私は通常、依頼を受ける条件にかなったお客の頼みは、絶対に断らない。
けれども実はたった一度だけ、客の依頼を断ったことがある。
あちこちで長く続いた抗争もおさまり、一人でつかの間の平穏を過ごしていたある日のこと。
知り合いの情報屋、千賀が、一人の女子高生を連れてやってきた。
彼女は非常に動揺した様子であり、息を切らしながら部屋に上がり込むと、私が扉を閉めるや否や、
「どうか、これを見てください!」
と、いきなり制服の上衣を脱ぎだした。
彼女の胸から腹部にかけて大きく斜めに刻み込まれた深い傷跡を見た時、私は嫌な予感がした。
それは紛れもなく日本刀の傷であり、その太刀筋は、私が嫌というほどよく知っているそれに、酷似していたのだ。
まずは落ち着いて、こちらに座って下さい、と少女をたしなめ、
「その傷はまさか…」
と問いかけると、彼女は私が言い終わらないうちに、早口で語り始めた。
彼女は隻腕の男に、目の前で両親を斬り殺され、自身も生死の狭間をさまよう、深い傷を負ったとのこと。
隻腕…。やはり、この客の家族を殺ったのは、兄、圭一に間違いない。私は長いこと口をつぐんでいた。
「…。」
「あの、お引き受けくださいますでしょうか?」
痺れを切らした客が、心配そうに返事を促す。
「…。」
私は心を決め、深く息を吸うと、このように客に打ち明けた。
「最後まで落ち着いて聴いてくださいね。まず、申し訳ございませんが、私はこの依頼はお受けできません。」
「そんな…!どうして、」
「はっきりと申し上げますと、お客様のおっしゃった、隻腕の男には、私では太刀打ちできません。」
「ッツ…。そんな…。」
私は黙って客の目をじっと見つめ返す。
しかし彼女は目をそらさない。
「でも、それじゃ…」
客の顔は既に、溢れんばかりの怒りと憎しみ、そして悲痛の心の叫びで、今にも牙を剥きそうだ。
私は確信した。この客は、紛れもなく、私が依頼を受ける際に突きつけるたった2つの条件 ―1つ目は、大切な人を理不尽に奪われた善人であること、そしてもうひとつは、依頼者の話の中に嘘偽りがないこと― にかなうと。
私は長いこと黙っていた。しかし客の真剣な眼差しは私を離さない。私はついに覚悟を決め、再びゆっくりと口を開いた。
「お待ちください。何も、あなたのご両親の敵を取ることはできない、と言っているわけではないんですよ。」
「え…?」
「…かわりに良いお方をお教えしましょう。その方なら、お客様のお役に立てると思います。」
「は、はい…。」
「ただし、その方に、私のことは絶対にお話しにならないこと。約束していただけますか。」
「はい、約束します。」
「それでは今から、その方の居場所をお教えします。お客様の心の準備が整いましたら、昼のうちに、十分に気をつけて、そちらへ伺ってください。」
口調こそ淡々としていたものの、私の胸は悲痛と苦々しい葛藤で溢れ、今にも張り裂けんばかりだった。
この私の手で、大好きだった兄に刃を向けることなど、勝敗以前に、絶対にできない。
しかしこの少女が私のもとに来た以上、どのみち誰かが兄を手にかけることになる。被害者の苦しみを蔑ろにし、私情故に加害者を守るなど、正義を重んじる復讐屋として、絶対にあってはならないことだ。
ならば…。
ならば、最期はせめて、それに相応しい相手を…。
私は少し声をおとして、その男の事務所と連絡先を告げた。
そしてたどり着くまでに万一のことがあってはと、信頼できる情報屋やホステスの特徴も伝えた。
一生懸命手帳にメモをとる客に、私は最後の念を押す。
「この男の情報は、人目に触れないようにしてください。依頼完了の連絡が来たら、メモは直ちに焼却するのですよ。さもないと、お客様の身が危ない。」
「わかりました。そして、その方のお名前は…?」
尋ねる客の耳元に顔をいっそう近づけて、私は静かに、
「伊集院 茂夫」
と告げた。
コメント
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ああああここから見るのが怖いッッッ…辛い…でも善なる人を救いたい気持ちと、それでも兄さんと刃を交えるのは…という気持ち……早百合さんの心がよく理解できる…(泣) 辛いですぅぅ…でも素晴らしいですぅぅ…‼︎本当に尊敬しますッッッ…(泣
勿論、物語はまだ続きますので、引き続きご愛読、どうぞ宜しくお願い致します。
圭一ファンの皆様へ この回は、私としても非常に悩み、あれから私自身も、自分のしたことに苦しみ、幾度となく葛藤を繰り返しました。しかしプロとして、依頼人が来てしまった以上は、これは私にとって、避けられない選択でありました。また、本家様のストーリーに沿って作成をしております故、このような内容にならざるを得ないことを、どうかご了承くださいませ。