西谷春翔
西谷春翔
西谷春翔
俺がのぞみとヨリを戻そうと躍起になっていた頃に
週に1回 講義が午後から始まる日があることを突き止めた。
だからまだお昼前のこの時間帯、
俺が超高速で打ったラインも
すぐに「既読」がついた。 同時に返事も来た。
山川のぞみ
俺の躍起になっていた頃も、案外捨てた物じゃない。
俺が来客用の玄関で「関係者」を待っていると、保健室の先生が眉をひそめて近づいて来た。
保健室の先生
西谷春翔
保健室の先生
西谷春翔
西谷春翔
保健室の先生の頭には未だクエスチョンマークが踊っていたが、残念ながら説明する余裕はない。
やがて玄関に息を切らしたのぞみが雪崩れ込んで来た。
大学に向かう途中だったのか、大きな鞄を1つ肩からさげている。
その鞄を、走る勢いを止めずに俺に押し付けた。 __確かに鞄を持ったまま殴り込むのは画(え)的におかしい
俺は鞄を受け取りながら早口でまくし立てた。
西谷春翔
のぞみは小さく頷くと、(一応靴を脱いで)俺の言った方向__保健室に駆け出し
かけた。 保健室の先生がのぞみの肩を掴んだ。
保健室の先生
西谷春翔
保健室の先生
気持ちは分かるけど本当に説明している時間はない。
俺は やんわりとのぞみの肩から保健室の先生の手を剥がした。
目だけでのぞみに「早く行け」と促す。
今度こそのぞみは駆け出した。
保健室の先生
保健室の先生
西谷春翔
___こうしてのぞみは保健室に突入した。___
あの言葉を
嘘にしたくない。
だから私はここに来た。
山川のぞみ
充分息を整えたはずなのに、喉がつっかえる感じがした。
それでも、押し寄せる感情の波を懸命に言葉に変える。
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
言葉に変換し損ねた感情が涙となって、1粒こぼれた。
母親に向けるはずの言葉と顔が、いつの間にか柚月君に向いていた。
__柚月君を責めるつもりはない。
ただ一人で戦わせたくなかっただけ。
柚月君はベッドから起き上がって、まだ涙の跡が残る顔で私を見ていた。
私は震える息を吸いこむと、再び言葉とともに吐き出した。
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
涙を拭う。
もう息は震えていない。
柚月君から視線を外し、まっすぐに母親を見た。
山川のぞみ
母親は侮蔑と憐れみに満ちた目で見返した。
鳴沢真由子
鳴沢真由子
鳴沢真由子
鳴沢真由子
母親の声が不快に粘着質を帯びていく。
鳴沢真由子
鳴沢真由子
山川のぞみ
言葉を切り、顎を上げて母親の視線を受け止めた。
山川のぞみ
山川のぞみ
母親の 余裕綽々(しゃくしゃく)然とした薄笑いが消えた。
漂う空気が冷たく張りつめるのを感じる。
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
この目だけは逸らさない。
私の中で炎のように吹き荒れる感情が、私に そうさせる。
___息をするのも憚(はばか)られる張りつめた空気を、気だるげな ため息が揺らした。
母親が私から視線を外し、どこかずっと遠くを眺める眼差しをした。
口元に自虐的な笑みが浮かんでいた。
それは苛烈で非道な母親から かけ離れた_____私が初めて見る顔だった。
鳴沢真由子
鳴沢真由子
翼を もがれた鳥のような酷く憔悴した姿。 諦めに満ちた声。
その姿に芝居臭さは感じられず、むしろその姿こそが本物だと感じた。
私は母親から視線を外さずに、慎重に言葉を重ねた。
山川のぞみ
山川のぞみ
鳴沢真由子
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
小さいが確かに 震えた息を吸い込む音がした。
引き結ばれた母親の口元が微かに震えている。
__きっとこの人にも、不確かで曖昧で だけどとても温かい あの気持ちを信じてた時期があったんだ__
そう思うと もう怒りは感じなかった。
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
母親はしばらく何も言わなかった。
視線は私から外したまま、何かに思いを巡らせている。
やがて 長いため息とともに
掠れた声を発した。
鳴沢真由子
鳴沢真由子
鳴沢真由子
山川のぞみ
届かなかった。
もう投げかける言葉が思いつかないし考える気力もない。
ゲームと同じように、私は弱かった。
柚月君に顔を向けた。
私が、本気で好きになった中学生は 泣き笑いの表情で私を見ていた。
柚月
柚月君が謝ることは何もない__ そう言いたいのに もう言葉は出て来ない。
そっと柚月君の細い背中に手を回して 抱きしめた。
山川のぞみ
柚月
柚月君が私の背中に両手を回した。
布地越しに確かに伝わる温かさがあるから
言葉はいらない。
ただお互いに 密やかに濡れた吐息を漏らす この時間がいつまでも続いて欲しいけど__
「ほらもういいでしょう?静かになったんだし、荷物渡さないと」
「雰囲気的にまだじゃないですか。こういうの割り込むと本当炎上モノですよ」
廊下から養護教諭と春翔の声がする。
それを皮切りに、終わりを告げる声が流れた。
鳴沢真由子
鳴沢真由子
どんな言葉を重ねても、もう前みたいにゲームすることは出来ない。
荷物を受け取って母親に背中を押されて出口に向かう柚月君を、私は黙って見ることしか出来ない。
山川のぞみ
母親が扉に手をかける。その背中に声をかけた。
母親が面倒臭そうに横顔だけこちらに向けた。
鳴沢真由子
山川のぞみ
山川のぞみ
母親は一瞥しただけで何も言わずに、柚月君を伴って保健室から出て行った。
去り際に柚月君が振り返って小さく手を振ってくれた。
___春翔がしきりに私と出口の両方に視線を送っていたけど、何を言う気にもなれない。
無力な私に残ったのは
箱買いしたコーラだけだ。
化粧を落とすと 鏡には「おばさん」に分類される女がいた。
中途半端な化粧では目元の皺は誤魔化せない。
今年で30代も終わりなんだと言うことを思い知らされる。
煙草を一本くわえると火をつけ深く吸いこみ___
鏡の中の「おばさん」に思い切り煙を吹きかけた。
__家の中で煙草を吸うのを夫は嫌うけど、今は配慮するのが面倒臭い。
これが何かの勝負なら
間違いなく私が勝っていたはずだった。
なのに この惨めな気持ちはなんだろう。
どうして過去に思いを馳せているのだろう。
___泣きながら床に手をついて謝ったことも ___ひたすら顔色を窺っていたことも
「過去」と呼ぶのも嫌な、消したい記憶。
だから「甘美」で覆い隠した。 ファンデーションで皺を隠すように。
それをあの大学生が掘り起こした。
だからあの女__山川のぞみは嫌い。 3番目に嫌い。
2番目は「アイツ」。
1番嫌いなのは____
運命の出会いだとか、 「何があっても大丈夫」とかを
目を輝かせて、本気で信じていた
昔の私。
コメント
11件
全部一気に読んでしまった...面白さの権化ですね...🥺
いやお母さん、そこは認めるとこじゃないんすか!!?
こりゃまたお母さんもなにかありそうですね……🤔