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二人の出会いは唐突だった。
ウイルとオーディエン。
似て非なる両者だが、境遇やあり様すらも正反対と言えよう。
人間と魔物。
弱者と強者。
選ばれた者と選んだ者。
そして、閉ざされた暗闇の中、動けぬ少年と動かされた炎。
「遅いよ……」
「コんなところで何をしているんだイ?」
初めての邂逅は、今から四年前まで遡る必要がある。
ウイル・ヴィエン、十二歳。傭兵試験に合格してまだ半年の駆け出しだ。エルディアという相棒がいなければ、何も出来ない新米ゆえ、その日も彼女と共に出かける予定だった。
「いきましょー」
包み込むような美声が朝のギルド会館を賑わすも、いつものことゆえ驚く者はいない。
茶色い髪は顎下で内側にカーブしており、ボブカットと呼ばれる髪型だ。
その表情は笑顔を絶やさないが、肉厚な唇と整った顔立ちからは無自覚ながらも色気が漂う。
黒色のトップスに銀色のスチールアーマーを重ね着する一方、腰から下は茶色いロングスカートだけで済ます。
背中には、大きな背負い鞄と灰色の両手剣。周囲に溶け込む風貌だ。
エルディア・リンゼー、十八歳。腕前は既に一人前の傭兵ゆえ、半人前以下のウイルを連れまわしたところで守り切ることは十分可能だ。
クリっとした黒い瞳が、この場には不釣り合いな子供を捉える。行儀よく椅子に腰かけ、眼前の小テーブルにはコップが一つ。飲み物一杯で時間を潰していた証拠だ。
「おはようございます。今日はどうしますか?」
このやり取りもいつもの流れだ。
ウイルが先にギルド会館で待機し、多少前後はするものの、朝の八時から九時の間にエルディアが鼻息荒く現れる。
巨大な建物内が賑わっている理由は、周囲に大勢の同業者がいるためだ。
朝食を貪り、腹を満たす者。
コップに手を伸ばしながら仲間と談笑する者。
立ち並ぶ掲示板を眺めながら、仕事を物色する者。
依頼達成のため、仲間を集う者。
彼らは皆、傭兵だ。一般市民が立ち寄って食事を楽しむことも可能だが、今日に限ってはむさ苦しい男女しか見当たらない。
この二人も、そういう意味ではそちら側の人間と言えよう。
「んー、掲示板見てみよっか」
「はい」
促され、少年は席を立つ。
ギルド会館は出入口を背にして眺めると、左右で機能が分かれている。
左側は食堂だ。多数の椅子とテーブルが立ち並び、職員が忙しそうに料理を運んでいる。
右側は掲示板エリア。多数のそれらには羊皮紙がびっしりと貼られており、傭兵は記載内容を眺めながら、身の丈に合った依頼を選び取る。
二人が目指す場所もそこだ。肩を並べてけば、あっという間にたどり着く。
立ち並ぶ掲示板と、眉間にしわを寄せる先客達。
ウイルも真似るようにその内の一つを見上げるも、探す振りに他ならない。エルディアに任せるしかないからだ。
「討伐のやつ見てくるねー」
「僕はこっちを調べてみます」
張り出される仕事は多種多様ながら、傾向は三種類に分類される。
魔物討伐。
指定品の収集。
そして、荷物の運送。
稀にイレギュラーな依頼も見つかるが、数としては少ない。
エルディアとウイルは、魔物に絡んだものに挑戦し続けている。彼女がそういった依頼を好むためだが、傭兵なのだからそれが普通だ。
(今の僕じゃ、内容の良し悪しすらわからないし、大人しくエルさんに任せるとして……。おもしろい依頼ないかな)
二人で挑むと言っても、討伐はエルディア任せだ。十二歳の子供に手伝えるだけの実力はなく、足を引っ張らないよう見守るか、魔法でサポートに徹する。
(ん? これは……、丸い石探し? 手ごろな大きさで重さも重要……。だったら具体的に書いてくれないと……。報酬は千二百イール、安いけど内容が内容だしなぁ)
悩ましい仕事だ。道端に落ちている小石で良いのならいくらでも届けるが、そうではなさそうだとウイルは勘づく。
得られる賃金も一、二度の外食で消え去る金額だ。
覚えていたら、そして良さそうな円石が見つかったのなら、何かのついでに届けても良いかもしれない。
羊皮紙を読み漁りながら、そんなことを考えていた時だった。
複数の足音が少年を取り囲む。
「君がウイルだな?」
見知らぬ声だ。そうであろうとトーンの低さから、大人の男性から発せられたのだと気づかされる。
この状況に、小さな傭兵は驚きの表情を浮かべることしか出来ない。
三人の男達は軍服のような黄色い制服を着ており、溢れ出る威圧感は職業病のようなものだ。
「そ、そうです……」
嘘をつく理由がないことから、ウイルは正直に述べる。
(治維隊が……なんで僕に?)
