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#溺愛
桜咲かな
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#溺愛
桜咲かな
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第252話 匠の意志
【異世界・王都イルダ/医療棟・治療室・昼】
「父さんは、帰りたいのか!」
ハレルの声が、治療室に響いた。
白い壁の向こうで、雲賀匠は動かなかった。
無数の黒い針が、その胸元へ向けられている。
《父親》
《記者》
《共同研究者》
《門の設計者》
《補助層維持者》
黒い文字が匠の周囲を回り、どの役割を中心に固定するべきか測っている。
Cは、答えを待っていた。
匠が自分をどう定義するのか。
何を優先し、何を捨てるのか。
その選択を観測し、匠という存在の形を決めようとしている。
ハレルは主鍵を握ったまま、父を見ていた。
「全員を帰すために残る」
「道を守るために残る」
「白峰を止めるために残る」
「父さんは、ずっとそればっかりだ」
匠の目がわずかに揺れる。
「必要なことだ」
「必要かどうかを聞いてるんじゃない」
ハレルは言った。
「父さん自身が、どうしたいのか聞いてる」
匠は答えられなかった。
サキもスマホを胸元へ抱えたまま、父を見る。
「私たちを帰して、それで終わりにするつもりだったの?」
「そうではない」
「じゃあ、帰るって言って」
匠の周囲で黒い針が細かく震えた。
Cが会話を観測している。
『雲賀匠の優先選択を確認します』
『子供の帰還』
『補助層の維持』
『白峰律の停止』
『本人の生存』
四つの文字が並ぶ。
そのうち《本人の生存》だけが、他より薄かった。
ハレルはそれを見て、拳を握る。
「勝手に順番を決めるな」
『雲賀匠自身の反応を表示しています』
Cが答えた。
『本人は自己の生存を最下位に設定しています』
「だから何だ」
『合理的な選択です』
「合理的でも、俺たちは認めない」
ハレルは主鍵の光を匠へ伸ばした。
匠がすぐに止める。
「繋ぐな。お前まで観測される」
「もうされてる」
「ハレル」
「最初から俺たちは、父さんの息子として見られてる」
ハレルは引かなかった。
「今さら俺だけ安全な場所に下がれるわけないだろ」
リオも右腕の副鍵を光らせた。
「こいつの言う通りだ」
匠がリオを見る。
「姉さんを帰す時、俺は全部が一ノ瀬ユナだと言った」
リオは黒い文字を指す。
「あんたも同じだ」
「父親だけじゃない」
「門を作った研究者だけでもない」
「白峰を止める役目だけでもない」
サキが続ける。
「私たちに怒られるお父さんでもある」
匠が一瞬、言葉を失った。
「勝手にいなくなって」
「何も話さなくて」
「会えても、すぐ消えて」
サキの声が震える。
「まだ全然、話が終わってない」
reがスマホの中で強く光った。
白い線が、匠の周囲に浮かぶ黒い役割の文字を避けて進む。
父親。
記者。
研究者。
設計者。
どの言葉にも触れない。
その中心にある、まだ何も書かれていない場所へ向かう。
セラの声が通信から入った。
『匠さん』
『そこは、役割を選ぶ場所ではありません』
匠はreの白い線を見る。
『何をする者として残るかではなく』
セラは静かに続ける。
『あなた自身が、どこへ行きたいかを決める場所です』
ノノも言った。
『ユナさんの時と同じです』
『誰かを助けるための答えじゃなくていい』
『匠さん自身の答えを言ってください』
黒い針が匠の胸へ触れた。
《選択待機》
Cの声が響く。
『雲賀匠』
『残りますか』
『帰還しますか』
二つの文字が現れた。
《補助層に残る》
《現実へ帰る》
匠はその二つを見た。
だが、すぐに首を振った。
「その選択肢には答えない」
Cが反応する。
『回答を要求します』
「残るか、今すぐ帰るか」
匠は言った。
「その二つしかないように見せているだけだ」
ハレルが父を見る。
匠は初めて、自分からreの白い線へ手を伸ばした。
「私は、今すぐ補助層を捨てることはできない」
黒い文字が《補助層に残る》へ集まり始める。
「だが」
匠は続けた。
「ここで消えるために残るわけでもない」
文字の動きが止まった。
