は変わっていないというのに、妙に肌寒く感じられる。
一條恭平
二葉桐男
身を震わせる俺に対して、二葉は既に腹をくくっているのか、まるで物怖じしていない。
二葉桐男
二葉桐男
一條恭平
俺がそう問いかけると、二葉は浅く頷く。
二葉桐男
二葉桐男
二葉桐男
一條恭平
二葉桐男
二葉桐男
一條恭平
二葉の提案に、俺はしっかりと頷く。冷静な彼の態度が心強かった。
二葉桐男
一條恭平
二葉桐男
一條恭平
俺は自分がかけている眼鏡をクイッと動かす。今度は俺が事情を話そうとしたものの、
ザッ ザッ ザッ
妙に重い足音。タイミング悪く、三国がやってきたようだ。
一條恭平
二葉桐男
三国綾乃
一條恭平
三国がドサリと落とした大きなバッグに、俺と二葉は眉をひそめる。
やや使い込んだ雰囲気のゴルフバッグだ。表面がボコボコと、不自然に膨らんでいる。
三国はサイドポケットのチャックを開けて、黒のネックウォーマーを2つ取り出した。
三国綾乃
そう言って1つずつ、俺達に手渡してくる。よく見れば彼女も既に首に着けている。
三国綾乃
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
俺の疑問を流しながら、三国はメインポケットのチャックに手をかける。
じいっと引っ張ると、ドミノ倒しのようにガシャガシャと、中身がこぼれ出てきた。
中身はゴルフクラブ……に加え、金属バット、木刀、果てはバールや鉄パイプまで。
カチコミに向かうヤンキーが使いそうな物々しい武器が詰め込まれていた。
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
三国は怪訝な表情で俺の方を見る。彼女が持ってきた装備は、明らかにかまくびさんとの対決を予想した物だ。
一條恭平
三国綾乃
三国綾乃
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
予想だにしてなかった別案の内容に、俺は閉口する。
いかにも聡明な彼女の雰囲気から、俺なんかじゃ想像もつかないような秘策があるのかと勝手に思い込んでいた。
昼間の図書館での騒ぎと言い、彼女は見かけに反して結構良い度胸をしているらしい。……どっちかと言えば俺もそうだが。
二葉桐男
三国綾乃
皮肉っぽい二葉の問いかけも意に介さない。適当な三国の態度に、俺は少し不安になる。
それを見透かしたのか、三国は安心させるように柔らかく声をかけてきた。
三国綾乃
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
三国綾乃
三国綾乃
二葉桐男
俺の代わりに二葉が答える。『だと思うわ』と三国が頷く。
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
三国綾乃
三国綾乃
三国は俺と二葉に向けて両腕を差し出す。
三国綾乃
一條恭平
未だ半信半疑ではあるが、ひとまず三国の言葉に従う。
俺が黙って二葉に右手を伸ばすと、彼も黙って手を繋いだ。
三国に対しては少し躊躇したものの、決心して同じように左手を繋ぐ。
…………………………
一條恭平
二葉桐男
三国綾乃
三国綾乃
三国綾乃
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
三国綾乃
一條恭平
確かに意識を無にはできそうだが、霊視や霊感なんて分野とは対極に位置していそうな手法だ。本当に効果はあるのだろうか。
一條恭平
俺は2人と手を繋いだまま、ゆっくりと目を閉じて、脳内で計算を始める。
一條恭平
33……11×3……34……2×17……35……7×5……
36……4×9……2の2乗×3の2乗……37……素数……38……2×19……39……3×13……
素因数分解を続けていく中、俺はじんわりと、ある不自然な感覚を覚える。
一條恭平
冷気を感じた。それも指先の内側から。
血管を通る血液だけが、急速に冷やされていくような、そんな感覚が両手の指先から伝わってくる。
特に左手──三国と繋いでいる方の手は冷たい。対して右手、二葉と繋いでいる手は冷えが甘い。
