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第251話 次の観測対象
【異世界・王都イルダ/医療棟・治療室・昼】
『次の観測対象を設定します』
Cの声が、白い壁の向こうから響いた。
『雲賀匠』
無数の黒い針が、匠の胸元へ向く。
先端が揃った瞬間、補助層全体が暗く沈んだ。
それまで壁の奥に見えていた白い線が、一つずつ黒い枠に囲まれていく。
匠がユナの帰還を支えるために使った線。
現実側の臨時医療受け入れ室へ繋いだ線。
ハレルの主鍵へ伸ばした線。
そのすべてが、Cの観測対象になっていた。
ハレルの主鍵が激しく熱を持つ。
「父さん、離れろ!」
匠は動かなかった。
「動けば補助層の位置が確定する」
「もう狙われてるだろ!」
「狙われることと、捕まることは違う」
匠は黒い針を見たまま答えた。
身体の輪郭は薄い。
肩から崩れた白い数字のような粒が、補助層の奥へ流れていく。
サキが不安そうにスマホを握る。
「お父さん、消えかけてる」
「ユナの帰還に負荷を使っただけだ」
「本当にそれだけ?」
匠は答えなかった。
その沈黙が答えに近かった。
リオは空になった寝台の前から黒い針を見る。
「Cは何を調べるつもりだ」
ノノの声が通信から入る。
『観測項目が増えてる』
『身体位置』
『意識位置』
『名前の固定点』
『補助層に残ってる割合』
ハレルが顔を上げる。
「父さんをユナさんみたいに分ける気か」
『違う』
ノノはすぐに答えた。
『匠さんは、もう分かれてる』
治療室に短い沈黙が落ちた。
現実側。
異世界側。
その間にある補助層。
匠の身体と意識は、すでに複数の場所へずれている。
Cは、それをさらに分ける必要がない。
どの部分を動かせば、匠という存在が崩れるのか。
ただ観測すればいい。
Cの声が続いた。
『雲賀匠の構成を確認します』
『現実側残留反応』
『異世界側投影反応』
『補助層維持意識』
『本人の現在選択』
黒い針が一本、匠の右肩へ刺さった。
匠の姿が大きく揺れる。
「父さん!」
ハレルが主鍵を強く握った。
白い光を伸ばそうとする。
だが匠が叫んだ。
「繋ぐな!」
ハレルの手が止まる。
「主鍵を繋げば、お前まで観測線に入る!」
黒い針は攻撃ではなかった。
血も出ない。
身体を傷つけるわけでもない。
ただ、刺さった場所から白い文字が浮かんでいく。
《雲賀匠》
《父親》
《記者》
《共同研究者》
《門の設計者》
役割。
記録。
名前。
匠を形作る情報が、黒い針によって一つずつ外へ引き出されていく。
Cは静かに言った。
『構成要素を確認』
『優先順位を比較します』
ハレルは歯を食いしばった。
「父さんを、役割に分けるな」
『分解ではありません』
Cが答える。
『観測です』
「同じだ!」
ハレルの声が治療室へ響いた。
「見た結果で、父さんが何者か決めるなら同じだ!」
Cは返事をしなかった。
代わりに、二本目の黒い針が匠の足元へ伸びた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・帰還した学園/臨時医療受け入れ室・昼】
ユナは寝台の上で、浅い呼吸を繰り返していた。
目は開いている。
だが、長く話せる状態ではない。
佐伯は呼吸と脈拍を確認し、点滴の準備を進めている。
村瀬はユナのそばで、現在位置を繰り返し伝えていた。
「ここは現実世界です」
「帰還した学園、校舎一階の臨時医療受け入れ室です」
「あなたは一ノ瀬ユナさんです」
ユナは小さく頷く。
「分かる……」
「無理に話さなくて大丈夫です」
日下部は隔離端末を見ていた。
ユナの帰還反応は安定している。
身体。
名前。
意識。
本人選択。
すべて正常。
黒い影の混入もない。
だが、帰還線の向こう側で、別の異常が急激に上がっていた。
「匠さんが狙われています」
佐伯が振り向く。
「どんな状態ですか」
「Cが匠さん自身を観測対象に指定しました」
村瀬の表情が硬くなる。
「ユナさんが戻った直後に?」
「帰還手順を最後まで見たからです」
日下部は画面に出た複数の反応を見る。
匠の意識。
匠の名前。
匠の身体位置。
どれも別々の場所を示している。
「Cは、匠さんを戻す方法を調べているんじゃありません」
「どう壊れるかを調べています」
佐伯が低く言う。