見知らぬ大人達に包囲されながら、少年は怯えるように身構える。
治維隊。イダンリネア王国の治安を保つため、結成された武力機構。軍人のような出で立ちだが、実際には別の派閥に所属している。法を犯した者を捕えるためにはそれ相応の実力を求められるため、構成員は傭兵や軍人に引けを取らない実力者揃いだ。
「ドクトゥル夫婦の殺害および放火の容疑で、君を逮捕する」
「え……、えぇ⁉」
黒髪の男が、慣れた言い回しで通達する。
もちろん、ウイルにとっては寝耳に水だ。殺されたらしいその人物は知人ゆえ、そういう意味でも驚かずにはいられない。
突然の訪問者にギルド会館がざわつき始めた中、エルディアが不思議そうに現れる。聞き慣れ声が悲鳴をあげたのだから、反応せずにはいられなかった。
「どしたのー?」
「あ、エルさん……。そ、その、困ったことになってしまって……」
発言通り、少年は困り顔だ。身に覚えがない以上、凛とした態度で応対すべきだが、十二歳の子供ゆえにそれも難しい。
わかっていることは一つだけ。今日の冒険は残念ながら中止せざるを得ない。
「反論があるなら取調室でいくらでも聞いてやる。今は大人しくついてくるんだ。もし、抵抗しようものなら……」
罪が増えるだけだ。
もしくは、斬殺か。三人の内二人が片手剣を、もう一人が槍を携帯しており、それらは決して飾りではない。
ギルド会館には不釣り合いな黄色の制服。国の秩序を守るための証ゆえ、周囲の荒くれ者達も手出しは不可能だ。
エルディアとて、例外ではない。
「なんか大変なことになってるねー」
「濡れ衣なんです……。僕、どうしたら……?」
「ガツンと言っちゃえー。ガツンと」
釈明の機会は与えられそうだが、事実はどうあれ、ウイルは三人の男達によってあっさりと連行されてしまう。
その間際もエルディアは笑顔のままだ。相方の無実を信じているからこそ、考えるべきは今日の過ごし方だけで良い。
「一人になっちゃったし、簡単な依頼でお金稼ご」
ウイルで退屈をしのぐのはお預けだ。ならば傭兵らしく、日雇い労働者のように仕事を見つけて稼ぐしかない。
光流暦、千と十一年。
これは、四年前の思い出。
◆
廊下を進み、通された部屋に足を踏み入れると、息苦しさを覚えてしまう。狭い上に窓すらないのだから、圧迫感を感じて当然だ。
中心には小さな机と向かい合うように設置された二つの椅子。
ウイルはその奥に座らされ、そのまま待機を命じられる。
逃げ出すことなど不可能だ。
二人の男が睨むように監視しており、ましてや武器や鞄は没収されてしまった。
(冷静に……、考えよう)
先ほどまでは気が動転していたが、今はいくらか落ち着けている。
自身にかけられた容疑は、老夫婦の殺傷および放火。
もちろん、身に覚えがないのだから、この状況は受け入れ難い。それでも暴れるわけにはいかないため、借りてきた猫のように待ち続ける。
(ライノル先生が殺されたってこと……だよね? ど、どういうこと? しかも、なんで僕が疑われてるの? 全然、わからない……)
ライノル・ドクトゥル。イダンリネア王国における最高峰の医者だ。貴族だけでなく王国すらも診るこの老人は、この少年が傭兵になるきっかけの一つだと言っても過言ではない。
ウイル自身は、それまで健康そのものだったため、医者にかかったことがなく、それでも接点が生まれた理由は母親が難病に倒れたためだ。
半年前の出来事だ。
それ以来、ウイルはライノルと会うことはなく、そもそも単なる傭兵に彼の診断を受ける権利などない。
そのはずだが、なぜか取調室に連行されてしまう。
待つこと数分、ギィと扉が開くと、そこには見知らぬ男が立っていた。
「思っていた以上に幼い……」