一條恭平
初めて味わう奇妙な冷たさに、俺が少し戸惑った時、
一條恭平
俺は目を見開いた。 今、確かに視えた……。そして聞こえた。
心の中に、直接テレパシーか何かで伝わるように、小さな『何か』が浮かび上がってきたのだ。
二葉桐男
二葉の方を見ると、俺と全く同じように、驚いた様子で目を見開いていた。額から一筋汗が流れている。
三国綾乃
三国は既に俺達から手を離し、考察するように腕を組んで深く考え込んでいた。
一條恭平
二葉桐男
三国綾乃
三国綾乃
3人で印象を話し合ってみるものの、はっきりとした答えは出てこない。
視えたのは一瞬だったし、小さすぎてロクに判断もできなかった。
ただ、はっきり言えることがひとつだけある。たった今視た『何か』は、今にも息絶えてしまいそうな、弱々しい声で……
一條恭平
俺がそう口にすると、2人ともすぐに頷いた。あの小さな『何か』が、助けを求めていたのは間違いなかった。
二葉桐男
二葉の言葉に、今度は俺が浅く頷く。
やはり、さっきの感覚は、霊感が高まった証らしい。
そして俺達は全員、同じ霊が視えていたようだ。外見からではなんの霊かはまるで想像がつかないが、思い当たる人といえば……
一條恭平
二葉桐男
二葉桐男
三国綾乃
一條恭平
耳の奥にこびりついている悲痛な声に、俺は胸が痛む。
恋人に殺された女子生徒は、数十年間もの間、この高校のどこかに埋められたまま、助けが来るのを待ち続けていたのかも知れない。
三国綾乃
二葉桐男
意気込む三国をよそに、二葉は若干躊躇しながら彼女に尋ねる。
二葉桐男
二葉桐男
一條恭平
女子生徒の下腹部以外の遺体は、事件発覚直後に警察によって掘り起こされている。当然、検視や解剖の後に手厚く葬られたはずだ。
凄惨な事件ではあるが、既に彼女の供養は済んでいるはず。なのに今もなお、魂がこの地に留まり続けるものなのだろうか?
三国綾乃
三国綾乃
三国綾乃
二葉桐男
二葉桐男
二葉はきっぱりと言い切る。中学三年間、新聞部としてこの学園に関わってきた彼ですら知らないのなら、恐らく今まで誰も見たことはないだろう。
とはいえ、ここで議論を重ねても埒が明かない。
一條恭平
三国綾乃
三国綾乃
三国がそう言いながら、足早で置いてあったゴルフバッグの元へと歩き出した、その時だった。
『いやあああああああ!!』
一條恭平
突如聞こえてきた悲鳴に、俺たちは一斉におののく。
二葉桐男
一條恭平
聞き覚えのある声色。間違いない、昨日俺と三国が出会った、上級生たちの一人だ。
三国綾乃
三国はすぐさま走り出す。 俺と二葉は一瞬だけ躊躇したものの、意を決して彼女の後を追った。
声の在り処は中庭。昼休みは生徒たちが行き交っていたこの場所も、完全下校時刻を過ぎた今は、人気が消え失せている。
すでに稼働を終えた噴水のそばに、人影が3つ。昨日の上級生たちかと思いきや、1人は違った。
三国綾乃
女子生徒
取り乱した様子で、先行していた三国にすがりよるのは、昨日上級生達に絡まれていた女子生徒だった。
三国綾乃
女子生徒
彼女の混乱ぶりはただごとではない。近くに駆け寄って、地面に倒れ込んでいる2人の女子生徒を見て、その理由を察する。
女子生徒B
女子生徒C
上級生2人が、自らの首を抑えてのたうち回っていた。薄暗がりの下でも見て取れるほど、顔が真っ赤に怒張している。
大きく開けて、ぜんそくの発作のような荒くかすれた呼吸を何度も繰り返しているが、ほとんど酸素を取り込めていないようだ。
一條恭平
三国綾乃
三国綾乃
三国が指を向けた先には――誰もいない。
一條恭平
俺は意を決して、メガネを外す。
さっきまで何もなかった場所に、蜃気楼のように薄ぼんやりとした、黒い人影が現れた。この暗がりでは、注意を払わなければ見逃してしまうほどの薄さだ。
おぼろげな輪郭は、頭部が人間ではありえない角度でぐにゃりと曲がっている。
二葉桐男
桐男が小さくつぶやく。彼にどこまで視えているのか微妙だが、いることだけは分かっているようだ。
三国綾乃
女子生徒
三国綾乃
三国は皮肉交じりに吐き捨てる。
三国綾乃