「城ヶ峰さんへ」
「もう送ります」
日下部は緊急報告を作成した。
『一ノ瀬ユナ帰還完了後、Cが雲賀匠を観測対象に指定。』
『匠の身体・意識・名前の分離反応を測定中。』
『現実側に残る匠の身体または痕跡の捜索を要請。』
送信。
城ヶ峰からの返事は早かった。
『受信。』
『木崎が匠の事務所を捜索中。残留座標に繋がる記録を優先させる。』
『こちらでも匠本人の現実側位置を再調査する。』
日下部は少しだけ息を吐いた。
その時、寝台の上のユナが小さく動いた。
「匠……さん?」
村瀬が顔を近づける。
「知っていますか」
ユナは苦しそうに眉を寄せた。
「名前は……知ってる」
日下部が振り返る。
「クロスゲート社で?」
ユナはすぐには答えない。
記憶の奥を探るように目を閉じる。
「会社の人じゃない」
「何度か……調べに来た」
呼吸が少し速くなる。
佐伯が止めようとする。
「今は話さなくて大丈夫です」
だが、ユナは小さく首を振った。
「白峰さんが……嫌がってた」
日下部の手が止まる。
「何をですか」
「匠さんが、補助層を……まだ持ってること」
ユナの声は弱い。
それでも、確かに聞こえた。
「白峰さんは言ってた」
「古い層は、二人のものだって」
◆ ◆ ◆
【現実世界・雲賀匠の事務所・昼】
木崎は、机の上に広げた資料を一枚ずつ確認していた。
学生時代の研究ノート。
白峰律の恋人が亡くなった事故の記事。
補助層の原型図。
そして、表紙に『C』と書かれ、途中のページを破られたノート。
城ヶ峰から緊急連絡が届く。
『匠の現実側残留地点を探せ。』
『身体、機器、記録、何でもいい。本人の位置へ繋がるものを優先。』
木崎は短く返信する。
『分かった。』
匠は補助層にいる。
だが、補助層へ入る前の身体がどうなったのか、誰も正確には知らない。
消えた。
転移した。
境界へ落ちた。
それだけで済ませていた。
木崎は事務所の奥を見る。
机。
書棚。
古い端末。
取材用のカメラ。
匠が普段使っていた物ばかりだ。
だが、本人の身体へ直接繋がるようなものは見当たらない。
「どこに置いてきた」
木崎は低く呟く。
その時。
机の下に置かれた古い電源装置から、小さな音がした。
一度。
二度。
一定の間隔。
木崎はしゃがみ込む。
電源装置は、長い間使われていないように見えた。
表示も消えている。
だが、側面の奥で小さな白い光が点滅していた。
木崎は装置を引き出す。
裏側に細いケーブルが一本繋がっている。
床を這い、書棚の裏へ続いていた。
書棚を動かす。
壁の下部に、小さな金属箱が埋め込まれている。
表面には文字があった。
『LOCAL AUXILIARY NODE』
補助層の局所接続点。
木崎は城ヶ峰へ写真を送る。
『匠の事務所で補助層用の接続装置を発見。』
『まだ動いている。』
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深層】
Cは匠の構成を観測し続けていた。
『現実側残留反応を検出』
白峰律が画面を見る。
そこには、木崎が見つけた金属箱が映っている。
「まだ残していたか」
白峰は静かに言った。
オルガが分析する。
「局所接続点」
「匠は、現実側へ一部の座標を置いたまま補助層へ入った」
ヴァルドが低く言う。
「切れば、補助層側へ固定される」
カシウスは匠を見る。
「戻れなくなるということか」
「それだけではない」
白峰は答えた。
「現実側の位置を失えば、匠は補助層の維持意識だけになる」
「身体へ戻る基準が消える」
ジャバが口元を歪める。
「じゃあ、壊せばいい」
Cが金属箱へ観測線を伸ばす。
「現実側固定点への干渉を開始します」
だが、白峰が片手を上げた。
「待て」
Cの線が止まる。
オルガが見る。
「なぜ止める」
白峰は匠の事務所にある接続装置を見つめていた。
学生時代。
匠と二人で作った補助層の原型。
失敗した処理を逃がすための、小さな余白。
その入り口に似ている。
「壊すのは簡単だ」
白峰が言う。
「だが、匠がどうやって現実へ戻るつもりなのか、まだ見ていない」
カシウスは白峰を見る。
「情があるのか」
白峰は穏やかに答えた。
「観測だ」
Cと同じ言葉だった。
だが、その目には、完全に同じではない何かがあった。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/医療棟・治療室・昼】
