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書妖(しょよう)はこの蔵で漆面神社の管理をしている古い筆の妖で、賽銭の精算をしたり、神社にいるたくさんの召使いに指示を出したりと仕事熱心な男だ。が、ほとんど蔵から出てこない。紅(くれない)が戸を開けようとすると、横にいた白夜(びゃくや)が勢いよく戸を開けて大声で呼んだ。
「書妖はいるか!!」
仄暗(ほのぐら)くほこりっぽい蔵の中に白夜の声が響き、無造作に積まれた本がバサバサと何冊か落ちた。すると、奥から頭をぼりぼりと掻きながら迷惑そうな顔をした書妖がのそりと出てきた。
「そんなデッケェ声出さんでも聞こえとるわ!」
書妖は白夜に負けない声量で怒鳴り返した。
「…二人ともうるさい。」
白夜の横にいた蒼(あおい)が耳を塞いでしかめっ面をした。書妖は、せっかく仕事が片付いて一眠りしようとしてた頃なのに…とブツブツ文句を言っている。紅は書妖に苦笑いをしてすまない、と呟いた。
「度々すまない、妖のことについて聞きたいんだが…。」
「さっき言ってたやつなら、俺は何も知らんぞ。」
書妖は白夜に叩き起されたことが気に食わないのか、不満そうに言った。
「何度聞いてもあんな印をつける妖なんて俺は知らねェ。」
「いや、聞きたいのはそれじゃない。東の森に棲む妖のことだ。」
書妖は、少し不思議そうな顔をした。
「なぜ森の妖のことを聞くんだ?」
蛛(くも)が淡々とこれまでの事を書妖に説明した。一通り話を聞いた書妖は、なるほどねェと腕を組んだ。
「そりゃ厄介な相手だな。それにしても、邪神とはいえお前たちの他にもまだ神がいたとは…。もう皆消えたと思ってたが。」
「あぁ。俺たちもそう思ってた。」
炎(えん)は乱雑に置かれた本を拾い上げながら言った。
「森のことは、森にいる者に聞いた方が早い。何か知っている妖はいるか?」
紅が書妖に聞くと、うーん…と唸り眉間に皺を寄せた。
「いるのにはいるが…あんまりおすすめはしねェなァ。」
「都にいる妖とは何か違うの?」
桃(もも)が書妖に聞いた。
「あぁ。都の妖は、人を脅かすだけの無害なやつが比較的多いんだが…人里離れた所に棲んでる妖は悪質な奴らばかりなのサ。なんつーか、野生的で獣に近い輩だよ。人間を頭からバリバリ喰っちまうやつだってわんさといるんだぜィ。」
書妖は怖がりな桃を、わざと脅かすようにおどろおどろしい声色で言った。桃はひぇっと短く悲鳴をあげて、蛛の後ろに隠れた。その様子をくっくっと笑いながら、書妖は続けた。
「そんな奴らと面と向かう度胸がお前たちにあるなら、教えてやるぜ。」
「構わない。」
紅が書妖を真っ直ぐ見つめ、言った。書妖は紅の目をちらっと見てから、よしきた!と言わんばかりに身を乗り出して話し始めた。
「いいか、よく聞けよ。森に棲む妖で口がきける奴は一匹しかいねェ。“覚(さとり)”っつー妖だ。奴なら何か知ってるかもしれねェ。だが用心した方がいい。アイツは心を読むいけすかねェ野郎だ。下手に出れば奴の思い通りになっちまうぞ。」「“心を読む”か…。こりゃまた厄介な妖だ。」
蛛は腕組みをしながら、気だるそうに深いため息をついた。書妖がさらに続けた。
「森の入口にある古びた鳥居から東に二百三十歩、南へ五十歩、東南東へ百七十歩。目の前に立つ大樹が奴の住処だ。間違えば覚の領分に辿り着けなくなっから、気ィつけろ。」
「貴重な情報をありがとう、恩に着るよ。」
紅は書妖に軽く礼を言い、他の兄弟神が蔵から出た後に出ようとしたが、書妖に引き止められた。書妖は紅の腕を掴み、長い前髪の隙間から黄色い目を光らせた。
「兄弟神、森の奴らには此方(こちら)の理(ことわり)は通じない。神とは言え、命は一人一つだ。気ィ抜くなよ。」
「…あぁ。わかっている。」
紅は少しだけ振り返り、短く返事をして書妖に掴まれた腕を振りほどいて蔵を後にした。書妖は一人残された暗い蔵の中で、ボソリと呟いた。
「…どうだかねェ。」
ぐーっと大きく伸びをしてから、書妖は蔵の奥へと姿を消した。
翌日の朝、紅は兄弟神たちに指示を出した。
「とにかく、まずは痣がある娘たちを神社で保護しよう。皆、手分けして娘たちをここへ集めてくれ!」