「ハレルとサキの父親として」
「律を止める者として」
「帰還の道を作った人間として」
「どれか一つを選ぶつもりもない」
匠の手が、reの白い光へ触れる。
「私は、全部を終わらせた後で帰るのではない」
「帰るために、今ここで戦う」
ハレルの主鍵が強く輝いた。
サキのスマホから伸びる白い線も、匠の輪郭へ重なる。
匠ははっきりと言った。
「私は現実へ帰る」
黒い針が大きく震えた。
「ハレルとサキのところへ帰る」
「自分の身体を取り戻す」
「そのうえで、律とカシウスを止める」
《補助層に残る》
《現実へ帰る》
Cが用意した二つの文字が砕ける。
代わりに、匠自身の言葉が白い光となって現れた。
《現実へ帰るため、補助層の道を維持する》
それは、Cが用意していなかった第三の答えだった。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深層】
Cの周囲に表示されていた観測結果が乱れた。
「選択分類に不一致」
「残留と帰還が同時に設定されました」
オルガが画面を見る。
「矛盾ではない」
Cが反応する。
「説明を要求します」
「現在の行動と、最終的な目的が違うだけだ」
オルガは言った。
「匠は今、補助層に残る」
「だが、残ることを最終選択にはしていない」
ヴァルドが低く続ける。
「層を足場として使う」
「墓にはしない」
白峰律は、匠の新しい選択を黙って見ていた。
学生時代。
二人が作った補助層の原型。
失敗した処理を逃がすための場所。
どちらの世界にも属さない余白。
白峰にとって、そこは別の世界を作るための始まりだった。
匠にとっては、帰る道を壊さないための支えになった。
同じ層。
違う使い方。
カシウスが白峰を見る。
「匠は帰ると言った」
「聞こえている」
「君は止めるのか」
白峰はすぐには答えなかった。
匠が現実へ帰れば、自分たちの研究について、さらに多くの証言が残る。
クロスゲート社の裏側。
補助層。
C。
失われた恋人を戻すために始めた研究。
すべてを知られる可能性がある。
それでも白峰の表情には、怒りよりも別の感情があった。
「帰れるなら、帰ればいい」
ジャバが眉を寄せる。
「止めねえのかよ」
「ただし」
白峰は補助層の構造へ手を触れた。
「匠の身体が、まだ現実側に残っていればの話だ」
黒い画面に、匠の事務所で見つかった局所接続点が映る。
その奥。
まだ誰にも見つかっていない座標。
弱い白い反応。
人の身体なのか。
記録なのか。
あるいは、ただの接続痕なのか。
判別できない。
Cは新しい観測を開始しようとする。
カシウスが止めた。
「今は追うな」
Cの黒い針が止まる。
「理由を要求します」
「一ノ瀬ユナの帰還記録を保存しろ」
カシウスは言った。
「正しい道を一つ見つけたなら、残りの消失者にも使える」
オルガがカシウスを見る。
「彼らを戻すつもりか」
「戻した時に、何が残るかを見る」
カシウスにとって、救出さえ実験だった。
「消えた者は、一か所にはいない」
カシウスは複数の暗い層を表示する。
駅。
病院。
住宅地。
地下施設。
名前のない空間。
「匠たちが探すなら、探させろ」
「彼らが道を開けば、こちらもその先を観測できる」
◆ ◆ ◆
【現実世界・雲賀匠の事務所・昼】
壁の中から見つかった局所接続点が、白く点滅していた。
木崎は装置へ直接触れず、周囲を撮影している。
城ヶ峰も、数名の技術班を連れて事務所へ到着していた。
「電源は」
技術班員が確認する。
「通常の電源には繋がっていません」
「では、なぜ動いている」
「分かりません」
装置のケーブルは、古い電源設備へ繋がっているように見えた。
だが、電圧は検出されない。
それでも白い光は一定の間隔で点滅を続けている。
日下部から通信が入る。
『匠さんが、現実へ帰る意思を示しました』
木崎が顔を上げる。
「ようやくか」
城ヶ峰が聞く。
『現実側で必要なものは』
『匠さんの身体か、それに繋がる固定座標です』
『事務所の装置は、帰還地点の目印になっている可能性があります』
城ヶ峰は装置を見る。
「保全する」
「電源を落とすな」
「外部回線にも繋ぐな」
技術班員たちが頷く。
木崎は机の上の古い研究ノートを持ち上げた。
「この装置だけじゃ足りないだろ」
「匠が補助層へ入った日の記録が必要だ」
