「はあ?」
「……みぃッ!」
私は慌てて口を手で塞ぐ。
しまった、しまった、やってしまった!
いや、もうしまったどころの騒ぎじゃないかも知れない。完全にやらかした。これは不味い、ダメだ、殺される。何度失敗すれば分かるんだ。グランツの時だって!
冷や汗を流しながら私は目の前の人物を見る。すると、そこにはポカンと口を開けて固まっている彼が居た。
しかし、そんな反応とは真逆に好感度はピロロンと悲しげな機械音と共に3下落した。マイナスである。
(マイナスとかあるの!? 待って、違うの! 今のは違う! リセット! リセット!)
心の中でリセットと叫ぶが、一向に出てこないリセットボタン。
当たり前だ。リセットボタンが出てくるのは、プレイヤーが死んだ後。そして、それは一つ前の選択肢に戻れるという物。
ここに来て、本来なら出てくるはずの三つの選択肢が表示されたことは一度もない。自分で考えて行動し、言葉を発し……そうして攻略していく。それが、ここに来てから分かったことだ。
選択肢があったところで、三択の中二つが間違えであれば私の命はそこまでである。だから、自由に行動出来言葉を発せられるのは利点でもある。
だが、中身は私。コミュニケーション能力に欠けている私。
そして、私はやらかした。
痛恨のミス。
「えっと……その……すみません……」
「お前……ッ」
「ひっ! ごめんなさい、ごめんなさい。違うんです。近所の犬にアルベドって名前が」
「ッチ……うるせえ……何者なんだ」
「何者でも無いです! ただの一般人聖女です! お願いします、殺さないでください! まだ死にたくないです! 痛いのも嫌です! 助けてください! また、推しのライブチケット当たる可能性だって生きてたらあるわけじゃないですか! 今度は破られないよう注意しますし、言葉を慎みますから!」
「あー……面倒くさい女だなぁ」
そう言って、男は立ち上がる。
どうしよう、どうしようとパニックになりながら考えていると、彼はナイフを仕舞い私の方へと歩み寄ってきた。
しかしダメだ、気を抜けない。何せ彼はマイナスの男……マイナスにさげたのは紛れもなく私。
私は、一瞬たりとも彼から目をそらすことなく見つめ身体を強ばらせた。気を抜いたら殺されるかも知れない。
白と黒の仮面の下から覗く、満月のように丸く明るい黄金の瞳。
少しだけ開いている窓から吹き込む風に揺れる、血のように赤い髪。しかし、それらが全て美しく見えてしまう。
まるで絵本の中から出てきたような、幻想的な雰囲気を醸し出す彼に私は目を奪われていた。
リースの眩い金髪とはまた違った、美しさ。
確か、ゲーム内でのアルベドは腰まで垂れた紅蓮の髪をポニーテールにしていた。男のロン毛は二次元限定だと思っていたが、その中でも群を抜いて彼の髪は綺麗だった。
そんなアルベドの髪に気を取られていると、彼はいつの間にか私の前に立っていた。
思わず、息を呑む。
(殺される――――――!?)
私はぎゅっと目を瞑り覚悟を決めた。
しかし、一向に何も起きず不思議に思い恐る恐ると瞼を持ち上げていく。すると、目の前には私を見下ろしている彼。
一体何をされるのかと思いきや、彼は徐にしゃがみ込み、私と同じ視線の高さに合わせてきた。
そして―――……
ポンッと頭に手を置かれ、そのままわしゃわしゃと撫でられる。
予想外の展開に、私は固まることしか出来なかった。
「……えぇ」
「何処の貴族のご令嬢かわかんねぇけど、俺のことは誰にも言うんじゃねえぞ。言ったら分かるよなあ?」
「分かります、ええ、分かりますとも」
私はこくりと首肯する。
まるでヤクザだ。
アルベドは、一番攻略キャラの中で気性が荒く短気な性格をしている。それは、好感度が上がるに連れて顕著に表れてくる。
ヒロインストーリーではそうだった。彼は紳士に振る舞おうとしているが、その性格の荒さが表に出てしまいヒロインを困らせ、最終的にはありのままの自分を受け入れてくれるヒロインと両思いになる……それが、彼のストーリーである。
此の世界は闇魔法の魔道士は忌み嫌われているため、それをひっくるめてヒロインの愛で包まれ彼は閉ざしていた心を……というシナリオなのだが、エトワールストーリーではどうだろうか。ヒロインのように全て受け入れ、全て愛せる自信がない。
現に、殺されかけているのだから尚更。自分を殺そうとした、ただその現場を目撃しただけなのに殺そうとしてきた相手を許せるはずも愛せるはずもない。
それに、第一にアルベドは好きじゃない。性格は……だ。
「んでも、目撃者を生かすメリットはないんだよなぁ。いっそ誘拐してしまった方が……」
「誘拐!?」
物騒なことを言い出したアルベドの言葉に、私は戦慄いた。
頭を捻って逆立ちしてもその考えは出てこない。
しかし、ブライトとの会話の中に聖女が暗殺された事例、誘拐された事例があったことを思いだした。だから、あり得ないわけではないのかも知れない。だが、攻略キャラに誘拐されるなど聞いていない。
(それにこの人、今さっき私を殺した方がいいって言っていたよね!?誘拐先で殺されるとか!)