三国が指示を出すと、二葉はすぐにしゃがみ込み、倒れている上級生の一人を持ち上げる。
女子生徒
二葉桐男
女子生徒
女子生徒は事態が飲み込めていないものの、二葉の呼びかけに応じて、もう一人の方をなんとか背負いあげる。
だが……2人が立ち上がった瞬間、
──邪魔をするな──
一條恭平
酷くくぐもった声が響いた。
中身が詰まったアルトリコーダーから無理に低い音を出しているような、そんな不協和音。
声の方に視線を向ければ、先程はおぼろげだった人影が、はっきりと輪郭を持ち始めている。
三国綾乃
いつの間にか左隣に立っていた三国が、すっとこちらに手を伸ばす。
一條恭平
レベルの低い冗談で返しながら、俺は左手で握り返した。
一條恭平
三国の手に触れた瞬間、影は一気に実体化する。
露になった奴の姿を、湧き上がる恐怖を抑え、注意深く観察する。
薄汚れた作業着の下から、土気色の肌が覗く。全身から人ならざる者の雰囲気が放たれているが、身体の造形はそう人から離れてはいない。
だが……頭部は最早、人の形を留めていない。 首から折れ曲がっているのもそうだが、打撲を受けたであろう右目を中心に、頭部全体がいびつなまでに膨れ上がっている。
両目は塗りつぶされたような黒に染まり、その中にただ一点、光る赤が俺たちを見据えていた。
ねじれた息遣いが聞こえてくる。あの息も先程の奇妙な声も、気管が潰れているためにそうなっているのだろう。
三国綾乃
二葉桐男
三国が促すと、重い足音を鳴らしながら、二葉と女子生徒が上級生を背負って離れていく。それと同時に、
退け
と再びくぐもった声。
三国綾乃
三国綾乃
三国が柔らかく口を開く。ノートの記事に乗っていた、殺された用務員の名前でかまくびさんに呼びかける。
三国綾乃
三国綾乃
三国綾乃
三国は冷静な口調で、かまくびさんに説得の言葉を投げかける。
三国綾乃
三国綾乃
かまくびさんは、何をするでもなく、ただ黙って立ち尽くしている。
もしかしたら、届いているのか……? 俺はそんな淡い希望を抱く。
だが……
黙れ
かまくびさんは、すーっと両方の腕を前方にあげた。
恐ろしい形相と相まって、ゾンビかキョンシーのような雰囲気を見せたと思った瞬間……。
ヒュゴッ──!
風を切る音と共に、黒い2つの影が飛んでくる。
一條恭平
避ける暇もなく、べたりと嫌な音を立てて、2つの影は俺と三国の首に張り付いた。
一條恭平
ミシィ……と嫌な音が顎の下で鳴った。だが、特に痛みや息苦しさは感じない。
一條恭平
まさに九死に一生だ。ネックウォーマーの中の御札が、かまくびさんの呪いを跳ね除けてくれているのだ。
一條恭平
三国綾乃
右の太ももの裏に、細長い何かが2つ、コンコンとぶつかる。
空いている右手でそれに触れると、固くて冷たい感触が返ってきた。
金属バットとバールだ。 三国は走る前に、自分が持ってきた武器の中から抜き取っていたのだ。
一條恭平
三国綾乃
俺たちは小声で話し合う。
ひた……ひた……
かまくびさんはゆっくりとこちらに近付いてきている。心なしか少しだけ動揺しているようにも見えた。
恐らく、俺たちの首に手応えがないことを訝しんでいるのだろう。御札のことがバレたらまずい……!
俺は金属バットをチョイスし、かまくびさんにみえないように右足で隠しつつ、グリップをしっかり握りしめた。バールは離れていく。
三国綾乃
一條恭平
俺はかまくびさんとの間合いを図る。
あんなに折れ曲がってる所を殴るなんてオーバーキルも良いとこだが、交渉が決裂した以上、容赦はしない。
ひた……ひた……
かまくびさんはあと数メートルかというところにまで迫る。その時、にいっと笑ったまま固まっていた口が、はっきりと歪んだ。
何を着けている
気付かれた……! 直後、
三国綾乃
三国の掛け声。俺は彼女の右手をしっかりと握ったまま、勢い良くバットを振りかぶった。
ガキィッ!!
一條恭平
三国綾乃
衝撃。
腕全体に広がる痺れに、俺と三国は同時に悶える。
命中したのは、お互いの獲物の先端。かまくびさんの身体をすり抜けてしまったのだ。
一條恭平
バットとバールを貫く、かまくびさんのおぼろげな身体に、俺は悪態をつく。
う……ああ……!
