全ての焚書官が縛り上げられ、その長たるアンソルーペだけが古神殿の別の部屋へと連れて行かれた。元々何に利用されていたのか分からないほどに無機質な部屋だ。天井近くに小さな採光窓がいくつか並んでいるが薄暗く、風通しの悪さ故か埃っぽい。かつては存在したかもしれない神秘の気配も、壁面に彫られた偶像の削り取られた尊顔と同様に失われている。額に飛ぶ者を貼られたアンソルーペと虚無は部屋の真ん中に座らされ、使い魔に囲まれる。
「お話したいから支配を弱めて、飛ぶ者」と言ったのはかわる者だ。
アンソルーペは胸をなでおろす。飛ぶ者の為人など知らないので演技をどうしたものかと焦っていたのだった。
「ははは初めまして、ですよね。前にすこ少し見かけたけど、こうしておはなお話をするのは」
アンソルーペはかわる者を恐る恐るという態度で見上げる。幼い風貌に低い背丈、二つに結んだ紫と桃色の中間色の髪、派手で動きにくそうな装飾過多の衣装、何もかも魔法少女ユカリに似ているが、似ているだけで同じではない。
かわる者はドロラから元は屋根瓦だったらしい残骸に乗り移り、こうして魔法少女に変身したのだった。瓦らしさはどこにも見当たらない。
「うん。初めまして。私はかわる者。最早知らない者のいない魔法少女その人だよ。貴女は、第四局首席焚書官アンソルーペ。だよね?」
「ええ、ええ、そうです。よよろしくおねお願いします」
ある意味でこの土地にやって来てからの最大の受難、白紙文書を奪われた相手だ。今はユカリの手にあるが。
かわる者は面白そうに、そして堪えるように笑う。
「さすが首席。肝が据わっているというか、何というか。最大の危機なのに余裕だね」
「そ、そうなんですか? あなたたちはそれほどぼぼ暴力的な手段を取らないと聞いていますけど。うち、うちと違って」
かわる者は堪え切れずに噴き出す。
「自覚あるんだ。そうだよね。特に第四局なんて武闘派も武闘派。罪なき魔導書の所有者を粛正する組織だもん。こんな状況は慣れっこか」
「まま魔導書の所有は罪ですよ」
アンソルーペは少し空気がひりつくのを感じる。所有か罪が癇に障ったのだろう。使い魔たちを出し抜き、回収するための具体的な策がない以上、状況に変化をもたらさなくてはならない。例えば使い魔たちの感情を揺さぶるとか。あるいは何によって揺さぶられるかを知るとか。
「この余裕は妙ではありませんか?」と言ったのは魔法使い風の格好をした妙齢の女の姿の使い魔だ。「何か狙いがあるのかもしれません。ワタシが聞き出しましょうか?」
その使い魔はアンソルーペの知らない何か無骨で邪悪そうな金属の器具を片手に持っていた。重そうで固そうで刺々しい。
「うーん。そうだなあ。でもなあ」とかわる者は唸り、悩ましげに唇を尖らせる。「いや、やっぱやめとこう。いや、最後の手段として取っておこう。拷つ者に無理させたくないしね」
「貴女の為なら無理などありませんよ、かわる者」と拷つ者と呼ばれた使い魔は声を強張らせて答える。
「いいの。いいの。私だってそういうやり方は得意じゃないし。まずは普通に聞いてみよう。お天気とか、体調でも聞くみたいにさ」
再度使い魔たちの注目を浴び、アンソルーペは口を開く。「なに何をきき聞きたいんですか?」
「まずは救済機構の目的かな」
「私たちはいずれ来たる救済の乙女御降臨に備え――」
「そういう意味じゃないことくらい分かってるでしょ? 拷つ者に聞いてもらわないと分からないかなあ」
拷つ者が期待を胸に抱いていることはアンソルーペにも伝わった。
「……部局によってちち違いますけど。われ我々第四局であれば魔導書の回収ですし、ましょ魔法少女狩猟団であれば」と言ってアンソルーペは使い魔たちを見回す。「まあ、みな皆さんの方がおくわお詳しいでしょうけど」
「正直に言っているように聞こえるけど、本当かなあ? どうも君たちの動きはちぐはぐな気がするんだよね。たとえば今回ほど強気に攻めて来たことなくない?」
「いえ、そ空飛ぶ使い魔、あす飛ぶ者でしたっけ? に遭遇したのは偶然ですし。気合の入り方に差なんてななないですよ。こここうして拠点らしきものを見つけたので、苦戦はよよ予想していましたが、何せ貴女たちの存在はあまりにもた多様なので、全てに策を講じるのも難しいですし」
かわる者は口の端に笑みを浮かべながらも疑わし気な眼差しを送っている。
「そもそも本当に魔導書を失いたくないなら魔法少女狩猟団みたいな運用の仕方がまずもって間違いだと思うんだけど」
アンソルーペも同感だった。上の考えは分からない。が、こう考えるしかない。
「魔導書よりもゆゆ優先すべきことなのでしょう。そこは焚書機関より上の考えなので、真意はおし推し測るしかありませんが」
「魔導書を失う危険性があっても、魔法少女ユカリを殺したい?」とかわる者は確認するように言う。
「ええ、そそそうですね。そしてわた私たちはその尻ぬぐいというわけでです。うば奪われたり、あな貴女によって解放された魔導書を再び魔法少女狩猟団にもど戻す。どどどどちらかといえば魔法少女討伐の方がだだ第四局の本来の任務に近いんですけどね」