二本目の黒い針が、匠の足元へ刺さった。
白い壁の奥に、現実側の映像が浮かぶ。
匠の事務所。
木崎。
そして、壁の中から見つかった金属箱。
匠の表情が変わった。
「見つけたか」
ハレルが映像を見る。
「あれが父さんの現実側の位置なのか」
「位置そのものではない」
匠は答えた。
「戻るための目印だ」
サキが聞く。
「壊されたら?」
匠は黙った。
ハレルが一歩前へ出る。
「戻れなくなるんだな」
「可能性は高い」
「だったら、今すぐ守らないと」
「現実側には木崎がいる」
「でもCも見つけた!」
ハレルの声が強くなる。
匠は息子を見る。
「だから、お前はユナの帰還線を切れ」
「何でだ」
「帰還が終わっても線を残しておけば、Cはそこから現実側へ触れられる」
ハレルは空になった寝台を見る。
ユナの帰還は完了している。
それでも細い白い線が、まだ現実側と医療棟を繋いでいた。
成功記録を確認するため。
異常がないか監視するため。
すぐには切らずに残していた。
「切ったら、父さんとの現実側の繋がりも弱くなるんじゃないか」
「私の線は別だ」
「本当に?」
匠はまた答えなかった。
ハレルは主鍵を握ったまま動かない。
父は以前も、必要なことだけを言い、自分が危険になる部分を隠した。
今も同じだ。
「父さん」
「何だ」
「俺たちを帰すために、自分の道を切るつもりじゃないよな」
匠の目がわずかに揺れた。
それだけで十分だった。
サキも気づく。
「お父さん……」
「今はユナの帰還を完全に閉じることが先だ」
匠は話を戻そうとする。
だが、ハレルは引かなかった。
「前に言っただろ」
情報処理室で。
短い再会の中で。
「次は逃げるなって」
匠は黙る。
「話を変えるのも同じだ」
ハレルは主鍵の光を二つに分けた。
一本を、ユナの帰還線へ。
もう一本を、匠へ向ける。
「ユナさんの道は閉じる」
「でも父さんの位置は、別に残す」
匠の表情が険しくなる。
「危険だ」
「危険でもやる」
「ハレル」
「父さんだけを置いていく手順は、もう選ばない」
リオがその横へ立った。
「同感だ」
右腕の副鍵が光る。
「姉さんを帰す時、全部が本人だって言った」
リオは匠を見る。
「あんたも同じだ」
「父親だけでもない」
「門の設計者だけでもない」
「補助層を支える役目だけでもない」
サキもスマホを掲げる。
reの白い光が、匠の周囲へ細い線を引いた。
「お父さん自身が帰る場所も残す」
匠の周囲で、三つの光が重なる。
主鍵。
副鍵。
reの補助線。
ノノの声が通信から上がった。
『匠さんの本人選択が必要!』
『ユナさんと同じ!』
匠が顔を上げる。
『役割じゃなくて』
ノノは続けた。
『匠さん自身が、どこへ戻るか言って!』
黒い針が匠の胸元へ迫る。
Cの声が響いた。
『雲賀匠の選択を観測します』
ハレルは父を見た。
「父さん」
白い壁の向こうで。
匠は、長い間避けてきた問いを突きつけられていた。
全員を帰す。
道を守る。
白峰を止める。
そのために、自分だけが補助層へ残ることを、どこかで当然だと思っていた。
だが、それは本人の選択なのか。
それとも、自分へ与えた役割なのか。
黒い針が、匠の胸へ触れる。
ハレルは叫んだ。
「父さんは、帰りたいのか!」
匠の口が開いた。
コメント
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うわ、第251話、めっちゃ重いところで終わった……! 匠が「帰りたいのか」って問われて口を開く直前で止まるの、もう続きが気になって仕方ないです。 個人的に一番響いたのは、ハレルが「父さんだけを置いていく手順は、もう選ばない」って言ったところ。これまでずっと匠が一人で全部背負おうとしてきたのが、家族や仲間がそれを許さなくなった瞬間で、胸が熱くなりました。そして白峰の「観測だ」って台詞がCと全く同じ言葉なのに、その目に「完全に同じではない何か」があったっていう描写、設定マニアとしてはたまらない伏線感です。匠と白峰の過去に何があったのか、もっと知りたくなりました。
#ライトノベル
こはる
871
Nu²Ⅰ
14,737
上野文
6,157
#ご本人様には関係ありません
ふゅう@低浮上
8,626