一條恭平
ここまでか……と思った矢先、突如聞こえてくる唸り声に動揺する。
かまくびさんはじりじりと後ずさりながら、俺達の『何か』におののいていた。膝を細かく震わせ、折れ曲がった首の根本を手で抑えている。
来るな……来るな……!
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
俺は記事の内容を思い出す。奴にとってこのバットは、死してなお記憶から消せない恐怖の象徴なのだ。
奴が怯えている今がチャンスだ。ただどうすればいい? 視えはすれど触ることは敵わないのだ。俺達からは何も手出しはできない。
一條恭平
三国綾乃
三国はバッと俺の左手を振りほどく。その瞬間、眼の前に立ちはだかるかまくびさんの身体は急速に薄らいだ。
過去のトラウマに苦しむ奴を置き去りにして、俺と三国は逃げ去った。
一條恭平
三国綾乃
下駄箱に背中を預けて、荒い呼吸を繰り返す。握りしめていたバットのグリップに、じっとりと汗がにじむ。
かまくびさんの元から逃げ出した俺達は、校内の敷地を走り回り、生徒棟の中に逃げ込んでいた。
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
こんな危機的状況にもかかわらず、俺の下らない冗談に三国はきっちり返してくれる。
割と親近感を覚えるものの、今ふざけたところで現実逃避にしかならない。真面目に対処法を考えなければ……。
一條恭平
一條恭平
三国綾乃
三国綾乃
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
俺は携帯を取り出し、二葉に向けたメッセージを作成し始める。
昨日の放課後に連絡先を交換したばかりだが、まさか初めて送るのがこんな救助要請だとは思いもよらなかった。
現在地と俺たちの考え、そして二葉の力が必要なことを伝え、戻ってきてもらうように書いた。すぐさま送信した。
だが……送信する直前で、指が止まる。
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
一條恭平
三国綾乃
三国は手に持つバールをこともなげに持ち上げる。
さっきはなんとかしようと必死だったが……冷静に考えれば、不意を突いて奴の首を狙うなんて、明らかに殺しにいく提案だ。
一條恭平
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
俺の言葉を遮って、投げやりな態度で言い放つ。
三国綾乃
三国綾乃
下駄箱にもたれかかり、どこか諦めの感情を含ませながら、彼女は淡々と呟いた。
言葉の裏に、忘れることも乗り越えることも出来ない、さびついた何かがこびりついているような雰囲気を感じた。 ……詳しく聞かない方がいいだろう。
一條恭平
俺は二葉にメッセージを送った。彼も手を汚す覚悟があるなら、来てくれるだろう。
だが……すぐに駆け付けてはくれまい。上級生たちを救急車で運んでから、あの女子生徒を安全な場所まで連れていくとして……急いでも2、30分はかかるのではないか。
一條恭平
ひたひた……
一條恭平
甘い考えは一瞬で打ち砕かれた。あの足音は……。
……ふざけるな……
ひたひた……
……お前が悪いんだ……
張り付くような足音と、押し潰れた恨み節が聞こえてくる。
音の方向は、昇降口の方。まだ校舎には入ってきていないが……こちらに伝わる怨念は、さっきの比じゃない。
ひたひた……
──お前が悪いんだ──
一條恭平
三国綾乃
ひたひた……
──あの子が悪いんだ──
一條恭平
ひたひた……
──俺は悪くない──
ひたひた……
……音は少しずつ、遠ざかっていく。
やがて完全に聞こえなくなった頃、俺と三国は同時に息を吐いた。
三国綾乃
一條恭平
身体のこわばりが少しずつ解けていく。
どうして中に入ってこなかったのか……理由は分からないが、ここで考え続けるのはまずい。
一條恭平
三国綾乃
俺たちは音を殺して立ち上がり、廊下の方へ歩いていく。
廊下を歩いている途中に、三国が口を開く。
三国綾乃
一條恭平
奴が昇降口を通り過ぎる際に、呪詛のように呟いていた言葉は……。
『お前が悪いんだ』
『あの子が悪いんだ』
『俺は悪くない』
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
俺は浅く頷いた。
『お前』『あの子』……。かまくびさんが指していた2人の人物は、一体誰と誰のことなのか。
三国綾乃
三国綾乃
一條恭平
お互い疑問点を話し合うものの、明確な回答は得られない。
かまくびさんのあの言い方……まるで、自分の非を一切認めず、正当化に終始しているようだった。逆説的に考えれば……。
一條恭平
パッ
一條恭平
三国綾乃
俺たちが階段まで差し掛かった時、突如踊り場の方から強い光で顔を照らされ、視界が真っ白になる。
警備員
間髪を入れずに、叱責を浴びせられる。
はっきりとしていく視界に映し出されるのは、階段を足早に降りてくる、懐中電灯を手にした若い警備員の姿。夜間の見回りに来たのだ。
警備員
一條恭平
俺はにわかに焦りだす。今騒いだらかまくびさんに見つかる……!