黄色い髪の下で、能面な表情が目を見開く。容疑者の逮捕を指示した張本人ながら、ウイルの容姿には驚きを隠せない。
「あなたは?」
「治維隊の隊長を務める、ビンセントだ。今から取り調べを始める。君がここにいる理由は、わかっているな?」
ウイルとビンセント。二人が出会った瞬間だ。
以降も、この傭兵は何度かここへ連行されるため、後に腐れ縁のような間柄が形成されることになる。
「ライノル先生とその奥さんが殺された……と」
「そうだ。半年前、上層にてドクトゥル夫妻の自宅が全焼した。死体は見つからなかったが、放火による殺人事件とみて間違いない。そして、その日は……」
ビンセントが黙り込む。言葉に詰まったのではなく、眼前の容疑者に思い出させるための猶予だ。
「僕に何か関係がある、ということですか? その頃だと、ええと……、あ、傭兵に」
「そうだ。君がエヴィ家を飛び出し、傭兵試験に合格したタイミングだ。あの日、この国を代表する名医とその奥方が、家を燃やされ、二人も毛髪一本残さず焼き尽くされた。ここで、大事なことが一つある。この事件は放火による殺人ではなく、二人は焼き殺され、結果的に自宅も全焼したということだ」
「そ、そんな……。誰が何のために?」
わからない。ウイルにはわかるはずもない。
ライノルという老人は現役の医者であり、その腕は王国一だと言われていた。慕われることはあれど、恨まれることだけはないはずだ。
「現時点で判明していることは三つ。犯行時刻は朝方だということ。殺害の際、魔法が使われたこと。そして……、いや、その前に改めて尋ねよう。君は、なぜここに連れて来られたか、わかっているか?」
鋭い眼光に晒されながら、ウイルは素直に頷く。その理由だけは自覚出来ているからだ。
「僕が犯人なのだろうと、みなさんが疑っていて……、証拠はなくともそうとしか思えない何かがある?」
「そうだ。容疑がかかっているわけも推測出来ているのかな?」
「は、はい。貴族でありながら、逃げ出すようにその身分を手放したことと、火の魔法が使えるから……だと思います」
正解だ。
その瞬間、部屋の隅に立っていた監視役の二人が息を飲む。取り調べの最中に容疑者が暴れようものなら、隊長と共に取り押さえるつもりでいたのだが、少年の冷静さには感心させられてしまう。
年齢は十二歳ながら、見た目だけなら十歳かそれより幼く見える。それでも傭兵として既に半年近くも生き延びており、もちろんそれはエルディアのおかげなのだが、子供らしからぬ立ち振る舞いには治維隊と言えども脱帽だ。
「よければ、傭兵を目指した理由を教えてくれないか?」
「それは……、母を助けるためです」
ウイルの発言は正しくない。嘘は言っていないのだが、真実を隠している。
もっとも、この場には相応しくない情報ゆえ、振り返りたくない過去に蓋をしながらビンセントに向き合う。
「助けるためと言うと? もう少し具体的に頼む」
「はい。母はとなる難病にかかってしまって、ライノル先生にも診てもらいましたが、治せないということがわかったんです。だけど……」
このタイミングで押し黙った理由は、ありのままを伝えることが出来ないからだ。
特効薬は、となる魔女が作れる。そのために少年は傭兵となり、彼女を訪ねるために旅立ったのだが、この国では魔女を魔物扱いしており、接触はご法度だ。
ゆえに、ここからは真実の中に嘘を織り交ぜながら話す。
「薬の材料をライノル先生に教えてもらえたので、僕はそれを手に入れるため、傭兵になりました」
「意味がわからないな。なぜ、素直に傭兵へ……、あぁ、不干渉法か」
「はい。エヴィ家は傭兵組合が利用出来ません。だから、です」
