阿部ちゃんを駅の改札で見送ったあの日から、早いもので、もう一週間が経とうとしている。
本当は毎日でも会いに行きたいのだが、なかなか自由の利かないスケジュールが狙ったようにびっしりと立っていて、なかなか時間を作ることができない。
一分でも一秒でもあれば、すぐにでも会いに行きたいのに、それが叶わぬ程仕事が入っている。
お仕事をいただけるのは、本当に嬉しいのだが、こうもタイミングがないのはなかなかに辛いものがあった。
「〜〜〜っはぁ“ぁ“ぁ“ぁ“ぁ“…阿部ちゃんに会いたい……」
独り言にしては大きくなってしまったため息を、楽屋に吐き出す。
「また「阿部ちゃん」の話?何回目だよ。」
また始まったと言わんばかりの顔をして、俺の嘆きに反応する人がいた。
彼は同じアイドルグループのメンバーで、渡辺翔太くん。みんなしょっぴーと呼ぶ。
気だるそうで、いつも眠そう。シナモロールに顔が似ている。
仕事以外の場所では、いつも指輪をはめて大切そうに眺めているので、おそらく恋人がいるのだと俺は踏んでいる。
「いくら会っても会い足りないっす。それに、まだ2回しか会えてないし。」
「会いたいなら会いに行けば?一緒にいたいなら離れなきゃいいじゃん。」
相手がいるしょっぴーへ、せめてもの反抗心で答えたら、正論で返されてしまった。
「最後に会ったのいつなのー?」
佐久間くんからも質問が飛んでくる。
「一週間前の朝っす。」
「んまぁ、確かに嫁には毎日毎分毎秒会ってたいよねぇ。」
「佐久間くん…。わかってくれるんすね…。あぁ、足りない…枯れそう…。」
「にゃはは!まぁ、俺はいつでもそばに嫁がいてくれてるから寂しくないんだけどね!!」
そう言って、佐久間くんは、何かのイラストが描かれたキーホルダーを握りしめて楽屋の中を走り回っていた。
この人は、佐久間大介くん。
佐久間くんは、所謂アニメオタクで、恋するのに次元は関係ない、というのが持論だそうだ。基本元気にぶっ飛んでいる。
「俺もその気持ちわかるなー。どこにいて、何してるのか、全部知りたいし、ずっと隣にいたいもん。」
「岩本くんもそういう人いるんすか?」
「ん?んふふ〜、最近やっと付き合えたの〜」
そう言ってニマニマとチョコレートを頬張るのはリーダーの岩本照くん。
見た目は怖いけど、かわいいものと甘いものが大好き。
笑うとすんごいかわいい顔になるので、ファンのみんなはギャップにやられているそうだ。
「みんな相手いんのかよ…」
と独り言を呟けば、余計寂しくなって、阿部ちゃんに会いたい気持ちがいっそう強くなった。
「はい、みんなお疲れ〜、次の現場行くよ〜」
こんな曲者揃いのグループをまとめてくれているのが、今勢いよく楽屋のドアを開けて入ってきた深澤辰哉さん。みんなからはふっかさんって呼ばれている。
俺らのマネージャーをしてくれてて、デビューする前から今に至るまで、ずっと俺たちを支えてくれている。
最近顔色が良くなったので、何かいいことでもあったのかな、なんて勝手に想像している。絶対大変な仕事だから、ふっかさんが健康でいてくれていると安心する。
岩本くんとふっかさんが、次の現場での段取りなどを話し合っている。
何の気なしにその様子を見ていると、岩本くんがふっかさんの腰に腕を回し、肩に顎を乗せていた。
え?
そういうこと?
