テラーノベル
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その桜は、誰にも知られていない。
地図にも載らない山の奥。 人の足がほとんど入らない場所に、一本だけ、静かに立っている。
幹は太く、空へ伸びる枝は歳月を物語るように歪み、ねじれている。
だが、不思議なことに――枯れたことがない。
嵐の年も。 戦の年も。 焼けた大地の上でも。
その桜は、必ず花を咲かせた。
日本がその場所へ来るのは、年に一度だけ。
――建国記念日。
山道を、迷いなく歩く。 道などないに等しいのに、足は自然とそこへ向かう。
冷たい空気。 まだ冬の名残を残した風。 それでも、山の奥へ進むほど、わずかに春の匂いが混じる。
やがて、視界が開ける。
そして、
そこに――桜がある。
満開だった。
薄紅の花弁が、静かな空に溶け込むように広がっている。 風が吹くたび、花びらがゆっくりと舞い、光の中で揺れた。
日本は、何も言わない。
ただ、桜の前に立つ。
そして。
静かに、一礼した。
それ以上のことは、何もしない。
触れることも。 語りかけることも。 祈ることすらしない。
ただ、そこに立つ。
どれほどの時間、そうしていたのか。 誰も知らない。
やがて、日本は小さく息を吐いた。
日本
それだけ。
それだけを、桜へ向けて落とす。
この桜が芽吹いたのは、 “国”という形が初めてこの地に定まった頃 だと言われている。
証拠はない。 記録もない。
だが、日本は知っている。
この桜は、ただの木ではない。
国として生まれた瞬間から、 ずっと、ここにある。
時代が変わっても。 名が変わっても。 形が変わっても。
この桜だけは、変わらなかった。
焼けた空の下でも。 人が人を憎んだ時代でも。 何もかもを失いかけた時代でも。
春になれば、必ず咲いた。
それは、慰めではない。 励ましでもない。
ただ、そこに在るだけ。
それでも―ー
それだけで、十分だった。
かつて、問われたことがある。
どうして、その場所へ行くのか。 何があるのか。
日本は、答えなかった。
答える必要がないと、知っていたからだ。
あれは、説明するものではない。 理解されるものでもない。
あれは―― ただ、在るものだ。
風が吹く。 桜の花びらが、日本の肩に一枚だけ落ちた。
日本は、それを払わない。
少しだけ、目を細める。
日本
誰に向けた言葉でもない。
桜か。 自分か。 あるいは、この国そのものか。
それは、分からない。
やがて、日本は踵を返す。 振り返らない。
振り返る必要がないと、知っているから。
桜は、来年も咲く。 その次の年も。 そのまた次も。
ずっと。
ずっと、ここで。
山を下りながら、日本は空を見上げた。 冬と春の境目の空。 まだ少しだけ、冷たい光。
それでも――
春は、来る。
…そして。
桜の木は、今も、この先も、ずっと咲き続ける。
約二千年以上生きたこの国が、 ここに在り続ける限り。
2026年2月11日
日本・建国記念日
コメント
2件
今回のやつはなんか雰囲気がすこですわ...! 神秘的というか不思議な感じというか...✨ 不思議な桜ですね🌸この日本に春が来たら必ず咲く桜... 語彙力がありまくってて喋っているセリフが少なくてもその時の景色などが頭の中に作られていく感じがして...! 祖国様!誕生日おめでとうございます🎉