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黒衣の僧侶たちが列を成し、北へと歩を進めている。牙剥く凶暴な風に衣を翻し、ぼやけた陽光に異国の鉄仮面が鈍く光る。それはまるで起き上がった影が明かりと温もりを恐れ、より暗い方へ、より寒い方へ、その源たる冬の麾下に加わらんとする行進のようだ。行く先には歯牙の如き鋭い山々が聳え、その隙間を縫うように広漠とした野原と縫合跡のような街道が伸びている。
率いるのは第四局首席焚書官アンソルーペだ。そして恩寵審査会総長モディーハンナによって鉄仮面を固定されてしまったので、今はもう一つの人格である虚無がその体を支配している、と焚書官たちに思われている。実際の所、仮面のつけ外しは二つの心の交代の合図に過ぎないのだが。
心の内で虚無が問いかける。
「本当に海路なんだろうな? 」
「保証はできませんが。あなたの求める巨人の屍って巨大なんですよね?」とアンソルーペが問い返す。
「当たり前だろ。でなきゃ巨人なんて呼ばれるかよ」
「じゃあ海路ですよ。船でなければ運べないでしょう。そしてまず北周りで補給のために何度も植民市に寄りながら大王国へ運ぶはずです。屍の分だけ物資を積み込めませんから。南のハイヴァを通る可能性も僅かにありますが」
「ハイヴァ?」
「半島と大陸を分かつ海峡です。しかし関門はガレインに抑えられていますから、まず通れません」
「南周りを選んでいたらどうするんだ!?」
「運が悪かったと思ってください」
その後も二つの人格を持つ者に導かれながら第四局の焚書官たちは凍り付いた大地を北上した。
精強だが変わらぬ景色に倦んでいる一行がガレイン連合の北の一角、玩具の山王国の領域に入ったある日の昼、街道の真ん中で副官ドロラが忠告を発する。
「東から高速で何かが接近しています。馬よりずっと速いです」
虚無は東に目を向けるが、古の戦を未だに覚えている厳めしい山々と古の時代など疾うに忘れ去った寒々しい土地の他にはまだ何も見えない。
「俺たちを目指して来ているのか?」歩みを止めることなく虚無は問う。
「いえ、私たちの歩みに合わせて修正している様子はありません」ドロラは確信した声色で断言する「ただ真っすぐに西に向かっているようですね」
「使い魔だな。捨て置くぞ」
「何故ですか? 我々の任務は白紙文書及びかわる者の奪還ですよね?」
その通りだ。それが自由に動ける地位を得る条件としてモディーハンナに提示された任務だ。しかしそれもこれも虚無にとっては巨人の屍を得るための策の一つに過ぎない。このまま任務を遂行するふりをして巨人の屍を得てしまえば問題にならない。が、それを知る者は一人、あるいは二人だ。
「言っただろ? 現状、かわる者がどこかを拠点にしているとすれば救済機構の手の及ばない大王国の植民市のどこかだ、と。こいつは」と言ってアンソルーペは東の空を指す。「誰にも属していない自由を得た奴だろ」
「あくまで可能性が高いという話で、植民市以外に拠点があってもおかしくないですよ。この使い魔はかわる者に与えられた任務の帰還途上なのかもしれません」
「捕まえましょう。聞けば分かります」と心の中のもう一人に提案される。
「考えられる使い魔は何だ?」と虚無は部下に問う。
「運ぶ者、駆る者、飛ぶ者、かわる者」とドロラは答えた。「お忘れですか? 魔法少女は杖に乗って飛べます」
「それを先に言え。総員! 戦闘態勢! 東から高速で接近する者あり! 手段は問わねえ! 迎撃せよ!」
僧兵たちが黒塗りの鞘から一斉に抜刀し、呪文を唱え始める。様々な力ある言葉が混ざり合って、東方へ殺意が向けられる。
剣先の如き山の頂に空の染みのような何かが見えた、と思った次の瞬間にはその何かが僧兵たちの伸ばした手さえ届きそうな直上を通り過ぎ、次いで爆発的な衝撃波と耳を劈く音が叩きつけるように降り注いだ。その理外の存在に辛うじて反応できたのはアンソルーペだけで、しかしそれでも剣は宙を掻いた。鉄仮面の集団は豪雨に見舞われた蟻の行列のように弾き飛ばされてしまった。飛来者はまるで地に沿うように飛行し、巻き起こす空気の塊と共に西方の山の谷間へと去っていった。
「あんなもんどうにかできるもんか!」と虚無が悪態をつく。
