テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#探偵
橘靖竜
4,950
紗良にゃん
47
38
如月 未澄斗
216
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
しそね町において、吾妻グループは絶対的な存在だった。
町民の多くが吾妻和志会長を尊敬し、その息子である勇太と勇信も、当然のように知られている。
つまり、多くの人間が勇信という名を知っていた。
そうした意味では、しそね町は東京よりも危険な場所だった。
ただし、ひとつだけ安心材料はある。
成人した勇信の顔を、はっきり知る者はほとんどいないことだ。
メディアに出るのは、常に兄の勇太だった。
加えて勇信は、大人になってからこの地を訪ねたことがない。
危険がないとは言えない。
しかし別荘の出入りさえ慎重にすれば、取り急ぎの居場所としては最悪ではなかった。
ブルースは、仮設フェンスに沿って歩いていた。
遠くにぽつりと明かりが見えた。
近づいてみると、そこにはコンテナオフィスがあった。
下請け業者の従業員たちが常駐する場所だろう。
オフィスへ近づくと、路上に筆記用具や頭痛薬が転がっていた。
「何だこれ?」
ブルースは、血のついた頭痛薬を手に取った。
血は黒く乾きかけている。
ついさっき流れたものではない。
しかし、何日も前のものでもない。
注意深く周囲を確認すると、道路やフェンスにも血痕があった。
飛び散り方からして、誰かが体調不良で吐血したわけではない。
ケンカ。
いや、それだけでは済まない。
ブルースはアクションカメラの録画を止め、ポケットにしまい込んだ。
ベースボールキャップを深くかぶり直し、マスクをつけてコンテナオフィスへ向かう。
コンコンコン――。
扉をノックすると、ひとりの労働者が顔を見せた。
男はブルースを見るなり、怪訝そうな表情を浮かべた。
「あんた、誰だい?」
労働者が勇信を知っているはずはない。
ベースボールキャップとマスク。
安物のスポーツウェア。
そのうえ、東京にいる常務がこんな時間にここへ来るなど、考えもしないだろう。
「あそこのフェンス近くに血がついていましてね。何かあったのでしょうか」
ブルースの問いかけに、労働者の表情が変わった。
「さあ、なんだろうな。俺も知らないよ。野良犬同士が激しくやり合ったんじゃねぇの?」
「これを見てください」
ブルースは血のついた頭痛薬を見せた。
「なんだこれ? よくわかんねぇな……。あんたも、こんなの気にせずさっさと帰りな」
「わからないと言うわりには、ひどく怯えた顔ですね」
「なんだ? あんた、誰だ?」
労働者が鋭い目でブルースを睨むと、さらに後ろから別の男が現れた。
「現場責任者の秋山です。どちら様でしょうか」
30代後半くらいの男だった。
2本の腕は太く、Tシャツの下に隠れた筋肉が容易に想像できる。
ブルースは思わず、秋山と名乗る男を見つめた。
秋山泰泳か。
まさか、うちの下請けをやっていたとはな。
「どちら様でしょうか」
秋山が再び聞いた。
「吾妻建設の者です」
「社員の方ですか。はじめてお会いするようですが」
「東京本社から来ましたので」
「そうですか」
秋山は、帽子とマスクに守られたブルースの目をじっと見た。
「血の状態からして、動物のケンカではないようです。ビスタの前で起きているだけに、事情を知っている方を探していました」
「……こちらの不始末です」
秋山は低い声で言った。
「今、関係者を捜しているところです。明日、こちらから事務所へ伺って説明します。失礼ですが、お名刺を1枚いただけますか」
「名刺は持っていません。今ここで説明してください」
秋山の目が細くなった。
「あなたが吾妻建設の方だという証拠はありますか?」
「そうだよ。あんたが社員さんだって証拠を見せてくれ」
最初に対応した労働者が割り込んだ。
「……堀口ミノル課長」
ブルースがその名を口にすると、労働者の表情が一変した。
「ああうわぁ……」
その狼狽ひとつで、路上の血が誰のものなのか察するには十分だった。
瞬時に怒りが込み上げた。
堀口がどのような罪を犯したとしても、処罰は会社や法律が規定するものだ。
あれほどの血が流れるなど、度を越した暴行があったに違いない。
「まさか、堀口課長に暴行を加えたのですか」
ブルースはこぶしを握りしめた。
「あ……ああうわ」
労働者のひとりが口ごもりながら後退した。
代わりに正面へ立った秋山の表情は変わらなかった。
「私が手を出しました。後ろの従業員は預かり知らぬことです」
「あなたが?」
「はい。現場責任者は私です。ここで起きたことは、すべて私の責任です」
秋山の表情は変わらなかった。
背後の労働者たちだけが、見る見るうちに顔色を失っていった。
「責任を認めるんですね。なぜです?」
「ここで話せる内容ではありません」
秋山は頭を下げた。
「明日の朝、事務所へ伺います。そこで、すべて説明させてください」
「いえ、オフィスに来る必要はありません」
「といいますと?」
「私が指定する場所に来てください。明日、そこで待っています」
ブルースが指定したのは、東京・神宮前にあるグレートコロシアムだった。
2日後、吾妻グループが運営する総合格闘技大会、マーシャルFCのナンバーシリーズが開かれる会場だ。
秋山は、しばらく黙っていた。
「なぜ、そこなんですか」
「あなたには、ふさわしい場所だと思いましたので」
ブルースは静かに言った。
「暴力が何なのか。裁きが何なのか。そこで話しましょう」