テラーノベル
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水面に映っていた自分の顔が、変形していく。
いつもの顔が真っ黒に染まり、色が反転して、赤い目だけが反射する。
「ひっ…」
短い悲鳴を上げる。
恐怖で目を逸らし、もう一度前に視線を移した。
ーー今の何?まさか、これが精神攻撃?
周囲をキョロキョロと見渡すが、変わったところはない。
イロハは隣にいるし、ヒナは攻撃してくることは無い。 みんな黙りこくっている。
「はぁ……」
と、深いため息をつく。気のせいなのか、それとも既に心を侵食され始めているのか。
ーー精神攻撃に対しては、イロハの言う通りに軽口叩いておこう。いつまでたっても無反応は俺に、痺れを切らして出してくれるかもしれない。
そんな、馬鹿なことあるかわからないが。
「ねぇ、そういうのいいから、ここから出してほしーー」
そこまで言いかけた時だった。
白い空間に、雪が降り始めた。
まばらに舞う雪たちが、レンの鼻に止まる。
冷たくて、べたりとした感覚。
それが気持ち悪くて、レンは鼻を服の裾で軽く擦った。
目を開けたら、もう雪はやんでいた。
「?」
代わりに、懐かしい声が聞こえた。
ふわふわしていて内容は聞き取れないが、その声が誰のものなのかわかる。
「ーー父さん?」
優しい、透き通った声。
そう呼んだ瞬間、今度は景色が変化した。
目の前は馴染み深い場所だった。
イロハは険しい表情になり、「レン」と名前を呼ぶ。
でもレンに、その声が届くことはなかった。
彼の目に映るのは、こたつに入って、ぬくぬくとくつろいでいる幼い頃の自分と、妹と、父の姿だったのだから。
ーーミヨ、父さん?
「レン、これは偽物よ」
少し強めに言ったが、それでも今の彼には聞こえない。
レンは、その幻想に魅入られるように、手を伸ばして歩き始めた。
レンの目に映る過去の幻想はイロハの焦りとは正反対で、心温まる、日常の一部が淡々と流れている。
『お兄ちゃん、みかん頂戴』
『まだ食べんの?もう四個目だぞ?』
『いいの、美味しいもん』
『ミヨ。そんなに食べたら、手きいろになるぞ』
半笑いで指摘する父。
そして、みかんを手渡すレン。
『別にいいもん、黄色くなったら名前みかんに変える』と口を尖らせるミヨ。
『それはやめてな、せっかく父さんと母さんが頑張って考えた名前なのに』
『そうなの?』
父はみかんを口に放り込んでしばらく咀嚼したあと、二カッと歯を見せて笑った。
『”未来の世界を楽しく生きていけますように”、そういう願いを込めたんだ。』
『え!かっこいい!』
『だろ?』
目をきらきらさせて、ミカンの皮をむく手を止めるミヨ。
ミヨが剥いた皮の形は、実に不格好だった。皮は散らばっているし、果汁が漏れ出ているし、不器用と言う他ない。
それを見た父は、呆れた様子で微笑むと、最後のひとつのみかんを取り、ミヨに「よく見ておきな」と手本を見せ始めた。
父の華麗な動きを、真剣に見るレンとミヨ。
ふと、思い出したように父は言った。
『そういえば、もうすぐ母さんの誕生日だな』
『あっ、そっか!何がいいかなぁ?わたしのお小遣い全部使って、香水買う?でも服がいいかな?……ん〜、わかんない!』
大きく首を傾げるミヨ。
『誕生日ってのは、物をあげる日じゃないんだよ。おめでとうとか、これからもよろしくとか、そういう想いが伝わればいい。』
自慢げに言うレン。
『達観してんなぁ、どこでそんなの聞いたんだ?』
剥きながらレンの方を愛おしそうに見る父。
三人一緒に笑い声を上げる。
『あっ!そうだ!』
机をバンッと叩き、ミヨは立ち上がった。
『サプライズ、しよ!』
『サプライズ?』
ミヨを見上げて、首を傾げるレンは、すぐに反対意見を出した。
『サプライズって。ミヨ、嘘つけないくせに。
バレたらサプライズじゃない。』
『何〜?でもでも!今回は嘘つくからね!ちゃんと!』
『ほんとかよ……?』
