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「最後のロングトーンにもっと音楽を感じろ。しっかり伸ばして音を更に遠くに飛ばせ」
侑の声を感じながら瑠衣が眉間に皺を寄せ、最後の音を奏で終わると徐に楽器を降ろした。
「…………大分形になってきたな。今日はここまでにしよう。お疲れ」
「ありがとうございました」
侑に一礼すると、彼は防音室を後にし、瑠衣は楽器の片付けと手入れを始めた。
(今日のレッスンの時の先生、何だか気合いが入ってた感じだったな……)
熱の籠った侑の指導に触発されたのか、瑠衣は手入れを止め、再び楽器にマウスピースを装着させ、『トランペットが吹きたい』の伴奏音源を再生させる。
伴奏を聴き流しながら、なぜ自分はまたトランペットを吹きたいと思うのかを考えた。
中学時代に聴きに行った東京総芸大の演奏会で、当時は知らなかったが、侑がトランペットソロを吹いているのを見て衝撃を受け、憧れ、トランペット奏者になる事が瑠衣の将来の夢となった。
東林大学附属菅戸高校に進学し、高二で吹奏楽コンクール全国大会出場。
立川音大に進学して、侑に師事してからは厳しいレッスンと辛辣な言葉に、何度も心が折れそうになった。
大学院進学の事をレッスン中に侑に言ったら、あまりいい顔はしなかったように思う。
自分より上手い学生なんて、ごまんといるのだから。
大学院に合格するも、家業の業績不振で会社をたたむ事になり、院進学を諦めて以降、瑠衣の人生は転落の一途を辿り、両親は自殺し、父が遺した借金を背負い娼婦に成り下がった。
それでも心が腐らずに済んだのは、大学卒業直前の最後のレッスンで侑が瑠衣に託したトランペットがあったからこそ。
娼婦だった四年間、彼がくれた楽器を吹く事は一度も無かったが、彼女の心の支えだったり、お守りのような存在だった。
そんな中で瑠衣の憧れだった侑と『客と娼婦』として再会、彼との情事、そして……娼館の火災と、家族でもあり姉のような存在でもあった凛華の死。
侑から頂いた楽器も、あの烈火の海に覆い尽くされ、変形してしまったとはいえ娼館の跡地だった漆黒の中に、色が燻んだ状態で残っていた。
色褪せた金色のベル部分が、瑠衣にとって希望の象徴のように感じ、また吹いてみようという気持ちになったのだ。
恩師からキツい言葉を放たれても、楽器から離れていた時期があっても、やっぱり私は…………トランペットを吹く事が……好きなんだ。