城ヶ峰が見る。
「残っていると思うか」
「残す奴だ」
木崎は言った。
「本人は隠してるつもりでも、後から誰かが追えるように必ず何か置いていく」
「白峰の資料もそうだった」
木崎は箱の底をさらに探る。
書類を出す。
古い記録媒体。
封筒。
その一番下に、薄い地図が折り畳まれていた。
現実側の湾岸地域。
旧クロスゲート地下施設。
オルタリンクタワー。
聖環センター。
そして、地図の外れに赤い丸が一つ描かれている。
名称はない。
横に匠の字で短く書かれていた。
『身体側固定点』
木崎の表情が変わる。
「見つけた」
城ヶ峰が地図を受け取る。
「場所は」
木崎は赤い丸を指した。
「湾岸の旧研究施設だ」
「クロスゲート社の登記にも出てこない場所だな」
城ヶ峰はすぐに指示を出す。
「所在地を特定」
「部隊を準備しろ」
「ただし突入はしない」
「日下部たちと座標を確認してから動く」
匠を現実へ戻すための手掛かりが、初めて形になった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・帰還した学園/臨時医療受け入れ室・昼】
ユナの状態は、少しずつ安定していた。
呼吸。
脈拍。
体温。
すべてが危険な数値から戻り始めている。
佐伯は医療機関への搬送準備を進めていた。
村瀬はユナの意識反応を確認する。
「今いる場所は分かりますか」
「帰還した……学園」
ユナは弱い声で答える。
「一階の、医療室」
「はい」
「私は……一ノ瀬ユナ」
名前も現在位置も保たれている。
村瀬は頷いた。
「その通りです」
ユナは少しだけ顔を動かす。
「涼は?」
日下部が答える。
「まだ異世界側です」
「でも、ユナさんを帰した方法を使って、ハレルさんたちも戻る準備をします」
ユナは目を閉じた。
安心したのではない。
弟がまだ戻っていないことへの不安は残っている。
それでも、信じようとしていた。
「待ってる」
ユナは小さく言った。
「今度は、私が」
その言葉を聞き、日下部は通信を開く。
『リオさん、聞こえますか』
少し遅れて、リオの声が返る。
『聞こえる』
『ユナさんからです』
日下部はユナを見る。
ユナは力を振り絞るように言った。
「涼」
異世界側で、リオが息を止める。
「帰ってきて」
短い言葉。
それだけだった。
リオは右腕の副鍵を握った。
『ああ』
『今度は俺が帰る』
ユナの口元が少しだけ緩む。
佐伯が言う。
「これ以上は休ませます」
日下部も頷く。
通信を閉じる前に、リオが言った。
『姉さんを頼む』
「任せてください」
接続が切れる。
ユナの帰還線は、役目を終えようとしていた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/医療棟・治療室・昼】
匠は、ユナの帰還線を見つめた。
現実側から、身体と意識の安定が確認された。
これ以上、開いたままにする必要はない。
むしろ残せば、Cや白峰が現実側へ触れる入口になる。
「ユナの帰還線を閉じる」
匠が言った。
ハレルが頷く。
「でも、記録は残す」
「ああ」
成功した道を完全に消してはいけない。
身体。
名前。
場所。
現在の選択。
本人が作った答え。
セラとreによる案内。
それらを手順として保存し、別の行方不明者にも使える形にする。
ノノが通信越しに言う。
『帰還記録、保存完了』
『異世界側と現実側、両方に分けて持つ』
『片方が書き換えられても、もう片方から戻せるようにする』
日下部の声も続いた。
『現実側の保存も完了しています』
『帰還線を閉鎖してください』
匠は白い線へ手を置く。
「ハレル、主鍵を弱めろ」
「リオ、副鍵を帰還先から外せ」
二人が指示に従う。
サキのスマホでは、reが白い線の外側を一度回った。
残っている黒い針がないことを確かめるように。
セラが言う。
『経路上に異常はありません』
「閉じる」
匠の声と同時に、白い帰還線が現実側から順に細くなった。
受け入れ室。
現実側の学園。
二つの世界の間。
医療棟。
光は細い糸になり、最後に一つの点へ縮む。
そして消えた。
治療室に静けさが戻る。
空の寝台。
残った治癒光。
ユナはもういない。
だが、誰もその空白を喪失とは感じなかった。
彼女は現実へ帰った。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/分析室・昼】