三国綾乃
警備員
三国は警備員に毅然とした態度で迫る。
三国綾乃
警備員
やってしまった、という表情で警備員が口をふさぐ。次の瞬間、彼は態度を180度変え、ペコペコと謝りだした。
警備員
三国綾乃
警備員
一條恭平
厄介事にまきこまれたくないから、今まで彼女の妙なところはスルーしてきたが……ここまでデカい顔ができるとなると、いよいよおかしくなってくる。
一條恭平
三国綾乃
ガシッ!
警備員
突如、警備員のひしゃげた叫びが響く。俺は目の前の光景に目を疑った。
うめきの原因は、彼の首。黒い影が……彼の首に張り付いている。
腕の根本は、壁だ。どす黒く染まった2本の影が、廊下の壁から突き出していたのだ。
警備員
警備員は反射的に首の手を引き剥がそうとするが、強力な磁石のようにびっちりと張り付いたそれは、全く剥がれそうにない。
めり……めり……
影が上に傾き、警備員は首吊りのごとく宙に吊り上げられた。
彼は両足をばたつかせ、必死に抵抗するものの、間もなく意識を失い、だらりと全身を弛緩させる。
お前だ
その言葉と共に、影は少しだけ薄らいだ。警備員は地面に倒れ込み、がくがくと身体を痙攣させる。
三国にパッと左手を掴まれた。その瞬間、薄らいだ影はくっきりと、輪郭を備え……忌まわしきあの腕に変わる。
腕が廊下の壁から伸びてくる。扉も穴も、何もないただのコンクリートから、這い出るように――
お前が悪いんだ
大きく見開かれた目が、ぎろりとこちらを睨んだ。
先程奴が昇降口を通り過ぎた理由が分かった。『通る必要がない』からだ。
どこでも通り抜けられるのなら、わざわざ俺たちが警戒していそうな所を通過する必要はない。怪しいと思った方向へ、壁や地面を通って向かえばいい。
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
三国綾乃
俺と三国は手を繋いだまま、じりじりと後ずさる。
悪いのは お前だ
その言葉と共に、かまくびさんはぬうっと両腕を上げる。
一條恭平
ズオッ
風を切る音と共に、再び黒い手が飛んだ。
一條恭平
俺と三国は頭を振り、迫りくるかまくびさんの手を紙一重で避ける。
ビタンッ!!
俺の右斜め後方で鈍い衝撃音が鳴った。
振り返ると、窓の下の壁で、かまくびさんの手が2つのたうち回っている。俺と三国に命中しなかった手が壁に激突したのだ。
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
向き直した俺が目の当たりにしたのは、高々と振り上げられた、手首。
かまくびさんが目の前に迫り、手がない状態の左腕を俺の頭に振り下ろしてきていた。
お前のせいだッ!!
殺意にまみれた声が爆ぜる。
俺はとっさに持っていたバットをかかげ、奴の左腕を受け止める。
鈍い音が弾け、右手に衝撃が伝わった。直後、三国に左腕を引っ張られ、俺たちはかまくびさんの元から退避する。
三国綾乃
一條恭平
俺達は警備員の近くまで退避する。
悪くない
俺は悪くない
正当化の言葉を吐き続けながら、かまくびさんは俺達に向き直る。
のたうち回っていた手は、突然すうっと床の下に沈む。そしてかまくびさんの足元の床から現れ、奴の手首へと返っていく。
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
一條恭平
三国綾乃
僅かな希望が見付かったが、手放しには喜べない。人一人を持ち上げられるほどの力で締められたら、攻撃どころではないだろう。
つまり、最初にかまくびさんの手を避けた後、奴が回収する前に手を叩く必要がある。
俺と三国はかまくびさんから一定の距離を保ちつつ、じりじりと階段から離れ、廊下の方へと移っていく。
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
十数メートル離れた位置で、俺達は深く腰を落とし、かまくびさんの攻撃に備える。
お前が悪いんだ
かまくびさんは再び、両腕をすっと上げる。
一條恭平
ブワッ……!
