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月子は、びくついていた。
あの西条家の客間へ向かって、廊下を岩崎に背負わせたまま、進んでいるのだから。
先に来ていた、田村家の運転手が、率先して動いた。
西条家の玄関を開け、岩崎男爵様がおみえだと、知らせたのだ。
瀬川が慌てて現れ、男爵へ挨拶を行った。
芳子も、岩崎も、男爵の後ろに控え、まさに、成り行きを見ているだけの状態だった。
もちろん、瀬川のこと。背負われた月子を目敏く見つけるが、それは、男爵が、弟のせいで、月子に怪我をさせてしまったのだと、話は、またまた、大きくなっていく。
その詫びもだが、月子を早速もらい受けたい。男爵家の人間としてふさわしい花嫁修行に入らせたい。と、男爵は、瀬川に言った。
そんなことから、一行は、瀬川に先導され、客間へ向かっているのだった。
もちろん、月子は、男爵の命により、岩崎に背負われたままだ。
瀬川は、不審な顔をしたが、歩かせるつもりかとの、男爵の一声に、滅相もございませんなとと、頭を下げ素直にしたがった。
芳子は、素知らぬ顔で、控えている。岩崎も、兄に、任せきり、黙っていた。
廊下を進みつつ、月子は、男爵という位の本当の意味合いに、恐ろしさを感じた。
皆、手のひら返しを越えている。這いつくばる様に、率先して、岩崎男爵を奉っている。
そこまでの、家へ、月子は、招かれる事になってしまった。訳あり、とは、実は、この事ではなかろうか。庶民の育ちの月子には、計り知れない力が、動く世界が存在するのだと、痛感していた。
果たして、自分は、ついていけるのだろうか。どう、振る舞えば良いのか分からない。
そして……。
瀬川が、恐縮しながら、障子を開けた。
こちらへと、男爵一行へ声をかけると言うことは、西条家側には、来訪が伝わっているのだろう。
客間からは、話し声か漏れている。
田村家の人間と話しているのか。
佐紀子の縁談先と、かち合ってしまったことが、月子は気が重かった。
こちらが、大事な席に突然現れたのだ。何か、嫌みのひとつぐらいは言われる事だろう。
「おや、やはり、田村さんでしたか」
「これは!岩崎男爵様!奇遇ですな!」
男爵は、知った顔がいると、すかずか部屋へ入り込む。
「おや?!奥様もご一緒で?!」
白髪頭の、男爵とそう年回りの違わない恰幅のよい男性が、さあどうぞどうぞと、座る上座から腰を上げた。
「あら、洋式じゃないのね」
芳子が、やっと、というべきか、ここぞというべきか、ぐるりと部屋を見回しながら言う。
その場にいる、田村、そして、隣に座る若い男、佐紀子と野口のおばが、芳子へ注目した。
「だって、京一さん。月子さんは、足を痛めているのよ?椅子じゃないと、座れないでしょ?」
と、すました顔で男爵に意見する。
申し訳ございませんと、廊下から瀬川が詫びてくるが、佐紀子と野口のおばは、岩崎に背負われている月子を、じろりと睨み付けて来た。
二人とも、何故、月子が、背負われているのかと、言いたげではあったが、それ以上に、月子の装いを、穴が開くほど見つめている。こちらも、一言二言意見したくて、たまらないと堪えているようだった。
「そうねぇ、じゃあ、京介さんが椅子におなりなさいよ」
芳子は、突拍子もないことを言って、当然上座に座るものだとばかりに、男爵の隣に腰を下ろした。
「え?!」
芳子の冗談かと月子は、思いたかったが、岩崎は、なるほど、などと同意して、月子を背負ったまま、器用に座り、そして、月子へ自分の膝を勧めた。
つまり、岩崎の膝の上に横座りしろと言われている訳で、それはなかろうと、月子ならずも、皆、唖然としている。
が、男爵夫婦は、それがいいと、にこやかに言い切っている。
「おや、またそれは……」
田村が不思議そうに言った。
男爵と面識があるからか、唯一、言葉を交わせる立場にいるかのよう、一人、率先して口を開いてくるのだが、岩崎男爵家一行のせいで、上座から、佐紀子が座る下座、向かい側に座らされても、ご機嫌な様子だった。
「まあ、私どもは、すぐに引きあげますから、暫くは、目の毒でしょうけど」
はははと、男爵は、笑い、
「あら、二人とも気が合っているのよ。なにより、京介さんが、月子さんを気に入ってるんだから、京一さん、それぐらい、させてあげないと、京介さんが、我慢できないかも」
続けて、芳子が軽口を叩いた。
ふふふと、笑んでいるが、その視線は何故か、向かい合わせに座る佐紀子に定まっている。
「まあ、暫くのことですし、月子さんが怪我したのは私のせいでもありますから」
と、岩崎まで、さらりと言うと、月子の体をしっかり包み込むように手を添えた。
「へぇ、なんだかんだ、いい具合なんだ。それにしても、佐紀子さんの妹さん?結構可愛いねぇ」
田村の横に座る若者が、口を挟んで来る。
「これ、実《みのる》。男爵様の前だぞ」
「でも、父上、親族顔合せで、丁度良いのでは?」
にやつきなから、若者が言う。
「もしや、そちらは……」
「ええ、男爵様。うちの息子で、佐紀子さんの婿に。本日は、まあ、顔合せというか、今後の話を……」
佐紀子の縁談話を決めてしまおうと、野口のおばが焦ったようだった。ばつが悪そうに、それでも、必死で作り笑いを見せている。きっと、何かしら動いたのだろう。
月子を岩崎の家へ向かわせ、その後とは、あまりにも、急いている。
さらに、舐めるように、月子を見る、佐紀子の相手、実とやらの、軽薄そうな態度も、月子は、なんとなく不快だった。