ホットミルクを一日一回。
アメリカくんは、驚くほどに手のかからない子だった。
留守番中に来訪者に反応すること、家を出ること、火をつけること、刃物に触ること。
ダメだと教えたことは決して破らなかったし、それどころかポストの中身を整理したり、洗濯物を畳んだりと、助けになりそうなことを自分で探してやってくれるようになったのだ。
その一つである卵割を終えたばかりのアメリカくんは、にぱっと笑った。
人懐っこい子犬のような笑顔に胸を撃ち抜かれる。
さっきぶりに頭を撫でると、嬉しそうに身を捩られる。
それでまた炒め物の手が止まってしまうのだから、かわいいは大罪だ。
一体僕は、この一週間で何度「かわいい」と叫びかけただろう。
いつ隣人トラブルが芽生えてしまうか恐ろしい。
そんなことを考えながら、1人分の食事と小さなマグカップを食卓に並べる。
「いただきます。」
そう言って手を合わせて数秒後、何やら異変を感じた。
じ、と手元に熱烈な視線を注がれている。
こくん、と小さな喉が動いたように見えたのは気のせいだろうか。
「もしかして……食べてみたい?」
コクコクと小さな頭が上下する。
バチカンさんの言葉が頭をよぎった。
『栄養はミルクと砂糖菓子で十分』。
つまり、それ以外を食べてはいけないわけではない。
「少しだけですよ。」
ふぅ、と冷ましたスープを一口掬う。
アメリカくんはとろみのあるコンソメを口に含むと、キラリと瞳を輝かせた。
ピョンピョンとイスの上で軽く跳ね、喜びを持て余すように頬を染める。
みたことのない喜びように胸が疼いて、気が付くと、僕はお皿が空になるまでスプーンを行き来させていた。
それから食卓には、小さな小鉢が追加されるようになった。
***
一ヶ月後。
「ただいま!」
パタパタと足音がする。
いつも通り抱きしめようとして、想定外の衝撃に尻餅をついた。
「……?」
アメリカくんが、不思議そうな顔で僕の上に跨っている。
「ごめんなさい…ちょっとタイミングミスっちゃったかも。」
そう言うと、アメリカくんはイタズラ成功、とでもいう風にやんちゃな笑みを浮かべた。
違和感。
「アメリカくん、冷蔵庫のトマト……」
をお願いします、と続けようとして、そういえばこの子の背丈じゃ届かないんだった、と口を閉ざす。
しかし、手に触れたのは赤い球体。
「……あれ…?」
「……?」
こてん、と傾げられる首。
自分で入れたものの位置も忘れたか、と年齢を思い出ししょげかえる。
違和感。
「アメリカくん、万歳。」
ぷはっ、となぜか息を止めていたアメリカくんが顔を出す。
秋も深まってきたし、そろそろ衣替えでもしようかと全身を眺め、足元で目を止めた。
パジャマの丈が短くなっている。
縮んでしまったのだろうか。
違和感。
最近、何だか違和感を感じる。
ベッドでいつも通り腕枕をゆすられながらそんなことを思う。
アメリカくんの何かが以前と違うような気がするのだ。
何だろう、と悶々としていると、撫でる手が疎かになっていたのだろうか。
アメリカくんが不満そうに足をバタつかせた。
「ごめんごめん。ちょっと考え事しちゃってました。」
ぷくりと膨らまされた頬をつつくと、くすぐったそうに笑顔の花が咲く。
顔を引き寄せられ頬におやすみのキスを受けて、あっと小さく声が漏れた。
手が、少し大きくなっているような気がする。
***
「……プランツが成長を?」
「はい。気のせいかもしれないんですが…。」
仕事帰り、相談に寄った店の中。
バチカンさんは考え込むように手を顎に当てた。
「…お客様……もしや、ミルクと砂糖菓子以外の食事を?」
頭に浮かんだのは食事時の風景。
「はい。アメリカくんが欲しがりまして…。」
「あぁ……。」
バチカンさんがため息に近い声を漏らす。
そして、突然頭を下げられた。
「申し訳ございません、お客様。私の不手際の致す所です。」
「へっ……?」
真意を測りかね混乱していると、バチカンさんはそのままの姿勢で続けた。
「プランツは永遠を生きる人形。しかし、砂糖とミルク以外のものを与えると……成長してしまうのです。」
「…成、長……?」
「はい。」
耳の奥がじんと鳴った。
「もしやむを得ぬ事情でご返品なさろうとしても、プランツが大人になってしまった場合……」
「メンテナンスをしようが、お客様のことを一生忘れられなくなってしまうのです。」
時計の針がうるさい。
「そうなると、もはや売り物にはなりませんので……お客様に責任をとって頂くか、もしくは……」
貧血になったように視界の端がモノクロになる。
恐ろしくて、言葉の先を聞きたくなかった。
「私が、処分をさせて頂くことになります。」
***
家に帰ると、いつも通りアメリカくんは飛びついてきてくれた。
頭を撫でて、ミルクを温めて、買ってきたお惣菜をテーブルに並べる。
アメリカくんはマグの隣の空白を不思議そうにみつめた。
その後お箸を持った僕に、くれるの、と微笑みかけた。
「駄目。」
力んだせいで、思った以上に冷たい声が出てしまった。
ポカンとした表情のアメリカくんを前に、己を律そうと目に力を込める。
お箸を握りしめたまま唇を噛んでいると、不意に耳に声が届いた。
「きらう……だめ…!」
アメリカくんが、喋った。
綺麗な瞳を曇らせながらそう繰り返す彼に我を取り戻し、あわあわと手を振る。
「あ、アメリカくん…ごめんなさい、僕は嫌ってなんかいませんから。」
そう言い立ち上がって抱きしめると、アメリカくんは大きな瞳を潤ませながら僕をみつめた。
お互いに落ち着いた頃、一つお願いをしてみることにした。
「アメリカくん……もしよかったら…僕の名前、呼んでくれませんか?」
にっこりといつもの輝きを取り戻した太陽は、艶ややかな唇を動かす。
「にぃー…ほ?」
「惜しいっ……!」
アメリカくんは僕の唇に手を当てて、動かし方を確かめながらもう一度口を開いた。
「……にーほ、ん?」
「はいっ!」
僕はきっと、この時のことを一生忘れないだろう。
(続)
コメント
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ぜひともアメリカ君には成長していただきたい✨️ 大きくなって日本君をバックハグとか…夢がありますねぇ✨️✨️✨️