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気がつくと森の中で佇んでいた。
見上げてみても青々と生い茂る木々が邪魔で空はあまり見えない。木漏れ日が差し込んではいるものの気温はそれほど高くはなく、木陰のせいか少し肌寒く感じる。
それはそうだろう。俺の出で立ちは病院で借りた手術着と、病院のスリッパを履いているだけだ。スリッパにはでかでかと病院の名前が書いてある。
ガブリエルが最後に「転生者だと知られない方が面倒がなくていい」と教えてくれたが、こういうのはいいんだろうか?
「まあ、なるようになるか……。確か太陽の方角に向かえば、小さな村があるって言ってたな……」
たまにはこういう散歩もいいものだ――と言いたいところだが、頭の中は不安でいっぱいだった。
一番の問題は、お金がないということだ。そもそもこの世界の通貨もわからない。村に着いたら仕事を探して寝床の確保が当面の課題。
それ以前に、村はよそ者を迎え入れてくれるだろうか?
歩き出して数十分、未だ森は抜けていないが、何かの気配を感じて振り返る。
風もないのにガサガサと低木を揺らして近づいてくる何か。
小動物という感じではない。パッと思い浮かんだのは熊だったが、背丈は低木よりもさらに低い。
(猪? ……いや、野犬か狼か……?)
そもそもここは異世界だ。獣ではなく魔物か、もしくは狼に似た別の生物かもしれない。
「……におい……にくぅ……」
その声は、向かってくる獣の方から聞こえてくるが、人の気配は感じない。ひとまずは、逃げた方がよさそうだ。
「マジかよ……クソッ」
村があるであろう方へと向かって駆け出すも、後ろから迫りくる音と気配は徐々に距離を詰めてくる。
どちらかといえばインドア派であるため、運動はそれほど得意じゃない。
「スリッパ……走りづらすぎるだろ……」
文句を言っても、走る速度は上がらない。スリッパを捨てて裸足で走った方が速そうではあるが、足がずたずたになってしまうのは確実。
それでも食われるよりはマシ。いざとなったら裸足で走ろうと、覚悟を決める。
百メートルほど走っただろうか。雑木林を抜けると、太陽の眩しさに目を細める。
目の前に広がるのはだだっ広い草原。眩しさに目が慣れてくると、二百メートルほど先に丸太を隙間なく並べたような壁が見える。
その高さは三メートルほど。取っ掛かりもなく、飛び越えるのは無理そうだ。
「村か! 入口は!?」
それはどこにも見当たらず、追手は追跡の手を緩めるつもりはない様子。
当然足を止めるわけにもいかず、不摂生が祟ってか、心臓は今にも破裂しそう。
その時だ。ヒュンという風を切る音と共に、何かが自分の頭上をかすめた。
ドスッというやや重めの音と同時に聞こえたのは、キャウンという鳴き声。
反射的に振り向くと、そこには地面に突き刺さった一本の矢と、やや大きめな狼のような獣がいた。
それは唸りながらも、俺を鋭い眼光で睨んでいる。
「グルルル……」
今にも飛び掛かってきそうな迫力だが、矢を警戒してか躊躇っているようにも見える。
振り返らずに走っていればと今更ながらに後悔するも、時既に遅し。
しかし、永遠に続くかと思われた睨み合いも、そう長くは続かなかった。
「おーい! こっちだぁ!」
不意に轟く男性の声。それと同時に地面へと突き刺さる、もう一本の矢。
今しかないと残りの力を振り絞り、呼ばれた方へと全力で駆ける。
その声の主は、壁よりも高い物見櫓の上で弓を引き絞っていた。
間もなく三本目の矢が放たれ、鋭い風切り音が頭上を過ぎると、すぐ後ろから聞こえる鈍い音。
間髪入れずに次の矢をつがえる男だったが、それが風を切ることはなかった。
「もう大丈夫だ!」
弓を下ろし、大袈裟に手を振る男。振り返ると、俺を追っていた狼は既に森へと逃げ帰っていた。
ひとまずは助かったことに安堵し、荒れた息を整えつつゆっくりと歩く。
「平気か!?」
俺は、それに片手を上げて礼をするのが精一杯。
村の壁に沿って物見櫓を目指すと、大きな木製の門が目に入る。そこに先ほどの男性が降りてきて、俺を出迎えてくれた。
木製の弓に矢筒。普段着であろう布の服の上には革製の胸当て。兵士というより狩人という雰囲気の男性。
少し肌が焼けているのは外の仕事だからだろうか。年齢は二十代前半で、気持ちのよい青年だ。
「ありがとう。助かったよ」
「いいってことよ。それよりも、ケガは?」
感謝しながらも自分の足に目をやると、土埃で汚れた足首から血が流れていた。
逃げている時に、木の枝にでもひっかけてしまったのだろう。意識した途端に、ずきずきと痛みが込み上げてくる。
「おいおい、結構ざっくりいってんじゃねえか。ちょっと見せてみろ」
その場でしゃがみ込んだ男は、腰に付けていた革袋を取り出し栓を開けると、その中身を傷口に豪快にぶちまけた。
「ぐおお……染みるッ」
「我慢しろ。冒険者だろ?」
いや、冒険者ではないのだが……と、言いたいところではあるが、真剣に傷を見てくれている手前、言い出せない。
持っていた布で傷周りの汚れを拭き取ってくれてはいるが、流血は止まることなく、じわりじわりと滲み出てくる。
「結構深いな。ギルドに行った方が早いか……」
布を傷の上からあてがい止血する。その手際のよさから、素人でないことは一目瞭然だ。
「よし、ギルドに行くぞ。肩を貸してやるから、ほら」
「いや、一人で歩けるので……」
「まあ気にすんなって、お互い助け合いだろ?」
「……すまない」
男は俺の腕を肩に回し、足をいたわるようにゆっくりと歩き出す。
今までいた世界とは違う場所。 正直不安は尽きなかったが、この親切な男だけは信じてもよさそうだと思えた。