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クラスの空気が、少しずつ変わっていることには気づいていた。
だが、それはどこの学年にも、どんなクラスにも起こりうる「揺らぎ」だと思っていた。成長の過程であり、通過儀礼のようなものだと。
遥という生徒は、物静かで、目立たない。
しかし、よく見ると彼は常に何かを見ていた。教卓に立つ自分ではなく、教室のどこか――たとえば、窓際の日下部を。あるいは、廊下側に座る蓮司を。
彼の視線は、ある種の緊張と、同時に不在の気配をまとっていた。
ある日、ちょっとしたトラブルが起きた。
生徒の持ち物がなくなり、誰かが「遥の机の中にあった」と言った。証拠はなかったが、現にそこにあった。
遥は否定しなかった。ただ、黙っていた。
「誰がやったかは今ここでは問いません。ただ、持ち物は大切にしましょう。そういうことがあったときは、担任である私に伝えるように」
あのときの自分の言葉が、遥にとってどれほど“冷たい正しさ”だったか、後になって思い知った。
彼は、自分を擁護しなかったのではない。
擁護されることすら、もう期待していなかったのだ。
自分は「公平であること」に固執していた。
誰の味方にもならず、誰の敵にもならない。
だがその中立は、沈みかけた生徒の足を引きずる錘になっていたのだ。
その後、教室での出来事は、少しずつ表面に現れていった。
廊下に置き去りにされた体操服。自分の机だけが掃除されない教室。提出物がなぜか手元に届かない遥のノート。
一つ一つは「よくあること」に思えたが、積もったとき、遥の背中に影が落ちていた。
彼の目が、誰にも向けられなくなった日。
ああ、と理解した。
――間に合わなかったのだと。
その日も、あの子は何も言わなかった。
黙って教室を出ていく後ろ姿が、小さく震えていたことだけが、唯一の“訴え”だった。
公平でいようとした私は、結局、誰の味方にもなれなかった。
あのとき、誰かの名を呼ぶことも、机に手を置いて「それは違う」と言うこともできたのに。
“正しさ”は、ときに最も残酷な剣になる。