テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
それから朝食を済ませた後、菊はこんなことを言った。
「折角ですから……気分転換も兼ねて、隅田川辺りを散策しませんか?」
「隅田川……別に良いけど、俺は顔を隠さなきゃなんだぜ。如何せん、厭でも有名人だから……」
「まだ早朝ですし、其処まで人は多くないでしょうから……多分大丈夫ですよ」
「……それなら、眼鏡は良いかな。マスクだけ着けていくんだぜ」
そんなわけで早速着替えて、菊と一緒に外に出る。3月半ばの東京は、やや肌寒くとも大分温かい。この時期のソウルは、まだ一部で雪が残っていて寒いのに。
「……桜、もう少し先ですね」
「うん?」
「ほら、彼処。蕾が少し色付いているでしょう?」
菊が指さした先は、近隣の民家の庭に植えられた、1本のポッコの木。ブロック塀を越えて伸びた梢の先には、ほんのり淡く色付いた蕾が一つ、二つ。
「ふふ、もうすぐ春ですね」
「…………そうなんだな」
*
それから少しして、俺たち二人は隅田川の河川敷にある公園に辿り着いた。
川沿いには、数多のポッコの木。当然ながら、ついているのはまだ蕾だ。
「4月になると凄く綺麗なんですよ、此処。一斉に桜の花が咲いて、見応えしますよ」
「……へぇ」
「また時期が来たら、一緒にお花見しましょう」
「……ああ、そうだな」
今はまだ、うら寂しく荒涼としているが……その先の未来にある美しい情景は、俺も何となくだが想像出来た。確かに、凄く凄く綺麗に違いない。
韓国にも桜はあるが、あれは在日同胞たちが寄贈した、日本産のものだ。かつての統治時代においても、日本から持ち込まれて植えられてたらしいが、WW2の終結直後に伐採されたとも。
「桜の起源は韓国だ!(※)」と、何処ぞやの馬鹿が宣っていたのはいつだったか……
※……因みに「王桜」という品種は、正真正銘韓国発祥の桜である。済州島原産。
……無駄話はここまでにして。俺は徐ろに、辺りを見回した。当然ながら人は少なく、向こう岸にでかでかと聳え立つスカイツリーをバックに、チワワと散歩しているアジュンマや、ウォーキングしているアジョシが、遠くでちらほら行き交う程度だ。更に向こうでは……ラジオ体操をしているお年寄りの夫婦や、部活動の朝練なのか、ジョギングしている男子高校生が、5〜6人ほど。
其処から視線を反対側に移すと、1台の自販機とベンチがあるのが見えた。ひとまずは……彼処で一服するか。
俺は菊に声を掛けた。
「あっちへ行くんだぜ、菊。丁度自販機とベンチがあるんだぜ」
*
自販機で温かなココアを買い、二人でベンチに座って飲む。スチール缶の飲み口から漂うのは、甘い匂いと白い湯気。
「そういえば……私達が出会った場所って、こういう河川敷の公園でしたよね」
「……そうだったな。確か漢江公園だったか」
「ええ。あの時の私は、親の仕事の都合で韓国にいましたから。こんな感じで、いつもベンチに独り座って……」
朝の淡い陽射しを浴びながら、ふと思い出すのはあの時のこと。
俺は空を見上げて、これまでのことを回顧した────
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!