この、異空間と現実世界の切り替えというものは、何度経験しても慣れることはない。
エレベーターが動き始める際の、ふわりと世界が変動を始める感覚に、いつまでも慣れないのと同じであろう。
七星
さて、この場合はどちらが勝ったことになるんだ?
二ツ木
……どっちでもいいよ。
二ツ木
私が負けたことに変わりはないんだから。
七星
そうか、ならば一宮、君に彼女を譲ろう。
七星
好きにしたらいい。
一宮
好きにしたらいい――と言われてもな。
一宮
まぁ、普通に絵本をまず渡してもらおうか。
二ツ木
……そんな回りくどいことをしなくても、私の魂を喰らえば、勝手に絵本もあなたのものになるよ。
一宮
俺達が必要としているのは絵本だけであって、二ツ木の命じゃないんだ。
一宮
見逃す――という言い方はおかしいかもしれないけど、無駄な殺生をするつもりはない。
一宮
だから、俺の願いとして絵本を譲ってもらおうか。
二ツ木
……分かった。
彼女が有していた金太郎と赤ずきんが一宮のものとなる。
これにて、一宮が有する絵本は桃太郎、シンデレラ、金太郎、赤ずきんの4冊。
七星が有するのが、人魚姫、浦島太郎、オオカミ少年の3冊となる。
八橋が有していた北風と太陽、三富が有していた白雪姫は相変わらず行方分からず。
すなわち、今のところ明らかになった絵本9冊のうち7冊が一宮達の手元にあることになる。
一宮
絵本の譲渡という俺の願いは叶えられた。
一宮
よって、二ツ木の魂の処遇は保留となり、その代わりに捕縛権が発生する。
一宮
ただ、俺は女の子を捕縛する趣味はないんでね。
一宮
この権利は放棄させてもらうよ。
二ツ木
……本気なの?
二ツ木
私、あなた達を殺すつもりで勝負したのに?
一宮
俺達は最初から相手の命を奪う気なんてなかったからな。
一宮
なぁ、七星。
二ツ木
あなた達って、本当に馬鹿なんだね。
一宮
命を奪った上で絵本を奪うのと、ただ絵本を奪うのとでなにが変わる?
一宮
君はただ絵本の所有権を失うだけだ。
一宮
無力化できるなら、それでいい。
二ツ木は一宮に絵本を奪われたことにより、もう絵本を使った勝負はできなくなった。
二ツ木
いつか後悔すると思うよ。
二ツ木
あなた達が思っているほど【ストーリーテラー】は甘くない。
七星
【ストーリーテラー】……それが君達の親玉か?
二ツ木
そういうことになると思うよ。
二ツ木
あの人は本当に凄いと思う。
二ツ木
私は一度だけ会ったことがあるけど、ぱっと見た感じ、そんな雰囲気まるでないのに――でも、あの人は凄いよ。
二ツ木
まぁ、いいや。
二ツ木
これで私はお役御免だし、なにもなかった日常に戻るだけ。
二ツ木
本当はあなた達の行く末を見守りたいところだけど、ここで退場だね。
二ツ木はそう言うと、エントランスの外に向かって歩き出す。
二ツ木
忠告しておく。
二ツ木
あなた達の優しさは甘さでしかない。
二ツ木
その甘さがいつか必ず命取りになる。
二ツ木
もし、全ての真相を知ってしまった時、あなた達はどんな顔をするんだろうね。
二ツ木
もう関われないけど、草葉の影から見守ってるよ。
一宮
――望むところだ。
一宮がそう答えると、二ツ木はうっすらと笑みを浮かべ、そしてエントランスの外へと姿を消してしまった。
七星
助かったぞ一宮。
七星
もし、私だけだったら、彼女には勝てなかったかもしれない。
七星
それに、よく私の意図を読み取ってくれた。
一宮
あー、それは七星が合図してくれただろ?
一宮
あのぎこちないウインク。
一宮
したのは2回だったからな。
一宮
もしかしたら、次のセットも彼女の親順を【2】に持っていくつもりなんじゃないかと思って。
一宮
それを元に、そっちの思惑を組み立てて考えたんだ。
七星
そうか、一宮……ならばひとつだけ言わせてくれ。
七星の言葉に、一瞬だけ空気が張り詰めたような気がした。
七星
あれは私の本気のウインクであって――そのような意図はない。