ノノは、保存された帰還記録を見ていた。
一ノ瀬ユナ。
帰還成功。
初めて、安全な手順で異世界から現実へ戻った人間。
その記録の下に、新しい項目を作る。
《次の目的》
セラが横から見る。
「ハレルたちの帰還ですか」
「それもある」
ノノは項目を増やしていく。
《雲賀ハレル》
《雲賀サキ》
《リオ》
《雲賀匠》
さらに、その下。
《行方不明者》
クロスワールドゲートによって消えた人々。
駅で。
自宅で。
職場で。
病院で。
画面を見た直後に消えた者。
アプリを起動したまま戻らなくなった者。
誰がどの層にいるか分からない。
ユナのように異世界へ落ちた者もいる。
別の場所に閉じ込められた者もいる。
記憶だけを抜かれた者。
役割だけを与えられた者がいる可能性もある。
「帰還手順はできました」
ノノが言う。
「でも、まず見つけないと戻せない」
セラは頷いた。
「名前と場所が必要です」
「現実側で、行方不明者の名前と消えた場所を集める」
「異世界側で、対応する反応を探す」
「その二つを重ねる」
セラは、水晶板に広がる暗い層を見る。
「王都だけでは足りません」
「うん」
「オルタ・スパイア」
「古い石造りの建物」
「消えた地下階段」
「カシウスたちが使っていた深層」
ノノは一つずつ地図へ追加する。
「全部調べる」
「アデルたちにも協力してもらう」
セラの表情が少しだけ曇る。
「危険な場所が多いです」
「分かってる」
ノノは答えた。
「でも、ユナさんは戻れた」
水晶板に表示された《帰還成功》の文字を見る。
「もう、どこにいるか分からないから無理だとは言えない」
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/医療棟前・昼】
ハレルたちは治療室を出た。
廊下には、イデールの治療班が待っていた。
ユナの帰還が成功したことは、すでに伝わっている。
イデールの部下たちは安堵した表情を見せた。
「無事に戻れたんですね」
リオは頷く。
「ああ」
イデールは空になった治療室を振り返る。
長い間、異世界で治療を受けていたユナ。
その患者がいなくなったことを、初めて喜べる。
「よかった」
イデールは静かに言った。
廊下の先から、アデルとヴェルニが歩いてきた。
王都の警備を別部隊へ引き継ぎ、医療棟へ戻ってきたところだった。
アデルはハレルたちを見る。
「間に合わなかったか」
「姉さんは帰った」
リオが答えた。
「無事に?」
「ああ」
アデルの肩から、わずかに力が抜ける。
「そうか」
ヴェルニはリオの背中を強く叩こうとした。
だが、直前で傷を思い出したのか、手を止める。
「やったな」
「痛くないところなら叩いていいぞ」
「注文が多いな」
短い会話。
それでも、リオの表情は少しだけ軽くなった。
ハレルはアデルへ向き直る。
「これからのことを話したい」
アデルはすぐに真剣な顔へ戻った。
「ユナを戻して終わりではない、という顔だな」
「ああ」
ハレルは答えた。
「俺たちも現実へ帰る」
「サキも、リオも」
「父さんも帰す」
アデルは白い壁の向こうに残る匠の反応を見る。
「方法はあるのか」
「まだ全部は分からない」
「でも、父さんの現実側固定点らしい場所が見つかった」
「そこから身体の位置を探す」
アデルは頷いた。
「それだけではないのだろう」
ハレルは廊下の窓から王都を見る。
黒い獣に襲われた区画。
崩れた建物。
カシウスたちが残した傷。
そして、どこかの層に閉じ込められている人々。
「現実側から消えた人たちを探す」
サキも続ける。
「ユナさんみたいに、どこかで待ってる人がいる」
リオが言う。
「姉さんの帰還記録があれば、同じ方法を使えるかもしれない」
アデルはしばらく黙っていた。
現実側の人間を探す。
それは異世界側にとっても簡単なことではない。
人が落ちた場所は、王都の中だけとは限らない。
カシウスの深層。
古い結界層。
名前を失った空間。
行方不明者がどこにいるのか、誰にも分からない。
だが、アデルは迷わなかった。
「王国警備局の記録を開く」
ハレルが見る。
「いいのか」
「カシウスに関係する失踪者」
「正体不明の意識反応」
「名前のない患者」
「異世界側にも、同じ被害者がいる可能性がある」
