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2019/06/12
昨日、僕は眠れなかった。 部屋の中で転がり回りながら、何度もあの子の顔を思い出した。 人形のような、あの笑顔を。 彼女の存在が、僕の心の奥底に眠っていた 決して触れてはならない領域を刺激する。 僕は、彼女の無垢さに惹かれながら、同時に、その無垢さを汚してしまうのではないかという恐怖に常に苛まれている。 そして今日も、僕は同じ時間に図書館へ行った。 昨日と同じ場所に、その子は座っていた。 何も変わらない、白いシャツ。灰色のスカート。 空気だけが、やけに湿っていた。 遠くで雷鳴が聞こえた。 「……また、いるんだ」 自分でも、なぜそんなことを口走ったのかわからなかった。 あの子は小さく笑った。 声は出さない、それは出せないのか、出したくないのか分からないが それでも、たしかに笑っていた。 僕はためらいながら、隣に座った。 「名前、聞いてもいい?」 あの子は一瞬、きょとんとした顔をした。 それから、無言で机に広げられた小説を一冊手に取って「隣で死なせて」というタイトルの頭文字に指を差した。 「隣?…ふざけてる?」 彼女は首を横に振る 「隣…って、りんってこと?りんちゃん?」 もう一度聞くと彼女は首を縦に振って 「りんちゃん」とだけ言った。 それきり、ふたりとも黙った。 蝉の声だけが、耳を圧迫するように降ってきた。 夕立の匂いが、じわりと空気を湿らせていく。 どれくらい時間が経っただろう。 ふいにあの子が、僕のほうを見て半袖の裾をくいくいと引っ張った。 なんだ?と首を傾げると、彼女は再び小説を取ると、パラパラっと開いて 「見、て」 文字に指を指していった。 な、前、教、工、手 僕は一瞬、戸惑った。 どう答えればいいのか、わからなかった。 自分の名前を口にすることが、突然、ものすごく怖くなった。 それでも、僕は答えた。 「……さかき、榊 那津だよ」 自分の声が、やけに大人びて聞こえた。 その子は、ふっと笑った。 それは、昨日見た笑顔とは少し違っていた。 もっと、柔らかく、優しかった。 彼女からたくさん話を聞いた と言っても小説の文字をなぞって行くのを見て何を言いたいかを理解しただけだが 彼女の家は豪邸で両親がとても大切にしてくれる いわゆる、箱入り娘なんだとか。