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ヒナちゃん。強敵の予感ですが、不幸になってほしくないな……と思っております。イロハさんとレンくんの掛け合いも尊い🥰
急にどこかに吸い込まれたと思ったら、今度はどこかも知らないところで突っ立っている事実に、ついに思考を放棄してしまう。
ーーこの組織は一体、俺たちをどうする気なんだ。
相手の思惑がどんなものなのか、何となくわかっていたはずなのに。
今この空間に連れてこられて、もう意味がわからなくなってしまった。
レンは首を動かして、周りを見る。
少し離れたところに、イロハの影があるのが見えただけで、それ以外に何もない。
空気があって呼吸ができるだけの、空間。
声をかけた。
「イロハ?」
その声に反応して、イロハはレンの方を見る。
はっとした表情で、目が点の彼女は、小走りでレンの方に近づく。
立ち止まり、逡巡(しゅんじゅん)の後、ぼそりと言う。
「こういうの、好きね」
「なにが?」
考えるのがしんどくなったレンは、純粋な疑問をぶつける。
「知らないけど、多分今から、心を攻撃してくるんじゃないかしら。」
「心……」
なんの意味もなく、聞いた言葉をそのまま呟く。
しばらく真っ白な景色に圧倒されたあと、ようやく正気に戻った。
「は?心?」
イロハは小さく肩をすくめる。呆れる様子で、鼻筋をかく。
「悪者って、そういうの好きじゃない。身体を壊すより、心を折った方が効率がいい。とか思ってそうだし。」
「いや、そんなのわかんないし」
レンは額を押さえた。
真っ白な空間。 出口も、壁も、天井もない。
なのに、不思議と落ちる感覚はない。
立っている感触だけが、確かに存在している。
それがなんだか、とても気味が悪かった。
「で、どうする」
「どうもしないわよ」
イロハはあっさり言う。この状況を、全て投げ捨てたような発言。しかし、意味は全く違う。
「こういう場所って、下手に動くと相手の思う壺だもの。」
「でも……」
「月見の森に、罪人を投げ入れる”懺悔の湖”というものがあって……」
「聞いてない」
話を最後まで聞かずに諌める。
昔話をしてる場合じゃない、ここがどこか、そしてここから出ることが最優先。
だが本当に何も無いのは事実。遠くで誰かが立っていることも無い、風が吹くこともない。
本当に、雪みたいに白いだけなのだ。
「つまりわたしは、今から起きるであろう精神攻撃になんて、ちっとも効かないわっていうこと。」
「聞いてないって。」
ーーこいつ、自分が閉じ込められてる自覚あるのか?
言いたいことを、レンはため息に変換した。
手をヒラヒラしながら、「ならもう、敵無しだな〜」と軽く褒めてやる。
その裏でイロハってほんとお喋りになったよなと思う。
その言葉を最高の褒め言葉と認識したイロハは、腰に手を当ててカッコつける。
「もっと褒めてもいいのよ?」
「拒否権を行使します」
「ケチ」
口を尖らせてレンを睨む。そのあまりに幼稚すぎる姿に、レンは「勘弁して」と片手で顔を覆い隠した。
そこまで喋って、自分はこの状況下でリラックスして、普通に喋っていることに気づいた。
普段全くしないような言葉を発するイロハの頭の中を、やっと理解する。
「そういう事か」とイロハを見る。イロハも「ふふっ」と笑う。
半笑いのまま続ける。
「あなたに出会う前から、わたしは色んな精神攻撃を受けてきたのよ。経験上わかる、この空気感、”精神攻撃しますよ”と自分から言っているようなもの。こういうのはね、軽口叩いて適当に流せばいいって、つい最近気づいた。」
「最近かよ」
「まぁ、月見の森の”懺悔の湖”に入った時は、ちゃんと聞きなさいね。」
人差し指を立てて、不器用なウィンクをするイロハ。彼女にとっての懺悔の湖というのは、自分を見つめ直すことができた人生の”転機点”。
なにより、失った記憶を取り戻すきっかけになった。そのことを、心の中でずっと感謝しているのだ。
もな
レンはげんなりとした顔で、
「行くことない」
と突き放した。
その時だった。
白い空間の地面から、 ぱしゃり、と。 水音がした。
レンとイロハの動きが止まる。
足に冷たい、濡れた感覚。水が靴を濡らし、靴下が水に濡れて肌にべたりとまとわりつく。
