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「…………すまなかった。瑠衣は俺が『愛音』として見ているかもしれないって事を、一番気にしているんだよな。迂闊だった……」
瑠衣は瞳をそっと閉じると、無骨な手が彼女の髪をそっと撫でていく。
(俺は……彼女に翻弄されている。だが、もう彼女に避けられるのは御免だ。たった一週間、同じ家にいるのに必要最低限の会話と挨拶だけの生活は…………俺にとって……ただやり切れない思いしかなかった……)
二人は抱きしめ合いながら、様々な国の飛行機が離着陸する様子を、黙ったまま見つめていると、瑠衣がポツリと言葉を零した。
「先生とウィーンへ行けるのを…………楽しみにしてます。それから…………」
瑠衣が侑を見上げると、何かを言いたそうな表情を浮かばせた後、穏やかに微笑みながら言葉を紡ぐ。
「……ミニコンサートのアンコールで演奏した曲…………素敵過ぎて……涙出ちゃいました……」
(瑠衣のこの笑顔…………ずっと見続けていきたい。ずっと…………俺だけに……見せて欲しい……)
二人はどちらからともなく唇を重ね合った後、紫紺に染まり光の粒子を纏った羽田空港を見つめていた。
「…………お前、もう少し楽しそうに吹いたらどうだ? 何となくだが、譜面に乗っかっている音符をそのまま吹いているようにしか聴こえんぞ?」
翌日は、午前中から自宅防音室で侑のレッスンを受け、六月のコンクールで演奏する『トランペットが吹きたい』を練習している。
「いいか? 旋律がシンプルになればなるほど、表現が重要になってくる。今年に入って再度ラッパが吹きたいって思った気持ちを、この曲にぶつけてみろ。もう一度頭から」
「はい。お願いします」
侑が伴奏音源を流し、腕を組みながら瑠衣の後方に立つ。
瑠衣が演奏している後ろで、侑が『もっとラッパで歌え』『そう、そこが気持ちがピークになる所だ』『ラッパを吹く楽しさを音で全面に出し切れ』と煽るように声を掛ける。
(音楽を教えるのに、こんなに熱が入るのは久々だな……)
侑は瑠衣にレッスンしながら、久々に音楽への情熱を思い出したのか、指導するのに力が入っていくのを感じていた。
響野門下生の中でも、特に出来の悪かった瑠衣を四年振りに再び教え始めた侑。
大学卒業間際、自分が譲った楽器を奏でる事はなくても、あの娼館にいてもずっと持ち続けていた瑠衣。
以前、彼女に『もうラッパを吹きたいとは思わないのか?』と聞いた時、彼女は『先生と再会してから、また吹いてみたいな、と思う事は時々あります。でも、それよりもまずは…………借金返済……しなきゃ……』と、困惑したような笑みを覗かせていたのを思い出す。
この空白だった四年間、娼婦として経験した事や、心の奥底に沈んでいた瑠衣の思いが、現在の彼女が奏でる音に表れているような気がした。
(もっと……もっと…………彼女のラッパを吹きたい気持ちを……音で引き出せるはずだ)
侑は熱を注ぐように、演奏している瑠衣の背中に声を掛けた。