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第1話:燃える湖のほとりに
「服が……燃えてる!? ……いや、違う、これは……」
ロウスは一歩、身を引いた。
目の前に立つ男の身体からは、確かに炎が立ちのぼっていた。だが、その服も肌も焼ける気配がない。
男の肩には、真紅の羽根飾りがゆらゆらと揺れている。
「我はヒレオ。熱霧族を束ねる者だ」
ロウスは軽く頷き、手にした契約書の端をそっと整えた。
魔央建設、営業第九課──担当のロウス・マゼンタ。
淡い灰茶の長コートに、角張った魔導端末を胸元に吊るしている。年齢は三十前後。理知的な顔に、どこか煙のような表情を常にたたえていた。
二人の背後では、ぽつりとイネくんが浮いていた。
水色の半透明な球体。脚のような丸い出っ張りがあり、ふわりふわりと浮かんでいる。
その表面はつるりとしているが、内側ではかすかに光る線が泳ぐように動いていた。
「用件は、すでに伝わっているな」
「ええ、都市建設のご依頼──ですが、ひとつ確認させてください。
“燃える湖”とは、本当に水ではなく、炎の湖なのですか?」
「そうだ。我ら熱霧族にとっては、母の体温そのもの。
だが、長年そこに街を築こうとした者は、皆焼かれた。水を持ち込めば、霧が怒る。鉄を立てれば、熱が逃げる。
だからこそ、我らの望むものはただひとつ──
“熱を活かす街”だ」
ロウスは視線をイネくんに向けた。
イネくんはすぅっと空中を一周し、湖の方へゆっくりと近づく。
そして、ふわっとその体から、淡い光の線が描かれた。
まるで音楽のような、流れる旋律にも似た光。
それは炎の湖の上空に、水蒸気の通り道を視覚化するように、幾重にも螺旋を描いた。
「……これは?」とヒレオが言う。
「この地に自然に発生している水蒸気の流れを、イネが視覚化しました。
熱は中心から放射状に動いていますが、外縁に沿って“冷却の風”が戻ってきている」
ロウスは魔導端末にスケッチを記録しながら続けた。
「この循環を保ったまま、熱が逃げない構造をつくることで、安定した温度の保たれた街が築けます。
要するに、“湖そのもの”が魔力熱源でありながら、“冷却構造”を兼ねる──そんな都市です」
ヒレオの瞳が、かすかに細くなる。
「その設計……見せてみろ」
ロウスは魔導端末を操作し、魔央建設本部から設計図のベースデータを呼び出した。
そこには、湖の中心にドーム状の高低差をもった居住区が配置され、熱気が自然に上昇しながら通風塔へ流れる構造が描かれていた。
「さらにこの外周の通路は、あなた方の“熱の踊り”の儀式に合わせて傾斜を変えることも可能です。
演舞が熱の流れに影響し、街全体の蒸気圧を調整する」
「……おもしろい」
ヒレオは笑った。微かに立ちのぼる炎が、彼の背をなぞるように揺れる。
「我らが望むのは、建物ではない。“熱と踊る空間”だ。
その願いを、汲みとってくれるなら──」
彼は契約書に手を伸ばし、火の印を押した。紙は焼けることなく、朱色の痕だけを残した。
「商談、成立です」
ロウスが軽く頭を下げ、イネくんは静かにくるくると回転した。
こうして、かつて誰も住めなかった炎の地に、
初めて“熱を読む”都市が建つことになった──。