ミラ
あいつの動きはワンパターン。

ミラ
プレイヤーに近づいてきて殴っては、ゆっくりと元の場所に戻る。

ミラ
元々、チュートリアル用のモンスターだから、そこまで複雑な動きはしない。

シエル
ただ、問題はこっちの攻撃がまるで通らないことだよね?

ミラ
そう。

ミラ
チュートリアルとしての役目を確立させたかったんやろうな。

ミラ
こいつに魔法攻撃以外を仕掛けても、全く攻撃が通らない仕様になっているみたいや。

シエル
でも、私達は魔法を使えないわけで。

シエル
どうやってこいつに勝てばいいの?

ミラ
一応、俺に考えがないわけじゃない。

ミラ
その前にこれ、塗っといたほうがいいと思う。

ミラがそう言って渡してきたのは、保湿用のジェルだった。
シエル
――確かに、お肌がカサカサになる年齢にはなったけど、まだ辛うじて20代だからね。

ミラ
別にお肌のケアをしろとは言っとらん。

ミラ
己の身を守るために、顔に塗っておいたほうがいいと思ってな。

シエル
はぁ?

シエル
なんでそんなことを――。

ミラ
いいから、俺のコールに従え。

ミラ
かつて、俺のコールが間違ってたことあるか?

シエル
いや、ないけどさ。

ミラ
――ずっと考えてたんや。

ミラ
全国のいたるところで集団窒息死事件が起きてて、その原因があの【ブルーゼリー】だったとしたら――どんな形で窒息するのか?

ミラ
奴はチュートリアル用だから、攻撃力も極端に低いし、プレイヤー達を死に至らしめるほどの致命傷は与えられないような仕様になってるはずや。

ミラ
だとしたら、どうして窒息なんて死に方が頻発しているのか。

ミラ
それは――。

ミラが言いかけた時、ゆっくりと天井を張っていた【ブルーゼリー】が、ピンポイトで的を絞っていたかのごとく、シエルの顔面に向かって落ちてきた。
そのままシエルの顔に貼りつこうとするが、しかし事前に塗ったジェルのおかげで【ブルーゼリー】は滑り、床へと落ちた。
ミラ
やっぱりな。

ミラ
こいつは多分、自分がプレイヤーに致命傷を与えられないことを知ってる。

ミラ
その上で、有効な形で致命傷を与えるべく、自身が相手の顔面に貼り付くことで、窒息させるという手段を取ってるんやな。

シエル
でも、どうしてそんなこと分かるの?

ミラ
これくらい初見で分かるやろ?

ミラはそう言うと、今度は商品棚から殺虫剤を手に取る。
それを辛うじてキャッチするシエルをよそに、ミラは何かを探すかのように別の商品棚へ。
床の上で、水を失った魚のごとく跳ね回る【ブルーゼリー】の姿は、正直気持ちが悪くて仕方がなかった。
シエル
あの、ミラさん。

シエル
これ、どうするの?

もしかして、このまま【ブルーゼリー】に殺虫剤を吹きかけろというのだろうか。
ミラ
忘れたか?

ミラ
【ブルーゼリー】の弱点は魔法攻撃で、とりわけその中でも炎系統の魔法を嫌う。

ミラ
だったら、現実でそれに限りなく近い状況を作り出してやったらいい。

ミラ
――相手が動きのトロい【ブルーゼリー】で良かったわ。

ミラ
ある意味、こうして現実世界で【アルストリア戦記】に侵食された俺達にとって、この相手は文字通りにチュートリアルだからな。

ミラ
殺虫剤には可燃性のガスが含まれてる。

ミラ
だから、噴出口にライターの火を近づけて殺虫剤を吹きかけると、簡単な火炎放射器になる。

ミラ
こいつで【ブルーゼリー】を焼くんや。

ミラ
かなり地味な絵にはなるだろうけど、安全に【ブルーゼリー】を倒す手段は、きっとこれくらいしかない。

ミラ
すでに死んでしまったプレイヤーは、きっとこれに気づけなかったんや。

ミラ
やろうと思えば、ここに火をつけて【ブルーゼリー】を殺るって方法もあるんだろうけど。

そう言うと、殺虫剤を噴射しつつ、噴射口にライターを近づけるミラ。
シエル
え――凄い地味じゃない?

噴射口から炎が上がり、その炎はブルーゼリーに向かって燃え盛る。
ミラ
壮大なものを想像する必要なんてない。

ミラ
ここは剣も魔法もない世界だからな。

シエル
それにしたって――。

ミラ
でも、これで【ブルーゼリー】を倒せる保証はない。

ミラ
俺も初めてやからな。

ミラ
どこまで通用するかは分からん。

シエル
え?

シエル
そうなの?

ミラ
当時のことを思い出して、推測で相手を倒すしかない。

ミラ
それが生き延びる唯一の手段や。

ミラ
分かったら、さっさと【ブルーゼリー】を焼くぞ。

シエル
あ、うん。

ゆっくりとした動きの【ブルーゼリー】に照準を合わせ、殺虫剤を噴射する。
噴射口でライターの火を点けると、思った以上に勢い良く炎が飛び出した。
ミラ
あくまでも俺の推測やけど、これが終わったら俺達は元の場所に戻ると思う。

ミラ
その時は、こっちから改めて連絡するわ。

ミラ
アルストリア戦記のボイスチャット用のアプリ……まだスマホの中に残ってるやろ?

シエル
あ――なんだかんだで消してないかも。

シエル
サービス終わってからも、他のメンバーとちょくちょく連絡取っていたし。

ミラ
ならいい。

そんな会話を交わしつつ【ブルーゼリー】に炎を噴射し続けた結果、まるで溶けるかのごとく【ブルーゼリー】は小さくなり、そして消えた。
シエル
――やった。

ミラ
あぁ、これで俺達も元の場所に戻れるはず。

ミラ
シエルン、詳しいことは戻ってから話す。

ミラ
まぁ、俺が分かっていることしか話せんがな。

シエル
あ、うん――分かった。

ミラ
なんや、簡単やないか――と思ってる?

シエル
まぁ、正直ね。

ミラ
でも、勘違いしたら駄目やぞ。

ミラ
本来なら【ブルーゼリー】はチュートリアルに出てくるだけの最弱なモンスター。

ミラ
それが、こっちの世界では何人も殺してる。

ミラ
だとしたら、他の奴らはどうなってることか。

シエル
え――また、こんなことがあるかもしれないってこと。

ミラ
……そう言うことや。

ミラ
また連絡する。

ミラ
それじゃあな。

ミラの言葉が合図だったかのごとく、目の前が真っ暗になり、そして彼女は意識を失った。