テラーノベル
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静まり返った城の奥。
図書室よりさらに奥まった、知識の間。
本棚ではなく、“記録”の保管庫。
天井から差し込む柔らかな光が、回転するうずまきの頭部に反射していた。
「……ですからね。これは本来ならば《天王》や《魔王》ですら知らない情報なんですよ」
男の名は、グウィン。
“知恵の使徒”と呼ばれる存在であり、常に穏やかだが、何かを試すような声音が混じる。
「……俺だけにって、また面倒な話か?」
「面倒、ですか? ふふ……それはまあ、聞いてみてから判断していただいても」
透は無言のまま、真っ直ぐにグウィンの“顔”を見た。
……いや、“顔だった場所”を、だ。
「いいでしょう。お話しします」
グウィンの声が、どこからともなく響く。
次の瞬間、後ろの壁が機械仕掛けのように音を立てて開き、そこには9枚の古びた石板が現れる。
「これは、禁忌記録ナイン・シン。長らく封印されていた記録です」
透は眉をひそめた。石板には、それぞれ人の形をした“ぼやけた影”と、背筋を凍らせるような文章が刻まれていた。
「……全部人間か?これ」
「ええ。元は“人間”です。この9人が誰か…貴方がよく知っているはずですよ?」
9つの“ぼやけた影”を見て直感でわかった。あの日、襲撃してきた“アイツら”だ、と
グウィンがひとつの石板に指を伸ばす。
「彼ら9人はかつて……各国を単独で転覆させようとし、捕縛・封印された超級の犯罪者たち」
「……は?」
「“王を殺した者”“神を名乗った者”“街を一夜で消し飛ばした者”……ひとりひとりが、《一国滅亡級》の力と狂気を持っています。“並の幹部”など、まるで相手にならないでしょうね」
石板の文字が、透の目に焼きついてくる。
《狂笑の男》──声に触れた者は正気を失う
《千の刃》──一秒に千の殺意を繰り出す者
《連弾》──魔力の弾を雨のように降らせる戦狂い
「彼らを収監していた場所は、“終淵牢”。本来、二度と外へ出すことのない“世界の底”でした」
「……なんでそれが、今外に?」
「それが誰かが意図的に“封を解いた”としか考えられません。わたしもそこまではまだ追いついていないですし」
「目的は……?」
「“あなた”、です」
グウィンの声が、微かに重くなった。
「トオルさん。あなたの中に“厄災の使徒”がいるという話は、もうご存じのはずですね?」
「……ああ。ステラ達から聞いた」
「彼らは、それを“奪う”か“壊す”か……もしくは、“覚醒させる”つもりなのかもしれません。ですが──確実なのは、あなたが彼らにとっての“中心”であるということです」
透はゆっくりと息を吐いた。
「だから……他の奴らには、話してないんだな」
「そのとおり。……混乱を避けたいのでしょう? あの魔王様も、天王様も」
グウィンの言葉は、どこか冷めているようで、それでいて楽しんでいるようでもあった。
「わたしは、すべての情報をあなたに渡します。“知る”ことは“選ぶ”ことに繋がりますからね。……どこまで受け止めるかは、あなた次第」
「……チッ」
透は、舌打ちをひとつ。
だが、目だけは逸らさなかった。
「9人の居場所……わかるか?」
透が問うと、グウィンは小さく息を吐いた。
「断片的には、ですね。まるで“猫と鼠”のような追いかけっこですが……ふふ」
そう言いながら、指先で石板を撫でる。指が触れた瞬間、ひとつの影が“ぞわり”と蠢いた。
「とはいえ──」
言葉を切ると、グウィンはひとつ“演技めいた間”を置いて、ゆっくりと語る。
「わたくし、ずっと傍にいる……などとは申しませんよ? 情報は与えますが、守るのは皆さんの“仕事”ですからね。なにせ、わたしは“知恵の使徒”であって“盾”ではありませんので」
「……」
「それにわたしが全てを管理してしまったら──あなた方の成長の芽を、摘むことになりますから。ねえ、トオルさん?」
その声は、丁寧な口調でありながら、底に見え隠れする黒い笑みが隠しきれていない。
「知識というのは時に毒にもなる。だからこそ……“誰に、いつ、何を教えるか”は慎重に選ばねばならない。
わたしが、今この瞬間に“あなた”に語ったことには、もちろん──“理由”があります」
「……理由?」