疑う目つきで、ミヨを見るレンは不満そうな顔で父を見た。「父さんも反対してくれ」という顔で。
でも、父は満面の笑みで「いいな、サプライズ」と賛成した。反対して欲しかったレンは、抗議する。
『でも、失敗するかもしれないし』
ボソボソと父に呟く。すると、父はレンの目を見て、こう言った。
『失敗を恐れちゃあ、ダメだ。上手くいかなくたっていいだろ?それこそ、想いが伝われば』
『……!』
「たしかに!」と目を大きくして、あどけない笑みを浮かべる。
ミヨが横から「サプライズするの?しないの〜?」
とつまんなそうに兄を見る。
レンは妹のミヨを方に頭を動かすと、「やっぱりやろう、サプライズ!」と、ガッツポーズをした。
その返事を待ち望んでいたミヨは、嬉しくて「よっしゃあ!」とぴょんぴょん飛び跳ねる。
「こら、座りなさい」と父が注意した頃には、みかんの皮は綺麗な花の形に剥かれていたのだった。
そこまでの過去の様子を、現在を生きるレンは懐かしそうに眺めていた。
ーーそういえば、こんなことあったな。
暖かな部屋の光景を、じっと眺める。
幻想はまだ途切れない、楽しそうに笑い合う自分と妹と父が、自分の目に映る。
懐かしむ感情の裏に、なにか変なものが混じっている。
このあとの出来事について考えていると、何かと不安が混じり始める。
「レン」
イロハはもう一度名前を呼ぶ。彼女も、この幻想を一緒に見ていた。
抜き出した剣をしまって、今はレンのことだけに集中する。
自分の知っているレンがいない、過去の姿。
レンの妹のことも、父のことも何も知らない。
この何気ない日常を送ってきているレンが、なぜ今こんな目に遭っているのだろうか?
そんな疑問を抱き始めた。
それでも、これは見ていていいものじゃない。平和に見せかけた心への攻撃。なんとかしてわたしが止めないと。
「惑わされないで、レン。お願いよ」
ーーわたしが経験してきた精神攻撃で、いちばんこれが多い手法だった。そして、いちばん心を抉るものだというのも、わかっている。だから今、ここで止めたい。
反応はなし。
そこで、イロハの我慢の糸が切れてしまった。
「お願い、わたしの話を聞きなさい」
レンの手首を掴んで引っ張ろうとした時、逆に冷たい手が彼女の動きを制した。
「離しなさい」
「イヤだ」
ヒナは無表情のまま、拒否する。
「こうしないと、ママに会えないでしょ」
イロハはヒナを睨みつけた。もはや今の彼女に、子どもに優しく接する、という気遣いは頭のどこかに消えてしまった。
「いい加減にしなさい。こんなことして、あなたのお母様だって喜ぶはずない。今すぐ離して、さもないとーー 」
「怒る?もう怒ってるのに。」
悪意のない核心を突く言葉が、余計彼女の怒りに油を注いでしまった。
「……お前、本気で怒るわよ。」
手を解こうとして、腕を上げた時だった。
「そうだ、ダメだった……」
声のするほうを、イロハもヒナも一斉に、同じ速度で見た。
その視線の先に、しゃがみ込むレンの姿があった。
肩を激しく上下させ、両手で頭を抑えている。
叫んだ声は酷く震えていて、聞き手もパニックになってしまいそうなほどの、緊迫した空気が埋め尽くされる。
イロハは気づけば走っていた。
ヒナの弱々しい抵抗を押し切って、即座にレンの元へ。
「レン!しっかり!」
頭の中が混線状態の彼女は、とにかく、レンを抱き締めた。
強く抱き締めた。
「大丈夫、これは全部偽物よ 」
切羽詰まった叫びを向けるも、レンは全く違うことを呟いていた。
「あのとき、サプライズをしたくないってちゃんと言ってれば」
レンにはもう、この先の展開がわかってしまっている。
一度経験してるから、だから余計に後悔が募る。
「父さんが死ぬこと、なかったはずだ」
レンを抱きしめる力が増していく。
頭の中で、イロハはずっと懇願する。
聞いて、わたしの言葉を聞いて、と。
「お姉さんには、別にママに会うためのお手伝いは頼んでないよ。」
後ろから、ヒナがゆっくり近づいてくる。
「お姉さんには、“必要ない”って言われたから。だから、何もしてないよ」
