コメント
16件
怖いの嫌いだけど読んでしまう… 後編が怖いけど楽しみ!
(´・¿?・`)キニシテマッテルマッテル
(´・¿?・`)キニシテキニシテ
2009年 2月
『ただであげます』 『ただでください』
という2chスレッドで
実際になされた 不気味な一連のやり取り
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
山から夜になにか くるんですよ
もう怖いです… せつないです…
名無しさん
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・・・ここでスレは途切れた
神戸市北区の谷上という地域から さらに奥まった所にあるという 一軒家
それをタダで譲るというレス
そして提示される
「必ず受け取る」 「三日以上開けない」 「死ぬまで住んでくれる」
という一連の不気味な条件
さらにその物件には
祖父母のものだから 触らないで欲しいという 「井戸」があり
最後には
「山から夜に何か来る」 「もう怖いです」 「せつないです」 「自分はもう見たくない」
という不気味な書き込みを 残しレスは途切れた
しかし
他のスレッドでは このレスに対する憶測が 飛び交うことになる
稚児ヶ墓山 (ちごがはかやま)
攝津と播磨の国境にまたがる 丹生連山の一角を成し
そこには
かつて豊臣秀吉に焼き討ちされた 寺にまつわる悲しい話が 残っている
丹生山にはかつて 明要寺という 大きな寺院があった
天正六年(1578年)
織田信長の名を受けた 豊臣秀吉の別所長治に対する 攻撃の際
別所側についた明要寺は
容赦なく焼き払われた
武装した僧侶たちの多くは 逃げ場を失い
深い谷へと落ちて 死んでいった
死者数数千人という 悲惨な戦いである
また、寺には多くの 稚児(子供)がいた
戦闘が始まり これらの稚児は
一団となって北東の尾根伝いに 落ち延びていったが
現在の稚子ヶ墓山の山上にて ついに秀吉軍に発見され
切り殺された
周辺の人々はこれを哀れみ
「稚児ヶ墓」と呼ばれる墓を この山の頂上すぐ下に作って弔った
山名はこの「稚児ヶ墓」に由来する
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一軒家に関連する憶測は
このような不気味な噂や伝説と 共に勢いよく飛び交った
そして遂に─ (長くなったので後編へ) 86