「ええ、“あなた”は、まだ“選べる”立場にあるからです。誰を信じ、どの手を取るのか……それとも、全てを壊してしまうのか」
最後の言葉だけが、何故か部屋全体にこだまするように響いた。
まるで、誰かの思考に直接語りかけてくるかのような、嫌な余韻が残る。
「では、ごきげんよう──また会いましょう、“器”の少年」
そう言って、グウィンの体が淡い粒子にほどけ、記録の間から忽然と姿を消した。
その瞬間、石板の影が――ゆっくりと笑った。
何も言わず、何も動かず。
それでも確かに、“こちらを見ている”ようだった。
◇ ◇ ◇
「……強くなりたい」
その言葉が、ふいに零れたのはアヴィアの夜だった。
街は仮設の灯りに照らされ、まだ復興の影を引きずっている。だが、透の胸にあるのは──焦燥。
(“いつか乗っ取られる”って……)
ステラの言葉が頭に残っていた。冗談じゃない。自分の中にいる“何か”が暴れだし、誰かを傷つけるなんて――絶対に、いやだ。
(だったら強くなるしかねぇだろ……!)
けれど、どうすれば?
「……人類最強に頼めば行けるんじゃ…?」
自分でもバカだと思った。でも、一度考えてしまえば、もう止まらない。
──そして今。
透は城の一角、訓練場裏に立っていた。静かすぎる夜風が、耳元で唸る。
「……さすがに来ないか」
そう呟いた直後、何かが空気を切り裂いた。
風の流れが変わった。いや、“圧”だ。
「よく来たな、トオル」
重厚な甲冑の音と共に、白銀の男が姿を現す。
ルクス。
“無冠の騎士”。王国騎士団団長にして、“人類最強”の名を持つ存在。
その佇まいはまるで神話から抜け出してきたかのようだった。月光を背にして立つその影は、鋼鉄の像のように無言の威圧感を放つ。
「……ほんとに、来るんだな。お前ってやつは」
「何となく“来るべきだ”と思っただけだ」
兜の奥から響くのは、静かで落ち着いた声。いつもの通り無駄がなく、だがどこか人間味もある。
透は数歩、彼に近づいて頭を下げた。
「……頼む。俺を、鍛えてくれ」
「理由は?」
「強くなりたいから。……“俺の中にいるやつ”に、負けないために」
「なるほど」
ルクスはわずかに顎を動かした。満足げというより、納得したような雰囲気。
「答えは──可だ」
「……!」
「ただし、俺は“教え”はするが、“助け”はしない。ここから先、お前が“折れた”ら、俺は手を引く。理解したか?」
透は唇をかみしめながら、うなずいた。
「わかってる……それでも、俺は──」
「言葉はいらない。行動で示せ。お前の覚悟は、“訓練”が試してくれる」
「……ッス」
返事になっていない返事を返した瞬間、ルクスの甲冑から微かな光が漏れる。まるで“聖なる気配”が立ち上るような、純白の波動。
「訓練は明朝から始める。……時間通りに来てくれ」
「おう」
ルクスはそれ以上何も言わず、静かに背を向けて歩き出した。
透はしばらく、その後ろ姿を見送る。
(……人類最強に頼んじゃったな、俺)
不安と期待が入り混じる胸の奥で、何かが熱を帯びていた。
そしてその足元には、微かに白い羽のような魔力の欠片が、ひとつだけ残されていた。
◇ ◇ ◇
朝焼けと共に、地獄は始まった。
正確には、“人類最強の地獄”だ。
「では始めるぞ、トオル」
静かに、だが確実に“宣告”のような声が落ちる。
「まずは──腕立て伏せ、腹筋、スクワットを各5000回ずつ。5セット」
「…………は?」
一瞬、何かの間違いかと思った。
だが、ルクスの声からは一切の揺らぎもない。機械のような、神のような、容赦のない視線を兜越しに感じた。
「しっかり回数を声に出せ。“カウント”は戦闘時に意識を保つ基礎だ」
「マジかよ……」
地面に両手を突き、腕立てを始める。
1回目。軽い。2回目。まだいける。3回目、4回目──100回目。すでに汗が額から滴っていた。
「……ルクスって、本当に人間か……?」
最初の1セットを終えた時点で、腕は鉛のように重く、足もぷるぷる震えていた。
それでも、ルクスは淡々と次のメニューを指差す。
「次は剣の素振りだ。6000回を3セット。足腰に効かせるんだ、雑に振るな」
「地味に1万8000回!?」
重い木剣を受け取った瞬間、肩が軋んだ。振るたびに筋肉が悲鳴をあげる。
だが、ルクスは何も言わない。ただ黙って、カウントを聞いている。
(耐えろ、俺……!)
