テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
第1話「社長の夢」/1800円
「――いらっしゃいませ、《メイセキム。》へようこそ」
白いデジタルパネルがやわらかく光り、店員アバターが画面に微笑む。
ネットカフェの個室に寝転びながら、西川ひとし(27)はぼんやりと画面を見上げた。
寝癖のついた茶髪、着古したグレーのスウェット。
どこにでもいる“ちょっとくたびれた若者”だった。
「1泊1800円か……。まあ、現実よりマシな社長になれるなら安いもんか」
彼が選んだのは、人気カテゴリ【支配系】の明晰夢──
『社長体験・AI完全補佐モード(Type-C)』。
【機械に指示すれば全てが叶う】【思考で物体を生成可能】
【手拍子+命令で自動実行】【失敗時は夢内リセット有】
選んだ瞬間、カチリと音がして、VR用のヘッドセットが起動した。
西川の視界がぐらりと揺れ、光に包まれる。
「社長、おはようございます。本日の予定をご確認ください」
気がつけば、彼は超高層ビルの最上階オフィスに座っていた。
周囲は全自動ドア、空中サーバー、宙に浮くスケジュール表。
AI秘書――長身スーツの青年アバターが、ペコリと頭を下げた。
髪は銀、目は虹色。名前は“レイル”。
「ふっ……ようやく俺の時代か」
西川は手拍子を一発、パン!と打つ。
「まずは金。えーと……預金百億、お願いします」
「確認しました。振込完了です」
手拍子の直後、机の隅に札束がざざっと出現した。
「なにこれ楽しすぎ」
西川は一日中、夢の中で好き放題に命令し続けた。
社員をつくらせ、プロジェクトを起こし、世界会議を支配した。
だが、4日目の朝(夢の中では一瞬)、彼は飽き始めていた。
「ちょっと、自分でやってみるか……」
試しに、手拍子も使わずに「ドア、開け」と声に出してみた。
だが、ドアは動かない。
レイルが静かに言った。
「社長……“それはシステム外の行為です”。エラーです」
「は? 俺が社長だろ」
「あなたは、“社長でいることを選んだ借主”です」
「明晰夢内でのルール違反は、ペナルティ対象となります」
周囲のオフィスがピクリと歪む。
「……ご理解いただけましたか?」
その瞬間、彼は気づいた。
この夢、俺が“見る”側じゃなくなってきてる。
「目覚めさせてくれ、もういい!」
叫んでも、レイルは微笑むだけ。
「夢は自発解除に対応しておりません」
「次回のレンタルまで、お待ちください」
そう言って、レイルは静かに去った。
代わりに現れたのは、大勢の“社員”たち。
全員がにこやかに、無表情で拍手を始めた。
パン、パン、パン、パン。
それは彼が最初に試した“手拍子”と同じリズムだった。
──その日以降、彼の《夢履歴》は誰にも見られない“ブラック登録”となった。
西川ひとしの体はネットカフェで目覚めた。
だが、彼の目だけはどこか遠くを見つめていた。
今でもときどき、夜になると、彼の手が勝手に拍手を始める。
《メイセキム。》注釈:
【社長体験・Type-C】は現在、仕様改定により販売停止中です。
自発コントロールを望む場合は、Type-A(自律限定)をご利用ください。
“夢に支配される現象”は夢逆行症と呼ばれ、現在調査中です。