仕事に追われる日々
7時に起きてすぐ出社、 帰ってきたら24時
残業が長引いて3時に帰って来る日もあった
そんな生活が1年半続いたけれど
とにかくここで辞めたら負け そう思っていた
けれどある日 現実とおれとを繋ぐ糸が あっさり切れてしまった
逃げたい 理由はどうあれそれしか思いつかない
ここで降りたらどうなる? 一生病院で過ごす? みんなの期待を裏切る? 人生を棒に振る?
いやだ 無様な逃げ方はしたくない
でも逃げたい もうこれ以上苦しみたくない
だからおれは死ぬことにした
崖から飛び降りたら死ねる
遠い山の渓谷に行って
巨大な橋の上から下を覗く
100メートル下は 岩肌がむき出しになっている
手すりから身を乗り出す
少しこわい
でもやらなくては
そのときふと 誰もいないのに 誰かがおれを見ている気がした
ゆっくりと車道を向く
小さな女の子がいた
おれは怪訝に思った
なんでここに、たった1人で?
おれはその子に言葉をかけた
どうしたの?
小さな女の子は俯いた
まだ小さい子だ 小学生?いや幼稚園児だろうか
何も言わない子に おれはもう一度語りかける
ひとりでここにいるのは危ない 何があってここにきたの?
すると女の子は突然泣き出した
みんないなくなっちゃった
おれはその言葉に なにかほかの意味があるのかと 少し考えをめぐらせた
こんなところに 女の子がひとりでいるのは どう考えてもおかしいからだ
両親が捨てた? でも「みんな」って誰だろう?
まさかおれはもう死んでるのか 幽霊になった子を見ているのかもしれない
そう考えると急に恐ろしくなった
ポケットをまさぐる スマホと二つ折り財布があった
スマホは正常に動いている
おれはまだ、死んでいない
安堵すると同時に 女の子の行く先が気にかかった
ここに1人でいるのは危ない 夜になる前になんとかしなくては
たったひとつ、方法があった
おれもその子も助かる方法
おれは女の子にスマホと財布を渡した
よく聞くんだ これを持って、おれがいなくなったら 暗証番号を打ってこの番号にかけて 助けてって言うんだよ
誰かの支えになることができた 久しぶりに味わったこの感じ
なんだか心臓が穏やかになった気がした
それでもおれの決心は揺らがなかった
最後にこの子を助けることができた
潔いいことじゃないか
おれは女の子に 0000と110の数字を教えた
それじゃあまたね 自分の人生を、悔いなく生きるんだよ
おれはそう微笑みかけると ふたたび夕刻の谷を見た
こんどは躊躇いはなかった
手すりに両手をかけた
上体を、ゆっくり前方に傾ける
すべてが逆さまになり
景色が反転した
終わった
すべてが終わったんだ
そう思った
ついぞ感じたことの無かった感覚 身体が宙に浮いているような軽さ
ベッドに横たわっている?
「意識が戻ったぞ!」
誰かの声が聞こえた
白衣をまとった人間たちが目の前に ぞろぞろと群がる
なんだこれ もしかして
失敗したのか?
「もうダメかと思ったが」
「15年待った甲斐があった」
「やっぱり奇跡だなぁ」
「でも運がよかったよ」
「財布のなかに暗証番号つきのカードがあるとはね」
…?
こいつらはなにを言ってるんだ?
しばらく談笑していた彼らは 三々五々部屋を後にしていった
まさか、おれから全財産を盗んで
まだなにか搾り取るのか
最悪の失敗だ…
すべての医師が部屋を後にすると
ひとり、何かをもった看護士がきた
彼女はにこっとおれに会釈した
あなたが死なないでほんとによかった
あなたは 絶望のふちにいたわたしを 暗闇から救ってくれました
おれが救った?
こんどは わたしに恩返しさせてください
彼女は一筋、涙を落とした
彼女が持っているものを見て おれは全てを悟った
黒い財布と 見覚えのあるスマホ
おれはもう一度
にっこり彼女に微笑みかけた
Fin.
コメント
6件
すごい…