テラーノベル
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私は、スマホの画面を専務に向けた。専務は画面を見て、私に返して、立ち上がった。流しの前に行って、袖をまくる。
机の上には、味噌汁と、焼き魚。私が帰る前に、作ってあったものだ。味噌汁は薄い色で、魚は、片側が黒かった。
「……専務」
「座れ」
座った。専務は、向かいに座った。
「明日、か」
「はい。社長は、明日ご覧になります、と」
「氷室さんだな」
「番号は、知りません。でも、ほかに思い当たる人もいません」
専務は、箸を取って、置いた。それから、味噌汁を指した。
「食え」
「これは」
「契約外だ」
「……対価は」
聞くと、専務は、少し間を置いた。
「……お前が、十二日に、俺の隣にいることだ」
私は、味噌汁を飲んだ。薄かった。魚を食べた。焦げていた。全部、食べた。
「薄いです」
「でも、全部食べた」
専務が、言った。私の言い方で。
「明日、親父が写真を見る」
「はい」
「見ても、十二日は来る。親父は、決めた日を動かさない」
「はい」
「隣にいろ。それだけだ」
それだけ、とこの人は言う。私は、箸を置いた。置いた箸の先が、机の端で揃った。
◇
金曜の朝九時。常務室は、七階の、専務室とは反対の端にあった。木曜に呼ばれていたのが、常務の都合で一日流れていた。扉を叩くと、中から「入れ」と大きな声がした。
常務は、机の向こうに座っている。立たない。私も、座れとは言われない。
机の上に、紙が一枚、伏せてある。
「水瀬」
「はい」
「写真を見た」
常務は、伏せた紙をめくらなかった。めくらなくても、何かは分かった。
「契約だろう」
「……」
「黙るのは、認めたのと同じだぞ」
私は、黙った。専務の言葉を思い出していた。契約だ、と言われても、動くな。
常務は、私が黙るのを見て、机の上で指を一度鳴らした。大きな声の人が、声を出さずに、こちらを見ている。それは、声より重かった。
「弟のためだ」
常務は、椅子にもたれた。
「あいつは、親父の縁談を嫌がって、総務の女を半年雇った。それだけのことだ。それが親族の前でばれたら、あいつは専務でいられなくなる。親父は、そういう男だ」
「……」
「パーティーの前に、消えろ。金は出す」
二度目だった。
社長は三千万円、と言った。常務は、金額を言わなかった。言わなくても出す、という言い方だった。
私は、机の上の、伏せた紙を見た。
「お断りします」
「理由は」
「契約の相手を、途中で裏切らないからです」
常務が、笑った。
「契約、と言ったな。今」
「……はい」
「認めたな」
私は、認めた。認めたことを、動かさなかった。
契約だ、と言われても、動くな。専務は、そう言った。契約、と自分で言ってしまって、動かないのは、思っていたより難しかった。でも、動かなかった。
「それでも、断ります」
常務は、しばらく私を見ていた。それから、机に肘を置いて、少し前に出た。
#年の差
当麻月菜
1,226
星キラリ

1,535
#略奪
秘翠ミツキ
1,891
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「親父はもう知ってる」
顔を上げた。
「写真は、今日の朝、氷室が持っていった。親父は見た。それでも、十二日をやると言ってる」
「……」
「契約だと分かっていて、親族の前で奏に『本物か』と聞く。何のためか、分かるか」
分からなかった。社長は、契約を知っていて、十二日を進める。縁談を進めたいなら、今日のうちに終わらせればいい。写真を机に置いて、契約だな、と言えば、それで済む。済むのに、やらない。
「分かりません」
「俺も、分からん」
常務は、椅子にもたれ直した。
「親父は、俺にも言わない。だから、お前に消えろと言ってる。親父が何を考えていても、お前がいなければ、十二日は縁談の発表で終わる。それが、いちばん簡単だ」
「……簡単、ですか」
「お前以外の全員にとっては」
常務は、伏せた紙を、机の引き出しに入れた。見せる気はない、という手の動きだった。見せなくても、何が写っているかは、私のほうが知っている。
私は、頭を下げた。
「失礼します」
「水瀬」
扉の前で、呼ばれた。
「弟が、人前で何も言わないのは、知ってるな」
「はい」
「あいつは、母親の件で、人前で何か言って、何も変わらなかったのを見てる。だから、言わない。それだけだ」
それだけ、とこの人も言った。
私は、もう一度頭を下げて、常務室を出た。
常務室を出て、二階に降りる階段で、私は決めていた。金のことを、今夜、言う。前は言わなかった。今度は言う。
二階に戻ると、課長が私の顔を見て、何も聞かなかった。小森さんも、聞かなかった。聞かないでいてくれる人が、二人いた。
机に座って、台帳を開いた。五階、青0.5、残り十本。昨日の朝、三本足した。常務室で何を言われても、この数字は変わらない。それを確かめてから、申請書を二枚片づけた。
十一時半、スマホが鳴った。東雲さんから。
「ひよりさん。今日の午後、お父様に呼ばれているでしょう」
「……はい。二時に、社長室に、と」
秘書室から、その連絡は十時に来ていた。常務室を出た、その十分後に。
「私も、呼ばれてるの」
東雲さんの声は、少し早かった。電話の向こうで、車の音がした。
「二人一緒に。同じ時間に」
コメント
1件
ああもう、重い……! 全部食べたのに「薄い」「焦げてる」って言う水瀬さん、すごく誠実で不器用で泣ける……。専務の「契約外だ」からの「12日に隣にいること」って対価、契約って言葉の重さが全部そこに詰まってる気がした。常務の「弟は人前で何も言わない。それだけだ」もグサッときた。そして最後に東雲さんも一緒に呼ばれてるの――二人同時って、社長は何をしようとしてるんだろう。次が怖くてでも気になる……。