「それなのに」と、つけ加える。
「どうして、悲しそうにしているの?」
その一言が、水面へ沈むみたいに落ちた瞬間。幻想の景色が、一瞬にして切り替わった。
それを見た瞬間に、レンは「だめ」と、か細い声で
言っていた。その言葉の意味は、イロハには伝わらない。
が、移り変った景色をイロハも目にした時、これから起こる全ての悲劇を容易に想像できてしまった。
「まさか」
イロハはレンの父親が既に他界していることは、知っている。
死因はーー。
この幻想は、レンの心を攻撃するものだということと同時に、レンの過去を勝手に見させられている、イロハを動揺させるものだと、自分の中で結論を出した。
そんな心を露知らず、レンの過去は流れていく。
歩道を歩く父子の様子。レンの手には、白い箱がある。母親に送る、サプライズケーキ。
冬の空気は乾燥していて、風が吹くたび、肩が自然と縮こまる。
『なぁ父さん。ミヨは上手くやってるかな?』
隣を歩く父に、レンは尋ねる。
『どうだろ、ミヨは嘘が下手だしな』
はぁ、と白い息を吐き、レンは歩く速度をほんの少し上げた。
『早く帰ろう、ミヨが母さんと出かけてる間に、家の飾り付けを終わらせないと。』
早く帰りたい、その想いが足に現れた。レンは走り始める。
『あ、ちょっと!』
「そんなに走ったら崩れるぞ!」と、レンに強めに注意する。レンは聞く耳を持たず、「子供じゃないんだから、崩しませ〜ん」と、ふざけた言葉を抜かす。
『もう……あ』
困った表情を浮かべる父の鼻に、冷たいものが止まった。
びっくりして空を見上げると、白い雪が飄々(ひょうひょう)と降り始めていた。
『父さん!雪だ!』
『そうだな、……うへぇ、寒。』
無邪気に空を指さして笑うレンとは対照的に、父は「元気だなぁ、若いって」と言い、苦笑い。
寒い気候とは違った、温かいやり取り。
そのやり取りをぐしゃぐしゃにする最初の音は、けたたましいブレーキ音とクラクションだった。
『ん?』
横目でその音の方の見た父の顔が、たちまち真っ青になり瞳が見開かれる。
「うそだろ」
父の心の中の絶望が、なぜか現在のレンの頭に入ってくる。
すぐに息子のレンの方を見やる。息子は気づくことなく、雪の中で犬のように走り回っている。
その楽しい空気に、トラックのフロントが突っ込んでいく。
『レン!!』
父は無我夢中で駆け出し、そのままレンの背中を突き飛ばした。
父が死んでしまう前に見たレンの顔は、
『え?』
困惑の顔だった。
レンが最後に見た父の顔は、一度も見たことない絶望の顔だった。
叫ばれた意味を悟る前に、世界が横転した。
雪が舞う。
白い箱が宙を飛ぶ。
ぐしゃり、と。
嫌な音。
何か温かいものが頬に飛んできた。
レンは地面を転がり、近くの電柱に頭をぶつけ、数秒遅れて身体に痛みが走る。
『いたっ……』
耳鳴り。 うまく呼吸ができない。
なになになに……と頭の中で繰り返す。
ーーなんでおれを突き飛ばしたの?
自分のすぐそばに、ぐっちゃぐちゃのケーキとネームプレート。
震える手で頬を撫でた。すると、その指に赤い液体がドロっと付着する。
ーー血?なんで……。
理解不能の中、父へと話題を振ろうとし、
そして。
そこに倒れている父を、見てしまった。
『……え』
第二十九の月夜 「近くても、遠くて」へ続く。
コメント
3件
レンへの精神攻撃はやっぱり家族を失う光景でしたか……😱どうやって立ち上がることができるのか、先の読めない展開に続きをお待ちしてます✨
ちょっと待って…これ胸が痛すぎるよぉ😭💔 サプライズの話してたあとのあの描写、急にトラックの音が出てきて一気に空気が変わったの、鳥肌立った…。みかん剥く優しいお父さんが、レンを庇って死んじゃう未来に向かってるの、見てるだけで辛いよ🥺 「言わなきゃよかった」って後悔するレンの声、すごく刺さった。ヒナちゃんの無邪気な一言も、悪意がないだけに怖い…今後の展開めっちゃ気になるよ!続き楽しみにしてるね🌸✨
もな