テラーノベル
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第二話 あなたの心臓は、どこにあるの?サクラと出会って、三か月が過ぎた。
ジユンは彼女のために、毎朝パン屋で焼きたてのパンを買った。
サクラは彼のために、くだらない話をたくさんした。
雨の日に転びそうになったこと。
お気に入りのラジオ番組のこと。
いつか海に行って、波の音を一日中聞いてみたいこと。
ジユンは、そのすべてを覚えていた。
一度聞いたことは、忘れない。
それは吸血鬼の性質だった。
けれど、サクラはそんなことを知らない。
「ジユンさんって、私の話、全部覚えてますよね」
「そう?」
「先週、好きだって言ったジャムまで覚えてました」
「……記憶力がいいんだよ」
「それだけじゃない気がします」
サクラは彼の手を取った。
「ジユンさん」
「なに?」
「心臓の音、聞かせてください」
ジユンの表情が凍った。
「……なんで?」
「私、自分の心臓の音を聞くのが好きなんです。生きてるって感じがするから」
サクラは自分の胸に手を当てた。
「ジユンさんの音も、聞いてみたいなって」
静かな沈黙が落ちた。
彼女は知らない。
ジユンの心臓は、何十年も前から、人間のようには動いていない。
「……ごめん」
ジユンは手を引こうとした。
けれどサクラは、その手を離さなかった。
「嫌でしたか?」
「違う」
「じゃあ……」
「サクラ」
初めて、彼は少しだけ強い声を出した。
サクラの指が止まる。
「……僕のこと、知らないほうがいい」
「どうして?」
「僕は、君が思っているような人間じゃないから」
言ってしまった。
もう戻れない。
サクラはしばらく黙っていた。
やがて、彼女は小さく笑った。
「私、ジユンさんが人間かどうかなんて、気にしたことありません」
「……え?」
「だって、ジユンさんはジユンさんでしょう?」
彼女の手が、再び彼の手を包み込んだ。
「私が道に迷ったとき、助けてくれた人。私の話を覚えていてくれる人。寒いときにコートを貸してくれる人」
サクラは少し首を傾けた。
「それじゃ、だめですか?」
ジユンは息をすることさえ忘れた。
人間ではないと告げれば、彼女は怖がると思っていた。
怪物だと知れば、逃げると思っていた。
けれどサクラは、見えない目で彼の居場所を探していた。
まるで、ずっと前から知っていたかのように。
「……サクラ」
「はい」
「もし僕が、本当に化け物だったら?」
サクラは微笑んだ。
「そのときは……私が、ジユンさんの名前を呼びます」
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からくり時計
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#王子
すっこ
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「……どうして?」
「化け物になっても、名前を呼ばれたら、少しだけ自分に戻れる気がするから」
その夜、ジユンは初めて泣きそうになった。
人間の血を飲まなくても、生きていける方法。
そんなものを、ずっと探していた。
けれど、本当に必要だったのは。
永遠に続く夜の中で、自分の名前を呼んでくれる誰かだったのかもしれない。
コメント
1件
三か月分のパンと他愛ない話の積み重ねが、最後の一言で全部つながりましたね。記憶力ではなく記憶の意味を問う構造も、心臓の音を「生きてる感じ」と語るサクラの感覚も印象的で、見えない目で居場所を探す描写は後の伏線と見ました。永遠の夜より、名前を呼ばれる一瞬のほうが強い——静かに響きました。