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「お久しぶりです、カケルくん。大きくなりましたね」
真帆はカケルの顔を見つめながら、しみじみと、本当に嬉しそうに微笑んだ。
久しぶりと言ってはいるが、実のところ真帆は、これから一緒に暮らすカケルの荷物をまとめるのを手伝うために、一、二か月前にもカケルの家を訪ねているのだから、そんなに言うほど久しぶりでもないだろうに。
呆れながらそんな真帆を眺めていると、カケルも同じようなことを思ったのだろう、
「……二か月ぶりだよ、真帆ねえ。正確には、ひと月半も経ってないくらい」
「――はて、そうでしたっけ?」
真帆は途端に「あっれ~?」と小首を傾げてから、
「でもまぁ、改めて成長期の男の子ってすごいですよね。昨年まではまだ私より背が低いくらいだったのに、この一年間で一気にでっかくなっちゃって」
カケルの頭の上に右手を伸ばし、軽く爪先立ちになって彼を見上げる。
僕もそんなしみじみ言う真帆に乗っかるように、
「ついでに声も低くなったな」
カケルは「そうだね」と喉仏に手をやった。
「変かな?」
するとそれを聞いていた茜ちゃんが、「いやいや」と手を横に振ってから、
「良い声だとあたしは思うよ。今度一緒にカラオケ行く?」
ニヤリと笑んだ。
カケルは「考えとくよ」と適当に答えてから、
「それにしても、ここに来るのは何年ぶりだろう。三年ぶり? 四年ぶり?」
「たぶん、それくらいですかね~。まだ茜ちゃんが住み込みになる前だから」
「あたしも小さかった頃のカケルくんに会って見たかったなぁ。可愛かったんだろうなぁ」
茜ちゃんがわざとらしく悔しそうに言って、
「そりゃもう」
と真帆は頷いた。
「今でも十分可愛いですけどね」
「……それ、喜んでいいのかなぁ、この歳にもなって」
苦笑してこちらに顔を向けてくるカケルに、僕は、
「いいんじゃないか? とりあえず」
そうだね、とカケルは頷いた。
「さて、 長旅で疲れたでしょう」真帆は改めて笑みを浮かべると、店の奥へと続く開けっ放しの扉を手のひらで示しながら、「お茶を用意しますから、あちらへどうぞ」
「うん、ありがとう、真帆ねぇ」
僕はそろそろ腕の痺れてきたのを我慢できなくなって、
「ところで荷物はここらに置いといて良いんだろ? 二階にカケルの部屋があるんだし」
どさり、と僕はその重たいボストンバッグを二階へ上がる階段の下に置いた。
その瞬間、反動で閉じていたチャックが開き、何かがころりと飛び出してくる。
思ったよりも僕の腕は疲れていたらしい、その重さに最後まで耐えられなかったのだ。
「あぁ、ごめんごめん、重たくてつい……!」
「あぁ~! シモフツくん! 何てことしてるんですか! カケルくんの大事な荷物を!」
ぷんすか頬を膨らませる真帆。
カケルは「いいよいいよ」と床に転がったそれを――手のひらサイズの黒い猫のぬいぐるみを拾い上げた。
所どころ糸のほつれかけたそれに、僕はどうにも見覚えがあった。
「……それ」
僕が呟くように口にすると、カケルは「あぁ、うん」と少しばかりはにかんだように笑って、
「小さい頃に真帆ねぇから貰ったのを、ずっと大切にしてたんだ。せっかくだから、こいつも一緒にって思って、最後にバッグに突っ込んだんだよ」
十何年も前のことなのに、まさかこんなになるまで大切にしてくれていたなんて、驚きと同時に何とも言えない感情が僕の中に湧いてくる。
感情――? いや、違う、これは――記憶?
一瞬、僕の脳裏に色々な場面が目まぐるしく駆け抜けていくのを感じた。
けれど、それをいつ、どこで見た記憶なのか、全く思い出すことができなかった。
まるでどこかで、この光景を見たことがあるような――そんな既視感も。
たぶん、十何年も前の、あの頃のことを一瞬で思い出して、記憶が色々混ざってしまっているのだろう。
色々なことがあった、あの高校生だった頃のことを。
カケルの手にしているこのぬいぐるみを選んだのも、やはりミキエさんのところだった。
なんだか遠い過去のような気がするけれど、事実、当時まだ一歳だったカケルは、今や当時の僕らと同じくらいの歳にまで成長しているわけで。
時の流れというものは、過ぎてしまえば本当に早いものだなぁと思わずにはいられなかった。
真帆もそのぬいぐるみを懐かしそうに見つめながら、
「……それを選んだの、実はシモフツくんなんですよ」
「え、そうなの?」
驚いたようにこちらを見るカケルに、僕は頷く。
「そうだな。随分くたびれちゃったけど、大事にしてくれてたんだな」
「……そうか、これ、シモハライさんが選んでくれたものだったのか」
なるほどね、とカケルは嬉しそうに、黒猫のぬいぐるみを見つめ、そして再びボストンバッグの中にしまい込んだ。
「ありがとう、シモハライさん。これからも大切にするよ」
「そう言ってもらえるなら、選んだ甲斐もあったってもんだな」
そんな僕らのやり取りに、真帆は「ほらほら」と急かすように声を上げる。
「それより、早く行きますよ! 私も喉乾いちゃいましたし! 茜ちゃんも一緒にどうです?」
「いいよいいよ、あたしは店番しなきゃだし」
「そうですか? じゃ、よろしくお願いしますね~」
そう言い残して僕らに背を向け、さっさと扉を抜けていく真帆に、
「さて、行くか」
「そうだね。じゃぁ、またあとで、アカネさん」
軽く手を振る茜ちゃんをその場に残し、僕らは真帆のあとを追ったのだった。