小さく聞こえたふっかさんの「ちょ、おま、、ここではだめ……っ」
という声を俺は聞き逃さなかった。
世間狭いな…………。
メンバーの恋愛事情を一つ知ってしまったことに、大変な衝撃を受け、そのショックから立ち直れないまま今日一日が終わった。最後の収録日程が再調整になったこともあり、今の時間は18時30分過ぎ、だいぶ早くに解散となった。これなら、今日会いに行けるかもしれない。いつでも返せるようにと、鞄にずっと入れたままにしていた阿部ちゃんの部屋着を握り締め、走った。
早く会いたかった。
早く顔が見たかった。
阿部ちゃんの家の最寄り駅まで来てみたのだが、道に迷ってしまった。
どこで曲がるのか、どこをまっすぐ進むのか、あらかた覚えていたと思ったのだが、朝に見る道と、日が暮れてから見る道とで、こうも様子が変わってしまうと自分が今どこにいるのかもわからなくなってしまった。
歩き続けた先で、オレンジ色の温かい光が見えた。
飲食店なのか、美味しそうないい香りがあたり一帯に漂っている。
看板には、英語は苦手なのだが、多分カフェ…ロイヤル…?と書かれており、OPENの札がかかっていた。
ぐぎゅうぅと自分の腹がなる音がして、思わず中に入ってしまった。
カランコロンとドアベルの音が鳴って、黒髪の端正な顔立ちの人が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
「あ、どうも。すいません、いきなり。」
「いえいえ、お好きな席で、ごゆっくりどうぞ。」
「うす。」
店内には俺しかいなくて、もしかして、もうすぐ閉店なのかと思うと少し申し訳なくなった。
「ご注文はいかがなさいますか?」
「あー、えっと、、」
初めて入るお店で、何を頼んだらいいのかわからず口籠もってしまうと、店員さんが
「何か、お困りごとですか?」と聞いてきた。
「え?」
「ふふ、顔に困っていると大きく書いてありますよ。」
「あー、ちょっと探しているものがあって…。借りていたものを返したいんですが、その人の連絡先も知らないし、家の近くまで来てみたんすけど道に迷っちゃって、そしたらここに着いて…。」
「ふむ…。」
店員さんは少し考えるような顔つきになって、唐突に
「お腹は空いていますか?」
と聞いた。
素直に「はい」と答えると、
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ。」と言ってキッチンの方へ戻って行った。不思議な雰囲気を纏った人だった。
しばらくすると
「失礼しまーす」と軽快な声が聞こえてきて、今度は堀が深いハーフ顔で、背の高い男の子がお水を持ってきてくれた。
「どうも」と受け取ると
「初めて見る人だ、僕ラウールっていいます。お兄さんはお名前なんていうの?」と聞いてきた。
「え…っと」
これは答えるべきなのか?どうなのか?と悩んでいると、
「らーう、失礼だからやめなさい。お客様困ってるでしょ?」と先ほどの不思議な店員さんがラウールに注意した。
「えええー、だってお客さんと仲良くなりたいもん。」
「話しかけ方ってものがあるでしょ?相手が引いちゃってたらそれは会話にはなってないよ?」
「…はぁい……。ごめんなさい。」
「あ、いや、大丈夫だよ。ラウールだっけ?俺、目黒っていいます。好きに呼んで。」
「目黒くん!ありがとう!!」
流石にフルネームを教えるのは憚られ、苗字だけ名乗った。
「ありがとう、目黒さん。さて、お待たせしました。」
と黒髪の店員さんにお礼を言われた後で、料理が運ばれてきた。
「ありがとうございます、めっちゃうまそう…。」
「よかった、目黒さんの探している人が見つかるように、ファイン丼です。」
「ふぁいんどん?」
「オーナーがオリジナルでご飯を作るときは、いつもいろんな名前を付けるんだよ!すっごい美味しいよ!!」
「見つけるって意味が、“find“だから、そこに丼をくっつけてって駄洒落だけどね。」
「へぇ、すげぇ、ありがとうございます。いただきます。」
ゆで卵のスライス、ごろっと角切りされたアボカドとトマト、サーモンが、オリジナルで調合されたタレに染み込んでいて、しっかりと味が付いている。アクセントに胡麻とバジルがかかっているのに喧嘩していないのが不思議だ。すごくおいしかった。
さっぱりしているのに、お腹にたまって、元気が出てきた。
あっという間に食べ終わってしまった。
「あの、すいません。コーヒーとサンドイッチの持ち帰りってできますか?」
もう一度、阿部ちゃんの家を探してみようと気持ちが強まった。コーヒーを持って探しに行こうと思い聞いてみると、オーナーは嫌な顔一つせずに豆を挽き、サンドイッチを作ってくれた。
「目黒くん、よかったらまた来てね。今度はその探してるっていう人と一緒に。」
ラウールがお会計をしてくれる。
「うん、ぜひ。今度はその人も誘ってみるよ。」
代金を払い、コーヒーとサンドイッチを受け取った。
「ごちそうさまでした、おいしかったです。」
「そう言っていただけて何よりです。またのお越しをお待ちしております。ありがとうございました。」
店を後にし、阿部ちゃんの家を探しに向かった。
別れ際、オーナーの首にかかる指輪が目に入り、どこか見覚えがあるような気がしたけれど、結局思い出せなかった。
見覚えのある道、電柱、曲がり角、進んで戻って方向を変えて、歩き続けてやっと阿部ちゃんの家に辿り着いた。
達成感から思わず、よしっ!とガッツポーズした。
表札を確認し、インターフォンを鳴らすが、反応はなかった。
また、残業してるのかな。大変そうだな。体壊してないといいな。ご飯食べてるのかな。
帰ってくるまで、ここで待ってよう。
そう決めて、阿部ちゃん家のドアの前にしゃがみ込み、阿部ちゃんが帰ってくるのを今か今かと待っていた。
夜も更けるとなかなか冷える。
寒さに縮こまりながら、阿部ちゃんの顔を頭に思い浮かべていた。
…………………To Be Continued.
コメント
4件
ゆり組ですね🥰
指輪のフラグ回収がお見事すぎて…! まさに『世間は狭い』ですね😊