第1話:デバイスの向こう側
東京湾沿いの再開発エリア、シスケープ第7開発ビル。
その奥まったフロアの隅に、ひときわ静かなブースがある。
ガラス越しに見えるのは、黒いパーカーに紺のジャケットを羽織った青年。
前髪が左目にかかるほどの黒髪、無精髭もなく整えられた顔立ち。
彼の名はユーヤ。NEO-Vの内部制御コードを扱う若手エンジニアだ。
「……仕様変更、4行目で反転処理に不整合。リバート後、4秒で再試走行。」
誰に聞かせるでもなく、低くつぶやきながらキーボードを打ち込む。
上層から突然飛んでくる“例によって”の仕様変更。
社内チャットには「今日の昼、またバグ消し祭りらしいぞ」と、誰かのぼやきが浮かんでいる。
昼休みの時間。
他部署のメンバーがCOKOLO内で雑談している中、ユーヤは無言でNEO-Vを装着した。
【COKOLO → LAST STRIDE】
転送先は“ファントムタグ戦”のアリーナ。
赤錆の鉄骨群が残る、廃工場型マップ。
system_0――誰もがその名を知り、誰もその正体を知らない。
装備は防御重視の黒いスーツアバター。片手には連射式のホロライフル、背面にフラッシュナイフ。無駄が一切ない構成。
試合開始と同時に、爆発と共に一人のファントムが倒れる。
タグは宙を舞い、system_0がそれを静かに拾い上げる。
――ここから、逃げ切れ。
地上に照準を合わせる敵。だがsystem_0はビルの影を“重力カットジャンプ”で三階層飛び越える。
敵が目を見張る間に背後へ回り込み、わずか0.3秒の硬直を突いて背中に一閃。
タグを奪われた者はログアウトの霧へと包まれる。
「誰も……何も言わないのか?こいつ……」
無言のまま、冷却煙の中を歩き去るsystem_0。
その視界には、勝敗の数字ではなく、データの“バランス崩壊率”が表示されていた。
【現実側】
「……あ、またこいつ逃げ切ったって」
社内の開発者チャンネルがざわつく。
一部のプレイヤーたちはうすうす気づいている。“system_0”はプレイヤーの域を超えている。
だが、誰もそれをユーヤと結びつけることはない。
彼は今日も、社内チャットを無言で閉じ、モニターに再びコードエディタを開く。
「“正しい動作”と、“楽しい仕様”は違うんだよ」
デバイスの向こう側にしか、彼の声は存在しない。
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