「飛ぶ者ですね。あのような魔術がこの世に存在するとは」とドロラが感心する。
「人間に使える代物じゃねえよ。捨て去られた魔術を使い魔だから使えたんだ」
「それで、いかがしますか? 奴が高速で飛び続ける限りは探知魔術で追えますし、飛行の魔術を止めた場合もその地点は把握できますが」
あの魔術は使えないにしても、役に立つ飛行魔術が他にもあるかもしれない。ならば、今後の為にも取得してもいいだろう。虚無はそう考え、しかし僧兵たちには飛ぶ者の向かった先にかわる者がいる可能性が高いとして追跡の方針を伝えた。
ガレイン半島五大霊山の一つであるセルマンリー山。王国の名の由来でもある、その岩山は巨人たちの歯と爪と骨を積み上げた呪わしい無名墓地で、今なお巨人たちの冷たくも激しい怨嗟が風に乗って漂っているという。これまた無数の逸話の残る内海とも呼ばれる巨大な湖に、神話を兄弟とするその山は聳え立っていた。その山の麓には、最早名を失った神を奉っていた古い神殿の遺跡があった。かつての装飾は長い年月によって剥げ落ち、背徳者には偶像を破壊され、盗掘者には美々しい化粧煉瓦を削ぎ落されていた。壁が崩れた箇所がいくつもあり、天井の一部は崩落している。
飛ぶ者を目撃してから数日後、昼を過ぎた頃、遺跡を遠目に確認できる森の中にアンソルーペ率いる焚書官たちは潜んでいた。
「無謀です。あまりにも」とドロラが愚痴を零している。
「栄光は危地にあり」と虚無が答える。「魔導書を得るのに楽な道があったか?」
「危地に赴くのはアンソルーペ首席です」とドロラは言った。
「俺だってこの体を失うつもりはないんだがな」と虚無は呟いた。そして、今のところは、と心の中で言い足した。
「さあ、行くぞ。影のように静かに、雷のように素早く、神々のように無慈悲に」
黒い衣の僧兵たちは深い茂みを這い進む蛇のように古神殿へと近づいていく。するとまるで神殿が寒さに凍えて白い吐息を放ったかのように辺りに深い霧が立ち込め、それに馨しくも混沌とした香りが漂い、気を逸らされそうになる。意識は確かにここにあるのに、世界が遠ざかっていくような感覚に襲われる。
しかし、世の終わりが迫ってきたかのようにあちらこちらで僧兵たちの悲鳴が上がり、虚無は散り散りになりかけた意識を取り戻した。まだ戦いは起きていない。何か罠が仕掛けられていたのだ。それでも罠に耐えきった僧兵たちは、悲鳴をあげる仲間への情をかなぐり捨て、濃霧の中を突き進み、薄汚れた神殿の外壁にたどり着く。人員は半数以下へと減っている。明らかに聞こえた悲鳴よりも多くの仲間がいなくなっていた。声を上げる間もなくやられた者がいるのだ。それにしっかりと握っていたはずの剣を失っている者もいる。しかし焚書官たちは惑乱することなく取り決め通り、何班かに分かれ、神殿の各箇所から侵入した。
早速ドロラが1人の使い魔と鍔迫り合い、その隙に戦闘能力がないのであろう使い魔たちを別の焚書官たちが拿捕している。かわる者の姿はない。
剣を激しく交えるドロラを背後から射ぬかんと弓を引き絞っている者を見止めたアンソルーペは身を挺して立ちはだかり、一刀のもとに矢を弾く。しかしその魔の力を秘めた一矢で剣は踏みつけられた小枝のようにへし折られた。
その弓使いが神殿の外で気づかれることなく僧兵たちを討ち取った者かと虚無は思ったが、矢の風切り音など聞こえなかったことを思い出す。
「気を付けろ! もう一人戦える奴がいるぞ!」
既にドロラと鍔迫り合いをしていた使い魔は別の僧に封印を剥がされており、弓使いは背後から回り込んだ僧兵に抑えられていた。やられた者も含めて焚書官の数をざっと数えるが、更に減っている。神殿に入れなかった者がいるのだ。
「飛ぶ者でしょうか?」とドロラが警戒を怠らずに提言する。
「いや、あの数が攫われて悲鳴が聞こえないはずがない。喉を掻き切られたんだろう」
「ご名答。忍ぶ者っていうんだよ」と忠良なる副官ドロラが言い、アンソルーペは振り返る間もなく封印を貼られる。
次席焚書官ドロラの裏切りに僧兵たちは狼狽える。
「さあ、頼りの綱の首席と次席が抑えられ、封印は再び私の手の中だ」そう言ってドロラは見せびらかすように封印を見せつける。「忠誠厚く信心深き焚書官諸君! これ以上、命を無駄に散らせたくないなら大人しくしてね。魔法少女からのお願いだよ」