私は、殺されたくも誘拐されたくもない一心で口を開く。
「私を誘拐しても何も良いことないですよ! 食費とかかかると思いますし、深夜寝れなくて奇声を発したり、じっとしていたり出来ないです! デメリットしかないと思います!」
「は? お前、自分の立場分かってんのか? 誘拐先で、食事が与えられるとでも?」
「餓死は嫌です。痛いのはもっと嫌です。ソフトでお願いします」
私は懇願するように両手を合わせた。そんな私の様子を見てか、彼は深いため息をつく。そして、私の頭から手を離すと立ち上がった。
「……っま、俺は優しいからな。お前が黙ってれば、殺さない」
「きょう、恐縮です……」
「無意味な人殺しはしない」
意味深に呟かれた言葉に、私は背筋が凍った。今度口滑らせたら完全に殺されてしまうだろう……と。
彼は、窓枠に足をかけると私を見下ろした。
思いっきり開かれた窓から部屋の中に風が勢いよく吹き込み、月明かりも真っ暗な部屋を一瞬のうちに照らした。冷たい夜風が頬をかすり、そうして顔を上げた先に見えたアルベドの姿は、とても幻想的で、それでいて恐ろしいものだった。紅蓮の髪は月の明を帯びて、静かに燃えているように見えた。
その姿に思わず見惚れてしまった私は、彼の頭上の好感度をちらりと見た。やはり、マイナス。
しかし、もう二度と彼と会わなければ関係のないことだった。
「んじゃ、またな」
「え……嫌です」
「何が?」
「またとか、ありません。もう一生会いたくないです。さようなら」
「ハッ……ほんと、可笑しな女だな。俺はいつでもお前を監視してるからな」
そう吐き捨て、彼は姿を消した。あの燃えるような紅蓮の髪が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
「…は、ははは……」
乾いた笑いが口から漏れた。
私は、床に座り込むとさっきまで忘れていた恐怖が一気に押し寄せてきた。膝を抱えて震える身体を必死に抑えようと試みるが、無理だった。
血だまりから動けなくなった自分。私は、そのまま泣き崩れた。呼吸一つままならない。
アルベドと話しているときだって感じていた恐怖、その何倍もの恐怖が押し寄せてきたのだ。きっと、彼がいなくなって気が抜けたから忘れているフリをしていた恐怖は洪水のように押し寄せ、私を呑み込んだ。
死ぬ可能性があること、それを再認識させられた。言葉ではなく、実際の状況で。
これは現実で、リセットも何もない。攻略しなくたって、殺される可能性も、これからうんと血を見る可能性だってあることを。
無理だ。
私の想像していた乙女ゲームの世界じゃない。自分がいた現世より生臭く、酷い場所だ。
怖い。死にたくない……こんなところで死にたくない。
「誰か……」
「―――エトワールッ!」
涙で滲む視界の中、聞き覚えのある声が聞こえた。
それは、私がずっと待ち望んでいた声で、私の大好きな人の声で。
その瞬間、私は強く抱きしめられた。温かくて、安心する。そうして、私は意識を手放した。
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