アデルは左手首の副鍵へ触れた。
「現実側の行方不明者だけではない」
「こちらの世界から消された者も探す」
ハレルは頷いた。
二つの世界。
どちらにも、カシウスたちによって失われた人間がいる。
現実側だけを救えば終わる話ではない。
ヴェルニが腕を組む。
「探す場所が多すぎるな」
「だから分ける」
アデルは言った。
「現実側は城ヶ峰たち」
「分析は日下部とノノ」
「異世界側の捜索は私たちが担う」
「ハレルたちは、鍵と帰還手順を支える」
リオが言う。
「白峰たちも黙って見てない」
「ああ」
アデルは答えた。
「だから先に動く」
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/医療棟外縁・昼】
医療棟の外へ出ると、王都の空が広がっていた。
戦いの煙はまだ一部に残っている。
それでも、光は戻っていた。
ハレルは胸元の主鍵へ触れる。
父の反応は、まだ補助層にある。
近くはない。
だが、以前のように、どこへ行くつもりなのか分からない存在でもない。
匠は帰ると決めた。
ハレルたちと同じ現実へ。
サキが隣に立つ。
「お父さん、本当に帰ってくるよね」
ハレルはすぐには答えなかった。
簡単に大丈夫とは言えない。
匠の身体がどこにあるか。
無事なのか。
現実側固定点が本当に使えるのか。
分からないことは多い。
それでも。
「帰るって言った」
ハレルは答えた。
「今度は、その言葉を守らせる」
リオが少し前を歩きながら言う。
「逃げたら、引っ張ってでも戻せばいい」
サキが小さく笑った。
「うん」
イヤーカフから、ノノの声が入る。
『次の準備、始めるよ』
『現実側で、行方不明者の一覧を作る』
『名前、消えた場所、最後に見た画面、使ってた端末』
『異世界側では、同じ反応を探してほしい』
アデルが答える。
「こちらは王国警備局と医療記録を調べる」
セラも言う。
『私は、名前を失った道を探します』
reはサキのスマホの中で、小さく光った。
何も話さない。
それでも、新しい道を探す意思を示すように、画面の端へ一本の白い線を伸ばした。
ハレルは、その線の先を見る。
今は何もない。
どこへ続くかも分からない。
だが、ユナを現実へ帰した道も、最初は同じだった。
細い一本の光。
そこから始まった。
「次は俺たちだ」
ハレルが言う。
「父さんを見つける」
「俺たちも現実へ帰る」
「それから、消えた人たちを全員探す」
サキが頷く。
リオも前を向いたまま答える。
「ああ」
アデルは王都の先にある暗い層を見つめる。
「異世界側は、私たちが案内する」
二つの世界を繋ぐ門は、まだ危険なままだ。
白峰律。
カシウス。
オルガ。
ヴァルド。
そしてC。
敵は、ユナの帰還によって正しい門の手順を知った。
だが、ハレルたちも同じものを手に入れた。
人は、身体だけでは戻れない。
名前だけでもない。
記憶だけでもない。
自分で帰ると決めた意思。
それらすべてを持って、初めて本人として帰ることができる。
一ノ瀬ユナは、それを証明した。
ならば、他の者も戻せる。
どこへ落とされたのか。
どんな役割を与えられたのか。
名前を失っているのか。
まだ何も分からない。
それでも、探すための基準はできた。
現実側では、匠の身体側固定点が見つかろうとしている。
異世界側では、アデルたちが失踪記録を開こうとしている。
ハレル、サキ、リオは、自分たちが帰るための道を作り始める。
そして補助層では。
雲賀匠が、初めて自分自身の帰還を選んだ。
帰るべき者は、まだ大勢いる。
二つの世界に散らばった名前を探し出し、その一人一人に、帰るかどうかを選べる道を残す。
次の戦いは。
失われた者たちを捜す戦いだった。
第十七章 消された研究者編ーーー了
コメント
1件
うわっ…第252話、匠の「帰るために戦う」って選択、めっちゃエモかった😭💕 Cが用意した二択(残る/帰る)を破って、自分で第三の答えを紡ぐところ、匠らしくて最高だったよ…! 「帰りたい」じゃなくて「帰る」って言い切ったのが、ずっと自己犠牲してきた父さんからやっと聞けた本音って感じでグッと来た。 ハレルとサキが「勝手に順番を決めるな」って言い返すシーンも、家族の絆が前面に出てて泣ける。 次は現実側固定点探しが本格化するみたいで、もう続きが待ちきれないよ…!🔥