不干渉法。貴族以上の特権階級にのみ適用される特別な法律だ。
貴族や四英雄にはそれぞれの役割があてがわれており、エヴィ家の場合、物流の管理がそれに当たる。
ギルド会館、つまりは傭兵組合の運営はギルバルド家ゆえ、エヴィ家はその利用が禁止されている。
不干渉法は非常に不便なルールだが、これがあるからこそ、貴族達の間に争いは生じない。強制的な住み分けは利便性を損なうものの、上級国民の資産と地位を守ることに貢献している。
「なるほどな。ただまぁ、少し信ぴょう性に欠ける話だ」
「と、言いますと?」
「温室育ちの君が、運良く傭兵になれたとして、どこへ行ったのかは知らんが、薬の材料を一人で取りに行けるとは思えない。実際のところはどうなんだ?」
ビンセントの指摘はもっともだ。
王国の外には、多数の魔物がはびこっている。それらには、子供は当然ながら大人でさえ立ち向かうことなど出来ない。出会ったら最後、あっさりと殺されるだけ。
魔物と人間には、埋められないだけの力の差が存在している。
「確かに、当時の僕は今以上に非力でした。実を言うと傭兵試験の時ですら、草原うさぎに殺されかけたほどです。だけど、その時に手助けしてくれた人がいて……。試験の突破も、材料集めの旅も、全部その人が手伝ってくれたから、成し遂げられました。本当に運が良かったんです、僕は……」
その人物こそがエルディアだ。
二人は薬を求め、遠い地を目指し旅立つも、その道のりは決して平たんではなかった。
傭兵という意味では二人だったが、片方は草原うさぎという最弱の魔物にすら手も足も出ない凡人だ。彼女は足手まといを守りながら、何日もかけてその地を目指した。
懐かしい記憶だ。色褪せぬ思い出でもあるのだが、物思いにふけっている場合でもない。
ウイルは容疑者として捕まってしまった。
先ずはこの場を乗り切るのが先決だ。
「まぁ、実を言うと、話を聞きたかっただけなんだがな。君が最有力の容疑者であることには変わりないが、正直に言うと犯人だとは思っていない」
「……え? な、なぜですか?」
男の発言がウイルを戸惑わせる。本来ならば緊張を解きほぐし、喜ぶべきなのかもしれないが、理解が追い付かないためそれも難しい。
ウイルという子供が怪しいことに変わりはないものの、真犯人は別にいる。そう思える理由こそが、先ほどビンセントが言いかけた、現時点で判明している三つ目の事実だ。
「ドクトゥル夫妻は魔法で殺された。問題はその魔法なんだ」
「火の魔法なら、フレイムかインフェルのでは?」
「そう。普通ならそう考える。だが、調査の結果、その可能性は否定された。代わりに、未知の波長が検出されたそうだ。難しい話は俺のような学のない人間にはわからないが、元貴族の君なら、その意味がわかるな?」
人間や魔物を殺す、もしくは傷つけるためには、攻撃魔法が使われる。
今回の場合、老夫婦を焼き殺したのだから、消去法で二つの魔法に限定可能だ。
火の玉を発射するフレイム。
火柱で広範囲を焼き尽くすインフェルノ。
このどちらかで間違いないはずだ。
むしろ、それ以外にはありえない。
しかし、そうではないと調査の結果、判明した。
魔法を使用すると、一時的にだが魔源の残滓がそこに漂うのだが、調査隊はそれを調べ、ある結論を導き出す。
「未知の波長? それって、既存のものとは別種の魔法でライノル先生が殺されたってことですか?」
「そういうことらしい。付け加えるのなら、事件現場の波長は魔物が発したものだろうというのが、錬金術協会の導き出した結論だ。だから、君は容疑者ではあるが、犯人ではないと我々は考えている」
「なる……ほど。人間の中では僕が最有力ながらも、犯人は別にいて、そいつは魔物……と」