「悔しい? 役割を奪われて」
「べべ別にそうでもないです。あまりこだわりがないので。貴女たちはどどどうなんです? 魔法少女に封印されたくないんでしょう?」
「質問するのはこちらだ」と拷つ者に釘を刺される。文字通りの意味ではない。
「良いよ。答えた方が答えやすいだろうし」とかわる者は寛大な笑みを浮かべて言う。「そうだね。まあ、人それぞれだよ。封印されたいって人はいないかな。ユカリ派だってそのはず。あくまでユカリの意向に従うというだけで、本心から封印されたいはずがない。封印されないためにどうするかについては多様な意見があるね。ばらばらに逃げる、まとまって逃げる、ユカリを殺す」
「やややっぱりそうですよね。封印なんて、おそおそらく死と同じですですし」
「さっきは封印なんてされたくないはずだって言ったけど、死と同じなら、封印されてみたいって意見は聞いたことがあるよ」
アンソルーペは眉を顰める。その可能性は考えていなかった。
「自殺願望者がいるいるんです?」
「まあね。死にたいというよりは、生きたくないという方が近いみたいだけど」かわる者の声色は冷たく響く。「私たちには百通りの多様な人生があるけど、多くは不幸な人生だったようだから」
人間もそうだと知らないのだろうか。アンソルーペは皮肉の一つでも言おうかと思ったがやめた。
「にに人間がにに憎いですか?」
「そういう人もいる」
「貴女は?」
「私は……」
日が傾き、茜色の陽光が斜めに差し込む。どこかで松明か焚火を起こしたらしい火の粉の爆ぜる音が聞こえる。それはアンソルーペを急き立てる呟きのように聞こえる。
「もう一つ別の方向性の質問をするね」とかわる者は話を変える。「貴女の中にいるもう一人のそれは何?」
「わか分かるんですか?」
「そりゃあ随分口調が違ったし、雰囲気っていうの? 別人って感じだったよ」
「ええ、そうですね。じゃあ代わり……、いい嫌みたいです。彼女は名乗らないので、わ私は虚無と呼んでます。幼い頃、ここ故国が滅ぼされた時に現れました」
「御国はどこ?」
「西日です。はい供物の山王国につつ連なる小国の一つです」
「ああ、確かハイヴァ運河沿いの……。どういう存在か知らないけど、その鉄仮面をかぶっている時に現れるんでしょ? 私が言うのもなんだけど、普段から封印を貼っておけばいいのに」
鉄仮面を被っている時に人格が入れ替わるという設定を知られているとは思わなかった。だからアンソルーペが喋っていたのだが、それも飛ぶ者を貼られているお陰で虚無が抑え込まれているのだと解釈していたらしい。
「まあ、いち一応魔法少女狩猟団に引き渡すきま決まりなので」
「真面目だねえ。初めは多重人格かと思ったけど、どうやら魂が二つあるみたい。気づいてた? たぶん悪霊か何かだよ。それも質の悪いやつね」
「質が悪いのは間違いありませんね」
かわる者が楽しそうに笑う。
「少し二人きりにしてもらっていい?」とかわる者が使い魔たちに言う。「ああ、三人きり、じゃなくて四人きりか。ややこしいね。大丈夫だよ。飛ぶ者がいるから」
好機だ。アンソルーペは悟られないように怪訝な表情を保つ。何のつもりだ、と言いたげな顔を作る。
使い魔たちが退出するとかわる者も石の床に座り、同じ目線になる。
「皆には話してないんだけど、と言っても秘密ってほどでもないんだけど」とかわる者はまるで親友に打ち明け話でもするように語り掛ける。「私には使い魔たちを自由にする以外の目的があるの」
「しし真の目的は別に?」
「ううん。使い魔たちを自由にするのが真の、大切な目的だよ。でもね。個人的な目的は魔法少女ユカリを救うことなんだよ」
「な、なるほど? ユカリを討とうとする救済機構や魔法少女狩猟団は大敵ってわけですね。でも、どうして? ゆゆユカリ派とかいうのとたも袂を分かっているんですか?」
「ううん。そうじゃない。その目的において私の敵は機構じゃない」かわる者は真っすぐにアンソルーペを見つめる。「ラミスカだよ。ラミスカからユカリを救うの」
ラミスカ。それは魔法少女ユカリの本名だ、とアンソルーペは聞いている。なぜ禁忌を名乗り始めたのかは知らなかったが、ただの名前ではないらしい。
「な何のつもりでそそんな話を?」
「だって境遇が似ているじゃない? ユカリとラミスカ。アンソルーペと虚無。貴女だって自由になりたいでしょ?」
かわる者は少し腰を上げ、アンソルーペの額に手を伸ばすと飛ぶ者を剥がした。
アンソルーペは不思議なものを見るように封印とかわる者を見比べる。
「わわ分かりませんね。ななに何を考えているのか」
「進む道が交わる可能性を感じたからね。そのためには自由な心、本心で話さないと」
「か可能性? いくいくら何でも油断しすぎでは?」
かわる者は得意げな笑みを浮かべる。
「得てして確信を得てからでは遅いものだよ。賭ける者の受け売りだけどね」