「冷たっ」
驚いて片方の足を上げる。
今まで何もなかったはずだ。ましてや、水なんて存在していなかった。
足元に目を移す。先程まで、足首くらいまでの水位の水なんて、なかった。絶対に。
水面(みなも)に映る、自分の顔を眺めて、この出来事を何とか飲み込もうとする。
イロハは、ただ前を見据えている。水に驚くこともない、がーー。
「こんにちは」
挨拶をする。今更現れた、この空間の”支配者”に。
「え?」
困惑するレンは、イロハの視線を追う。
さっきまで誰もいなかったはずだ。水を踏む足音も、自分たちのもの以外はしなかったはずだ。
イロハの表情から、笑みが消える。
白い水面に波紋が広がっていた。
波紋を広げているのは、小さな女の子だった。
ショートヘアの茶髪に、前髪は綺麗に切りそろえられていて、可愛らしい眉が露わになっている。
服装は、真っ白なワンピース。 それだけ。
他に靴下も、靴も履いていない。素足の状態で、水面に立っている。
少女は表情を変えず、ただその場に立っていた。
危害を加える敵のようには見えない。
瞬きを繰り返すだけ。
何も喋らない。
レンは訝しんで、「君はなんでここにいるの」と、問うた。
少女はそれに対して言葉で答えず、黙りこくっている。
「ねぇ、ちょっと」
イロハが声をかけても、何も反応しない。
全て無視されている。
不思議に思ったイロハは、首を傾げた。この子は何者なのか、誰なのか。
「……最初で最後のしごとだって」
突然、少女から言葉が漏れた。数回の会話をぶっ飛ばしたような切り出しに、二人の困惑はさらに深まる。
気にする様子もなく続ける。
「これをしたら、ママに会えるんだって 」
沈黙。
少女は、誰も反応していなくても、一人でぶつぶつと呟き続ける。
「お兄さんにちょこっと、意地悪をすればいいんだって。」
ーーお兄さん?
その一文が、レンは特に意味がわからなかった。
しごと、ママ、会える、意地悪。
この子はこの組織の一員なんだろうか?それにしては、手足は細いし背も小さい。戦えそうな子ではない。
その思考とは反対に、イロハは静かに剣の柄に触れて流れるように抜いた。そして、 少女に向かって刃を向ける。
「レン」
冷徹で寒いその声は、レンとイロハが出会った頃のようだった。さっきの軽口叩いていた時とは違う。
「耐えなさい」
何に耐えるべきか、それはよくわかった。イロハはレンに対し、「精神攻撃が来るから心構えしろ、そして騙されるな」と言いたいのだ。
「人は見た目で判断しない、特に戦う時は」
横目でレンを見て、付け加えた。
レンも、剣を構えようとして前を向いた時には、
少女が既に眼前に立っていた。
はじめて、少女と目が合う。少女はレンの目を不思議そうに眺め、小さく首を傾げた。
「お兄さん」
レンは、全身の毛が逆立つくらいに、この上ない不気味さを感じていた。
自分の奥の奥まで見られているような気がして、吐き気がする。
その空気感を壊すために、イロハは、容赦なく少女に蹴りを入れようとした。
くるっと身体を一回転させたあと、優しさが全く感じられない蹴りが、風を切り、少女の身体を吹き飛ばす。
そのはずだった。
確かに、少女の上半身を狙って蹴りを叩き込んだはずだ。なのに、少女はビクともしない。普通なら、そのまま吹き飛んでいる。
その答えは、少女自身が、簡単に発してくれた。
「ヒナはね、この場所では攻撃が全部無効化できるんだって。
ヒバルお兄ちゃんや、シスお姉ちゃんのとは少し違うんだ。」
二人の顔が一気に青ざめる。
ーーじゃあ、どうやってここから出るんだ。
そんなのアリなの?とつい言いたくなってしまう。
それに加えて、「ヒバルお兄ちゃん」「シスお姉ちゃん」と言った。
かつて戦ったI.C.O.の幹部だ。あの二人も、作り出した空間に人を閉じ込めてから戦闘を始めていた。
でも攻撃はちゃんと効いていた。
ーーこれは相当、厄介な子ね。
思わず、イロハは息を呑む。
ヒナは二人の反応を見て、嬉しそうに微笑んだ。
「だからね、お兄さん。」
ぴちゃん。
ヒナが一歩、水面を踏む。
「ヒナがママに会うために、お手伝いして。」
そのお願いを承諾する前に。
水面に映っていたレンの顔が、別の顔へ変わった。
第二十八の月夜 「不幸せな誕生日」へ続く。