一泊間を置いた後、予想通り両手を飛ばしてきた。
もう2回も見慣れているうえ、今回は距離も遠い。
恐ろしげな雰囲気の奴の手も、余裕を持って間合いを図れる。
一條恭平
フッ──
一條恭平
俺は目を疑った。 突如、2つの手が、紐で引っ張られたようにガクンと下に落ちたのだ。
一体何を――奴の思惑を察する暇もなく、
ズドン!
一條恭平
三国綾乃
鈍痛が腹に、そして全身に響く。俺と三国は同時にえずいた。
痛みと吐き気で頭が垂れる。下がった視界に映るのは、俺の腹に深々と突き刺さった、黒い手……いや、拳。
奴は、軌道を変えやがった……! 飛ばす途中で鋭く下に曲がり、そのまま俺たちの腹に強烈なボディーブローを浴びせたのだ。
一條恭平
痛みに耐えきれず、俺たちは膝を突いてかがみ込む。奴はその隙を逃さなかった。
ガシッ!!
一條恭平
視界が黒一色に染まり、土と腐敗臭の混ざった、すえた臭気が鼻一杯に広がる。
ざらざらとした冷たい肌触りに加え、左のこめかみ、そして顔面と右の側頭部全体に、重い痛みと圧迫感が走る。
奴はすぐさま手を浮かせ、今度は俺の顔面にアイアンクローを放ってきたのだ。
ぎりぎり……
指先の一本一本が俺の皮膚に食い込み、頭蓋骨をきしませる。
一條恭平
三国綾乃
耐え難いほどの痛みに俺達は悶える。指の隙間から、同じように顔面を掴まれた三国が、頭を降ってのたうっている様が見える。
俺は反射的に三国の手とバットから手を離し、顔面に張り付いたかまくびさんの手を掴む。
顔と奴の手の間に指を差し込み、必死に引き剥がそうとするが、強力な磁石のように手は密着してしまっているうえ、痛みで力が出せない俺にはまるで離せない。
悪いのは お前たちだ
ぎり……ぎり……!
廊下の奥から恨み節が聞こえてくる。顔面の痛みは刻一刻と強まっていく。
奴は首を絞めるのを諦め、このまま俺たちの頭蓋骨を破壊するつもりだ……!
一條恭平
強まる痛みをこらえて俺は立ち上がる。
奴の手が実体化している今なら、俺たちの方からも奴の手になんらかの干渉ができるはずだ。
直接力では引き剥がせない以上、どうにかして奴の力を削ぐしかない。
だがどうやって……!? 床にはさっき落としたバットが転がっているが、これで殴ったところで、衝撃の大部分は俺の頭に伝わるだけだ。
一條恭平
痛みで今にも頭が割れそうになる中、俺は必死に周囲を見回す。何か、何か奴の手だけにダメージを与える手段は……!
その時、俺の目に留まったのは――
これだ……!
俺はやっとの思いで立ち上がり、がむしゃらに走った。
一條恭平
ガシャアン!!
そのまま顔面から窓ガラスに突っ込んだ。ガラスは金切り声をあげてあっけなく砕け散り、中庭の芝生に破片が飛び散っていく。
奴がひるんだのか、痛みと圧迫感が少しだけ弱まる。俺はその隙を逃さない。
窓枠には、吹っ飛ばなかったガラスの破片がいくつか残っている。これを使えば……!
両手で突っ張り棒のように窓枠を掴んだ俺は、頭を後ろへ勢い良く振りかぶり、残っていた破片に向けて、頭突きを繰り出した。
ザクッ!!
ぐあぁぁぁぁあ!
肉をえぐる音の直後、野太い叫びが響いた。腐臭で満たされていた鼻腔に、鉄の匂いが一挙に流れ込む。
もう一度頭をふり被ると、窓枠のガラスは黒く濁った血でてらてらと光っている。俺の頭突きによって、かまくびさんの手の甲に、ガラスの先端が突き刺さったのだ。
や……止めろ……!
苦痛に満ちた声が奴の方から届く。効いてる……!
一條恭平
ここぞとばかりに、俺は窓枠のガラスへの頭突きを何度も繰り返す。
顔面をぶち当てるたびに、肉の裂ける音と黒ずんだ血がほとばしる。
鉄臭さがどんどん増していき、反比例するように頭を掴む力は弱まってく。
そうこうしているうちに破片が全て砕け、窓枠の下が綺麗に空いてしまった。
これで終わり?
