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次の日。目が覚めると、隣に菊はいなかった。
朝食を作るべく、早く起きたのかもしれない。
「…………」
むくりと起き上がり、眠い目を擦りつつ、ベッドから出てリビングに出る。すると食卓には案の定、焼きたてのトーストとサラダ、スクランブルエッグが乗ったプレート。そしてオニオンのスープ、そしてバターとジャムの瓶。
「おはようなんだぜ、菊。その……朝飯作ってくれて、コマウォヨ」
「いえいえ。じゃあ、頂きましょうか」
「…………ああ」
二人揃って「いただきます」と手を合わせ、美味しそうなそれらを頂くことにする。まず俺が口にしたのは、何もつけていないトースト。外はパリパリとしていて、中はもちもちとしていて。加えてほんのりとした生地の甘さと温かさが、俺の五感を刺激する。
「……まともに朝食摂るの、久しぶりなんだぜ」
「そうなんですか?」
「ああ。アイドルやってた頃は、チンチャいつも時間が無くて……毎日ゼリーで朝食を済ませてたんだぜ」
「つまり……そうせざるを得ないほど、スケジュールがハードだったってことですね……」
「そうなんだぜ。仕事中、何度貧血でぶっ倒れそうになったことか……まぁ、どうにかこうにか耐えてたけどな」
そう言って苦笑いしながら菊の顔を見ると、彼は少しばかり辛そうな表情をしていた。その当時の俺のキツい生活を、何となしに想像してしまったのだろう。
俺はそんな菊の頭を撫でて、こうも言ってやった。
「これからは健康第一で生きていくんだぜ。この通り、もう自由の身だからさ……」
そうすると菊は、漸くこくりと頷いた。
*
「ところで菊、お前の仕事は何時からなんだぜ?」
「4月からです。早速講義の仕事が幾つか入ってて……学生の皆さんに私の存在が受け入れられるか、心配ですけどね」
「お前なら大丈夫だろ。真面目で誠実で優しいから、きっと慕われるんだぜ」
菊は俺が家に来る数日前に博士号を取得し、都内の国立の大学院を卒業した。すなわち来月から、晴れて大学教授になるのだ。確か専門分野は社会学で……東アジア、特に日中韓の情勢について研究していたんだっけな。
「すげぇよな、お前は。俺と違って頭が良いから、堅実かつ着実に、キャリアを積めるわけだろ?俺なんか高卒で芸能界というヤクザな道を進んで、つい最近プー太郎になっちまったからわけだからさ……」
「そんな……まだ21歳でしょう?若いんですからまだやり直せますよ。それに今暫くは……ゆっくり休んで良いと思います。肉体のみならず、心の静養も大事ですからね」
「…………そうだな」
そういえば俺も、かつては大学進学──もとい、立身出世を親からめちゃくちゃ望まれた身だった。でも事務所からのスカウトを受けて、普通に働くよりもキラキラしてて楽しそうだからって理由で、親の反対を押し切って、芸能界に入って…………
今思えば、浅はかな人生の選択だったと思う。アイドルにさえならなかったら、俺はまだ……あの国で、普通に生きられたのかな。
「どうしました、ヨンスさん?」
「……何でもないんだぜ、菊」
タラレバを考えたところで、仕方がない。俺は今ある事実と運命を、素直に受け入れるしかないのだ。