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第9話:迷子札
夕暮れの笹波駅。オレンジ色の光がホームの端を染め、長く伸びた影が足元に重なっている。
改札を抜けてきたのは、丸顔で小柄な男性。淡いグレーのパーカーの上にネイビーのダウンベストを着込み、ジーンズの裾は少し擦れて白くなっていた。髪は短く刈られていて、額にうっすら汗が光る。首からは、犬の足跡がプリントされた布製のリードが垂れている。名前は藤田圭介(ふじた けいすけ)、32歳。
ベンチの下に、金属が夕陽を受けて輝くのが見えた。拾い上げると、小さな丸い迷子札。表には「POCO」と犬の名前、裏には電話番号が刻まれている。
——自分の愛犬と同じ名前、同じ番号。
圭介はポケットからキーケースを取り出し、中に付けてある迷子札と見比べた。形も刻印も全く同じだが、拾った方の端には、小さく「2027.05.03」と刻まれていた。その日付は、一年半後の日曜日。
胸の奥が冷たくなる。
その日、POCOが迷子になる——そう言われているようだった。
圭介は迷子札を握りしめ、ホームを見渡した。POCOは今、家で昼寝をしているはずだ。
だが、この金属の冷たさが嘘だとは思えない。
「……その日までに、絶対守る」
迷子札をベンチに戻し、圭介は改札へ引き返す。夕焼けが背中を押すように差し込み、ダウンベストの影を長く伸ばした。
家に着いたら、まず首輪の金具を新しいものに替えよう。
笹波駅のホームには、まだ夕陽の残り香と、金属の微かな輝きだけが残っていた。