な訳ねえ!!
一條恭平
ガシャアアアアアン!!
がぁぁ゛あ゛ぁ゛ああ゛あ゛!!
俺はすぐさま隣の窓に移り、頭突きでガラスを粉砕する。そしてもう一度破片に奴の手をぶつける。
だが、2枚めの窓ガラスに、3回目の頭突きを放った途端、
ザクッ!!
一條恭平
鼻の横に鋭い痛みが走る。破片の先端が俺の顔に突き刺さったのだ。
一條恭平
俺が頭を持ち上げると、ずるりという生暖かい感触と共に、奴の手が離れていった。
ひときわ大きなガラスの破片に、血まみれになったかまくびさんの左手が浅く貫かれていた。
あちこちに細かい破片が突き刺さり、ひたひたと血が流れ出る。死にかけのクモのように、指がうねうねと空中をもがいていた。
ああ……うああああ……!!
苦しむ声が響く。声の方を見ると、かまくびさんが苦悶の表情を浮かべながら、こちらにゆたゆたと近付いてきている。
一條恭平
一條恭平
俺は辺りを見渡す。彼女は、直前に見た時よりずいぶん遠い位置で、立ったまま懸命にもがいていた。
苦しむかまくびさんを一旦放置し、俺は彼女の元へ走り寄る。
一條恭平
三国綾乃
彼女は今もなお、顔面に張り付いたかまくびさんの右手と格闘していた。
俺が左手に与えたダメージが効いているのか、なんとか抵抗はできているようだが、完全には剥がしきれていない。
俺は手の甲側から奴の手を掴み、三国と力を合わせて無理やり引き剥がした。
こっちはまだまだ余力が残っているようだ。指をじたばたと激しく動かし、もう一度掴もうとしてくる。
一條恭平
そう言いかけた時に、三国が取った行動に、俺は目を疑った。
三国綾乃
三国は張り付いていた手を忌々しくにらみつけると、口をかっぱりと、大きく開く。そして――。
ガブッ!!
一條恭平
三国はなんと、自分からかまくびさんの手に頭を寄せ、奴の手――正確には人差し指・中指・薬指の第二関節辺りに、かじりついた。
何やってんだ、離せ――! そう俺が止める暇もなく、
ズチィッ!!!
ぎやああああああああ!!
おぞましい断裂音。ほとんど同時に、かまくびさんの絶叫が廊下中に響いた。
三国は……かまくびさんの指を食いちぎったのだ。俺があっけにとられている間に、今度は奴の小指に、それも根本からかぶりつく。
ブチッ!!
あがあああああああ!!
鬼気迫った表情で、三国はもう一度指を食いちぎる。悲鳴が再び木霊する。もはやかまくびさんのまともな指は親指しか残っていなかった。
更に親指にも噛みつこうとしたところで、俺は慌てて彼女を止める。
一條恭平
三国綾乃
俺はかまくびさんの右手を三国から無理やり取り上げた。
俺がガラスで滅茶苦茶に痛めつけた左手より、さらに悲惨な状態になっていた。実に4本もの指が噛みちぎられ、だらだらと止めどなく赤黒い血が流れ出る。
断面からは肉片と、黄ばんだ骨がむき出しになる。もはや動かす気力がないのか、親指がわずかに震えるだけだ。
一條恭平
三国綾乃
三国は廊下の端に駆け寄り、血まみれになった口から、食いちぎった4本の指を、吐瀉物と血液と共に吐き出した。
追い詰められていたとはいえ、人の指を食いちぎるとは……ある意味、こいつも恐ろしい。
一條恭平
俺はかまくびさんの右手を振りかぶり、向こうの廊下へと勢い良く放り投げた。これでもう、回収はできまい……!
ベチャッ!
???
一條恭平
奥の方で聞こえた驚きの声に、俺ははっとする。この声は……!
一條恭平
二葉桐男
小走りで駆け寄ってきたのは二葉だった。来てくれたのか……!