桃は、都にいる鴉(からす)や猫、犬たちに頼んだ。蛛はたくさんの美しい蝶たちを放ち、娘を連れて来るように命令した。他の兄弟神たちは、神社にいる召使いや使い魔に指示を出した。空が紅く色づく頃には、十数人程の娘たちが神社に集められた。娘たちは皆困惑した表情でざわざわとしている。
「皆、急に呼び出してすまない。私から君たちへ伝えることがあってここへ集まってもらったんだ。」紅は娘たちに事情を説明した。痣のこと、狙われていること、身の危険が迫っていること、既に攫われてしまった娘がいることを全て話した。娘たちは説明を聞いてもあまりよくわかっていないらしく、ただ首を傾げるばかりだった。
「そういうわけで、私たちは君たちを全力で護る。君たちはただ怖がらずに落ち着いて、過ごしてくれればいい。今夜はこの神社に泊めよう。いいかい、絶対に外へ出てはいけないよ。」
紅は不安そうな顔をしている娘たちにもう一度念を押して言い聞かせた。
その日の夜、白く光る三日月が昇る頃。紅、蛛、炎の三人が大広間にいる娘たちの様子を見回りに、蒼、白夜、桃の三人は外の見張りをしていた。娘たちに特に変わった様子はない。皆すやすやと眠っている。
(どうやらまだ大丈夫なようだな。)
紅は起こさないように声をひそめた。
(だがまだ安心はできない。いつ来るかわからないからな。)
蛛は眠っている娘たちを見て少しため息をついた。
(このまま見張りを…。)
紅は一瞬外に何か気配を感じて、言葉を途中で止めた。外を見ると何もいなかったが、確かに気配を感じた。
(紅、なんかあったか?)
炎が聞くと、紅は外を見たまま答えた。
(今ほんの一瞬だが、何かの気配が…。)
炎も目を向けたが、特に何もいない。
(…気のせいじゃねぇのか?)
紅は、炎の言う通り気のせいか…と目線を大広間に戻すと、突然、目の前が暗くなった。「っ!?」
次の瞬間、目の前のざわざわとしたもやのような瘴気(しょうき)と共に寝ていた娘たちがゆらりと立ち上がっていた。
「やられた!!蛛!炎!娘たちを行かせるな!!」
蛛と炎が素早く大広間の出口を塞ぎ、操られている娘たちを行かせまいと抑えようと手をかけた途端、ドス黒い瘴気が娘たちから溢れ出し、ドンッと襖ごと外に吹き飛ばされてしまった。
「ぐっ!」「うがっ!」
吹き飛ばされた衝撃で地面に叩きつけられ、二人は痛みに顔を歪めた。外で見張りをしていた三人も大きな音に駆けつけた。大広間からゆらりゆらりと出てきた娘たちを囲むドス黒い瘴気は、ぞわぞわと戸愚呂(とぐろ)をまいた大きな百足の形になっていた。兄弟神たちはその瘴気の百足に呆気にとられていた。
「これは…厄介な相手を呼んじまったな…。」
蛛が少し焦り気味に呟いた。紅が大声で兄弟神たちに指示を出した。
「全員神器をもて!!娘たちを護れ!!」「「「「「了解!」」」」」
兄弟神たちは同時に返事をすると、それぞれの神器をもち百足に攻撃を仕掛けた。しかし、いくら刀で斬っても槍を刺しても百足の身体は黒い霧のようで、全く刃が通らない。
「くそっ!ダメだ効かねぇ!!」
「紅、このままじゃ神器が穢れに染まっていくだけだぞ!どうする!」
「攻撃は当たらなくとも娘たちを優先しろ!私が奴の気を引く間に百足から引き離すんだ!!」
そう言って紅は光の矢を百足の周りに放ち、ぱんっと手を合わせ呪文を唱えた。
『滅(めつ)!!』
周りに放った矢が強い光を放ち、百足がギャアァと苦しみはじめた。一瞬百足に隙ができ、娘たちから少し離れた。兄弟神たちはその少しの隙で娘たちを引き離そうと手を伸ばしたが、すぐに百足が弾き飛ばし娘たちを囲ってしまった。
「っダメだ!弾かれちゃうよ!!」
桃が堪えながら叫んだ。百足は娘たちと共に次第に霧となっていっていた。
「まずい、連れて行かれる!!」
黒い霧の狭間で虚ろな表情をした娘たちが見え隠れする。紅は完全に消える前に黒い霧に光の矢を放った。ほとんどはすり抜けてしまったが、一本の矢が一人の娘に当たり、霧の中からゆらりと倒れこんだ。一人の娘を残し、娘たちと黒い霧は闇夜に消えてしまった。空に昇っていた白い三日月は、紅く染まっていた。