時間も回数も感覚も、途中から麻痺していく。
最後の一振りを終えた瞬間、透はその場に倒れ込んだ。
「これで終わ……るわけない、よな」
「当然だ」
ルクスがふと、地面に“地図”を魔法で描き出す。
「次はアヴィア全土の周回だ。……朝日が落ちるまでには帰ってこい」
「いやいやいやいや、マラソン……?」
「心肺機能、脚力、忍耐、地形認識──すべてがここに詰まっている。“走れ”」
ルクスの一言に、透の脳が悲鳴をあげた。
「アヴィア一周って、お前……っ、え、いや、どんだけ広いと思ってんだよ!? 村とか国境とか、いくつあると思って……!!」
「走れ」
問答無用だった。
……そして、
透は走った。吐きながら、転びながら、顔を泥と血と汗でぐちゃぐちゃにしながら。
その道中で、家畜に追われたり、落とし穴に落ちたり、村の子どもに「ゾンビが来たー!」と泣かれたりもしたが――。
それでも、走った。
走って、走って、走って――。
気づけば夕焼けが差し、アヴィアの城門が見えていた。
(帰って……きた)
その場に倒れ込み、意識が飛ぶ寸前――ルクスの声が聞こえた。
「……悪くない。明日は、もう少し負荷を上げるか」
「……え?」
その一言で、完全に意識がぶっ飛んだ。
◇ ◇ ◇
部屋の窓から、やわらかな陽が差し込んでいた。
いつもより静かな空気。けれど落ち着かないのは、たぶん、俺のせいだ。
ステラはいつも通り、椅子に腰掛けて紅茶を傾けていた。
透はその前に立って、何を話すでもなく、ぼんやりと空気の動きを感じていた。
「……トオル」
「ん」
「お前……少し、変わったな」
それは、ふとした問いのようで──
芯を突かれたような言葉だった。
「変わった、か。まあ、訓練とかいろいろあったしな」
透は笑って答えたつもりだった。でも声が少しだけ濁っていた。
ステラはカップを静かに置き、こちらを見た。
その目に、責める色はなかった。ただ、確認するような、そんな瞳。
「……自分の中に別のものがあると気づいたのはいつだ?私たちが伝えた云々は置いといて、だ」
「……」
喉が、少しだけ詰まる。
でも、もう誤魔化す気も起きなかった。
「最初に“扉”を開いた時から……たぶん、ずっと」
「それは……“災い”か」
「……さあな。でも、間違いなく、俺の中にある」
言いながら、胸の奥が、ズキリと痛んだ。
心臓じゃない。脳の奥、もっと奥――言葉にならない場所が軋むように。
ステラは席を立った。
透の前に来て、ほんの少しだけ、顔を近づけて言った。
「……壊れるなよ。お前はまだ、“トオル”だ」
その言葉は、妙に温かくて、同時にぞくりとした。
「俺ってそんなにヤバく見える?」
「“災厄の器”という言葉が、ただの称号なら、そうでもなかった。だが」
ステラは静かに背を向ける。
「今のお前は、それを“現実”にしていきそうな目をしてる。……自覚はしておけ」
部屋に、再び静寂が戻った。
本人も気付かず、他者も気付かず。
透の中で少しずつ、なにかが。黒いものが。脈を打ち始めていた
コメント
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本当に有名になって欲しい、切実に願う!!!! これまじで1話1話が2万いいねついてもおかしくない