一條恭平
二葉桐男
三国綾乃
俺と三国が手を差し出すと、二葉は恐る恐ると言った様子で手を掴む。そして三国の方を見てまた驚く。
二葉桐男
三国綾乃
良いから行くわよ、とばかりに、三国は俺たちを引っ張っていく。いよいよ奴と決着をつける時だ。
かまくびさんは既に戦意を喪失し、俺たちから背を向けて、這いずるように遠ざかっていた。
だが、奴本人の動きは酷く鈍い。途中で落としたバールとバットを回収しつつ、俺たちはどんどん歩み寄っていく。
俺は歩きながら、試しに二葉の手を離してみた。するとかまくびさんの身体は黒くぼやける。手を繋ぐと、また鮮明に視える。
やはり、実体化していたのは手だけだったようだ。俺と三国だけだと、視えはしても触れなかったが……二葉も加わった今なら、イケるのか?
鎌田裕太
奴から漏れ出る弱り声は、不思議と禍々しい雰囲気が失せていた。背中からも弱々しさがにじみ出ており、もはや恐怖は感じられない。
二葉桐男
三国綾乃
三国はこともなげに言い放つ。高鳴っていた鼓動が落ち着くに連れて、奴の輪郭がますますはっきりしていく。
二葉の言う通り、もはや普通の人間と見た目の大差は無くなっていた。折れ曲がった首と、消失した両手を除けば、だが……。
鎌田裕太
かまくびさん……いや、鎌田裕太は、満身創痍の身体で立ち上がり、なおも俺たちに襲いかかってくる。
鎌田裕太
鎌田はよたよたと近寄り、右手の無い腕を三国に向かって高くかかげる。
一條恭平
俺は声を張り上げた――だが、心配はいらなかった。
バチンッ!
緩慢な速度で振り下ろしてきた鎌田の腕を、綾乃はバールで受け止める。
三国綾乃
三国は手首を切り返して、バールで鎌田の腕をはたき落とす。
鎌田裕太
鎌田は弾かれた手首を痛そうに震わせる。歯をぎりぎりと鳴らして、数歩後ずさったあと、
鎌田裕太
悔し紛れとばかりに、今度は俺に向けて、左腕を真横に振るってくる。
一條恭平
俺は金属バットを短く持ち直し、裏拳の要領でバットを力強く振るった。
バチィッ! ガンッ!
鎌田裕太
バットに弾かれた鎌田の左腕が、廊下の壁にぶち当たる。奴は情けないうめきをあげながら、左腕を震わせる。
両手が失せた奴は、もはや俺たちの相手ではなかった。奴の攻撃には覇気も速さもなく、見てからでも充分対処できる。
三国綾乃
三国はバールを顔の前に構えて、真っ直ぐ奴を見据える。
三国綾乃
二葉桐男
俺の左手がぎゅっと握り締められた。二葉の手のひらから、彼の体温が伝わる――
――いや、伝わらない。むしろ逆だ。
体育倉庫で霊視をした時と同じ、血液が冷やされるような冷気が、二葉と握っている左手から伝わってくる。
一條恭平
鎌田裕太
鎌田はついに抵抗を諦め、俺たちから必死に逃げようとするも、足がもつれて、どたりと情けなく倒れ込む。
鎌田裕太
狂ったように正当化を繰り返す奴の頭に、三国はバールを高く掲げ……
一気に振り下ろした。
ゴシャッ!!
骨を砕く音が響き、赤黒い血とすえた臭いが飛び散り、
奴の言葉は、それきり止んだ。
肉塊と化した頭部から、俺はバットを持ち上げる。
質の悪いオイルのような、粘り気のある血液が、バットの先端からひたひたと滴っている。
……が、突如としてそれは薄れ始める。
血液だけではない。いびつに凹んだ奴の頭部が、折れ曲がった首が、小汚い身体が……急速に薄らいでいく。二葉とはしっかり手を握っているのに。
二葉桐男
一條恭平
薄らいでいく奴を見ながら、二葉がそっと呟く。
やるせなくなった俺は二葉から手を離す。じわじわと、今更ながら後悔の気持ちが湧き上がってきた。
一條恭平
三国綾乃
一條恭平
二葉から手を離した三国は、俺達の前に向き直り、つらつらと話し始めた。
三国綾乃
三国綾乃
三国綾乃
二葉桐男
二葉はハッとした表情で考え込む。
三国綾乃
一條恭平
三国綾乃
一泊間を置いて、三国は静かに告げた。
三国綾乃
三国綾乃
一條恭平
衝撃を受けた俺は、反射的に視線を落とす。
だが、転がっていたかまくびさんの身体は、既に跡形もなく消えてしまっていた。