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移住する為の準備が始まったが、大変さもあったがめちゃくちゃ楽しかった。
退職の手続き、アパート駐車場の解約、引っ越しの手配、沖縄行きのフェリーの予約、両親親戚への報告
こうして書いてみると面倒な事ばかりなのだが、その当時の僕はこれから始まる沖縄ライフに浮かれまくっており、あっという間に全て終わらした。
そして出発の日、お台場(車を運ぶのでフェリー)から離れて行く船の上から
東京を見ながらなんとも言えない気持ちになった事を覚えている。
上陸した時は10月だったが僕らの体感的には真夏の暑さだったので、取り敢えず海に行って泳いだ。
まだ半分くらい観光客気分だった気がする。
それから民宿的な所にお世話になり、
アパート探しと仕事探しを始めた。
これが思ってたより苦戦した。
意外と仕事はすぐ決まったのだが、
アパートを貸してもらえなかったのである。
沖縄に知り合いも居ない内地の人(本土の人)に部屋は貸さないと言う事らしい
何件か不動産屋いったが全て同じ理由だった。
旅行では気付かない事だが、うちなんちゅー(沖縄の人)とないちゃー(本土の人)との壁が感じられた。
なんやかんやと一ヶ月くらい民宿暮らしが続いてしまったが、ようやくアパートを借りる事ができた。
2人でルームシェアする形になり2DK駐車場2台付きで、玄関を開けると海が見える最高のアパートだった。
しかしここでもカルチャーショックが。
民宿は那覇市内だったので分からなかったのだがアパートは宜野湾市という普天間基地のすぐ近くだった。
なので米軍戦闘機の爆音が凄かった。
そこで初めて窓が二重の意味を知った。
不動産屋はなんもいわんし。
軽く騙されたが、やっと借りれた部屋だし海も見えるし気にしないようにした。
沖縄生活のスタートだ。
まず仕事は寿司屋のデリバリーという、
なんで沖縄で寿司?土地勘もないのに?
というツッコミどころ満載のバイトをした。
でもまぁなんとかなるもので地理も詳しくなったしバイトの人達も良い人ばかりで楽しくできた。
そのは高校生の子が多く、若さが溢れてた。
特に覚えてるのがなんせ酒が強い。
法律的にはアウトなはずの高校生が
4合瓶の泡盛をラッパ飲みしてた。
DNAの違いを感じた。
生活が落ち着き始めた頃に、にぃにぃが東京でも熱帯魚を飼っていたので、ここでも飼いたいと言ってきたので僕も賛成した。
水槽を用意して熱帯魚を捕まえる為に、
普段行っていた整備された砂浜のビーチではなく漁港みたいな所に行く事にした。
そこには色々な熱帯魚がいてにぃにぃが凄い嬉しそうだった。
その時ににぃにぃがライブロックがいっぱい落ちてると言い出した。
にぃにぃいわく熱帯魚を飼う人は水槽にライブロックを魚の住処として入れるとのこと。
東京では数千円で売ってるライブロックがゴロゴロ落ちてるとのこと。
たしかにちょっと潜ったらゴロゴロ落ちていたが、赤紫色のこんな石が数千円?
と僕は半身半疑だった。
にぃにぃが東京の常連だった熱帯魚屋さんに連絡したところ、状態次第で買ってくれるとのこと。
綺麗な海で泳ぎ、欲しい魚がいたら捕まえて、石を拾ったらお金になる素晴らしい趣味を確立した。
後で知ったことだけど、条例違反らしいので良い子は真似しないでください。
最後の方は趣味でなく仕事みたいになってた。
その漁港のライブロックを取り尽くした頃、僕もにぃにぃのバイト先の居酒屋でバイトする事になった。
そのバイト先は大学が近くにあるので、
大学生なバイトも数名いて同年代の友達ができて楽しかった。
大学に入れて貰ったり、寮に入れて貰ったり釣りにいったりと初体験を色々させてもらった。
そのバイト先にいくちゃんというちょっと酒癖の悪い可愛らしい女の子がいて、僕はその子と仲良くなった。
いくちゃんは3歳年上のお姉さんで元バスガイドだった為、色々な所を案内してくれた。
リゾートホテルのプールとかも巡ったりした。
付き合ってるか付き合ってないのか、
別れたんだか別れてないんだかはっきりしないまま終わった。
なんやかんや2年くらいが過ぎて沖縄に
慣れてきた頃、慣れというか飽きてしまった。
仲良かったバイトの子達も卒業していってしまい、なにか他の事をしたくなり
にぃにぃと話あうことにした。
そして北海道に行く事に!
もちろん旅行ではない。