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狭い201号室の空気は、物理的な破壊音の後に、刺すような沈黙へと変わっていた。
シズ母「ごめんなさいね。
昔、このタコ親父が家で任侠映画とかアウトロー?が出てくるドラマばっかり見てたから、この子、ああいう口上だけは完璧に覚えちゃったんだよ」
天利「は、はぁ……」
シズ母「しかも、バレエで下半身が鍛えられてるからか、足癖が悪くて……」
シズカ「やめてよ……恥ずかしい……」
安物の座卓を囲み、俺と、手首を押さえて顔を青くした輪島組長が並んで正座している。
天利「(サイコロの6と北斗七星……。
どうやって書くつもりだったんだろ……?
シズちゃんタバコ吸わないはずだけど……)」
シズカ「……天利さん。
先程はお見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ございません。
驚かれましたでしょう?」
シズちゃんは、先程父親の腕を蹴り飛ばしたのと同じ脚とは思えないほどしとやかに膝を揃え、俺に深く頭を下げた。
天利「……いえ。その、大丈夫です、シズカさん。
それより、お父様のお怪我は……」
シズ母「自業自得だよ。
このタコ親父は『誑かされた』だのなんだの言うけどさ、私はこの子を、そんな男の口車に簡単に乗るようなバカに育てた覚えはないよ」
輪島「……すまん、母ちゃん」
シズ母「謝んのは私じゃないでしょ!」
部屋の中では、シズちゃんが真っ直ぐに父親を見据えていた。
シズカ「お父様がお怒りになるのは当然ですわ。
でも、その相手は天利さんではなくて私ではありませんの?
お父様が今まで、私達を危険から遠ざけようと必死に戦ってきたのをわかっているはずなのに、それを踏みにじるような道……反社会的勢力の殿方を自ら選んだのもひとり暮らしだと嘘をついたのも私なのですから」
シズちゃんは一呼吸置き、寂しげに目を伏せた。
シズカ「……挨拶に関しても、私から言い出すべきだったのかもしれませんね。
でも、交際段階でとか、同棲=結婚じゃないのに挨拶とか、重いって思われたくなくて……」
シズちゃんは、絞り出すような声で続けた。
シズカ「……怖かったんです。
大学生の頃、当時の交際相手を母に紹介しようとしたことがありましたわ。
でも、彼は母の姿を遠目に見るなり、私を乗せたまま車を急発進させて逃げ出したの」
シズ母「ああ、あの時の腰抜けね。
私はただ、通路から顔を覗かせただけなのに、タイヤを鳴らして逃げていくんだもの」
シズカ「車の窓から2階を見上げて「あ、あの人が私の母です」って言った途端に車を急発進させて、近くのファストフード店に駆け込んで、震えながら『親が出てくるなんて聞いてない』って……」
シズ母「呆れた話でしょう?
帰ってきた後、話を聞いて『親に挨拶もできないような男はやめときな』って、こっぴどく叱ったわ」
シズカ「でも、『結婚するわけでもないのに親に紹介なんて重すぎる』『自立してない証拠だ』『いい歳なんだから親どうこうじゃなくて自分で考えて判断して自分の意思で行動しろ』って言う友人も多くて……。
だから、天利さんに『挨拶に行く』と言われた時、本当に……本当に嬉しかったけれど、重いって思われていたらどうしようって……。
ただでさえ私、気が強くて可愛げがないから……」
シズちゃんの手が、膝の上で震えている。
その震えは、父親を蹴り飛ばした時の鋭さとは無縁の、ただの「1人の女性」としての怯えだった。
天利「そんなふうに自分を卑下しないでよ。
シズカさんは素敵な女性だよ。
ちゃんと自分の考えや意思があって、それを相手を否定することなく伝えることができる。
これは長所だよ!誇っていい!」
シズカ「天利さん……」
天利「……すまなかった、シズカさん」
俺は、彼女の隣で深く畳に頭を下げた。
天利「俺がもっと、君の不安に気づくべきだった。
……俺は、幼い頃に両親が消息を絶ち、育ててくれた叔母とも10代で縁が切れた。
その頃からはずっと裏社会に身を置いている。
……親に挨拶をする、家族に紹介する。
そんな当たり前の『温かい常識』に疎すぎたんだ」
俺の言葉に、輪島組長がわずかに視線を揺らす。
天利「順番が逆になってしまったことも、心からお詫びします。
本来なら、同棲が決まった時点……いや、シズカさんとお付き合いすると決めた時点で、こうして筋を通しに伺うべきだった。
俺の配慮が足りなかったせいでシズカさんに全ての泥を被せて、嘘をつかせてしまった。
……お義父様、お義母様。
不束なのは、彼女ではなく、俺の方です」
部屋に、沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、手首を冷やしていた輪島組長の、短いため息だった。
輪島「……頭を上げろ、天利。
……俺だってお綺麗に生きてきたわけじゃねぇ。
この業界、親兄弟と縁が切れてるなんてのはザラだ。
……俺だって、上の兄貴は死に、下の兄貴は行方不明。
親父もお袋もとっくに死んで身寄りなんてのは……この娘と、母ちゃんしかいねぇんだ」
輪島組長は、不自由な手でシズちゃんの頭にそっと触れようとして、ためらって止めた。
輪島「……逃げなかったな、お前は。
……ドスを向けられても、娘の跳ねっ返りなとこを目の当たりにしても、羊羹持って座り続けてやがる。
……娘が選んだのが、その腰抜けじゃなくて、お前みたいな『馬鹿正直な極道』で……。
……正直、少しだけ安心しちまったじゃねぇか」
シズ母「……そうね。
車で逃げ出す男よりは、羊羹を抱えて座ってる男の方が、よっぽど根性あるわ。
……ほらシズカ、いつまで泣いてんの。
あんたの選んだ男は、あんたの嘘も、私の毒舌も、全部背負うって言ってるんだから」
シズカ「……はい。……ありがとうございます、お母様。
……お父様、ごめんなさい」
輪島「いや、いい……。
父ちゃんこそ話も聞かずに悪かった……
天利組長にも悪かった……」
天利「いえ……」
シズちゃんが顔を上げ、涙の滲んだ目で俺を見た。
その瞳にはもう、過去のトラウマに怯える影はなかった。
天利「(……シズちゃん。君が抱えていた『重さ』を、これからは俺も一緒に持つよ)」
俺は、彼女の母が淹れてくれた2杯目のお茶を飲み干した。
苦いけれど、どこか澄んだ味がした。