「ああ。安心してくれて構わない。もっとも、俺達はお手上げの真っ最中だが」
目に届きそうな前髪をかきあげながら、ビンセントは自傷気味に笑う。調査は行き詰っており、藁にもすがる思いでウイルを取調室に連行したのだが、現時点で収穫はなく、治維隊のメンツは潰れたままだ。
「そんなことありえるんですか? 魔物が王国の領土内に侵入して、ましてや人を殺すなん……て……」
ウイルは自身の発言によって気づかされ、言葉に詰まる。
真犯人にたどり着いた瞬間だ。
もちろん、眼前の男達にそのことを伝えることは難しい。
過去の経験から導き出した予想でしかないのだから、根拠としてはあまりに薄い。
黙り込むと同時に考え込む子供を眺めながら、大人達は不思議そうに首を傾げる。
「急にどうしたんだ? まぁ、確かにありえない話なんだ。君の言う通り、国内に魔物が入り込めるはずがない。仮に何らかの方法で侵入出来たとしても、必ず目撃者がいるはずなんだ。今回の場合、ドクトゥル夫妻の家に夜の内に忍び込めたとしても、犯行に及んだのは朝方なんだ、そのタイミングで現場から逃走したはずなんだが、聞き込み調査の結果、それも無し……。家ごと一緒に燃えたとも思えないし、八方塞がりとはことのことだ」
イダンリネア王国は、周囲を海と断崖絶壁の岩山と人工の壁で守られている。西と南の出入り口には常に門番が配置されており、隙があるならばせいぜい空くらいなものだ。
鳥のように空を飛べる魔物なら自由に入り込めてしまうのだが、それならそれで多数の国民に見られるはずだ。
そういった背景から、治維隊は魔物の犯行ではないと思いたいのだが、魔物の波動が感知されたという動かぬ証拠が見つかった以上、それに従って人員を割くしかない。
事件から既に半年近くが経過するも、調査に進展は見られず、それゆえに十二歳の子供を逮捕するはめになった。
このままでは治維隊の敗北だ。
誤った人間を捕まえるしかないか。
完全犯罪を成立させてしまうのか。
どちらにせよ、事件の迷宮入りは避けられないだろう。
治維隊の中にもそう思う者は少なくないのだが、本件に関しては問題ない。
なぜなら、この少年は既に犯人の尻尾を掴みかけている。
(城下町で見かけた、あいつしか考えられない。今だからわかる。あいつが、オーディエンだ。ハクアさんが言ってた、謎の魔物。だったら……!)
やるべきことは明白だ。
運良く、知人がそれについての正体をある程度把握している。
魔物の名前はオーディエン。何百年もの間、暗躍している化け物だ。
敵ではあるのだが、殺し合うような間柄ではないらしい。双方ともに目的が一致しており、その理由についても不明なままだ。
ドクトゥル夫妻を殺した犯人は、この魔物で間違いないだろう。
この時代における最強の魔女ですら、手を焼く存在だ。炎の体から人間の手足と頭部を生やした魔物。火を専門とするそれならば、老夫婦を塵一つ残さず焼却することも容易い。
ウイルはその情報をこの場では明かさず、その後、当然のように釈放される。最有力の容疑者であることには変わりないが、もとより治維隊もこの子供を疑ってはおらず、犯人の手がかりが得られればという淡い期待から連行したに過ぎない。
(久しぶりに会いに行こう)
ハクア。遥か西に隠れ住む、魔女の名前だ。
翌日、ウイルは普段通りにエルディアと合流し、事情を話して共に旅立つ。
危険はつきまとうものの、実は一人でも旅は可能だ。
しかし、エルディアは当然にように付き添ってくれる。
歩きならおおよそ二週間程度はかかる道のりだ。道中、多数の魔物と出くわすのだから、今のウイルには荷が重い。
それでも、彼女が同行してくれるのならば話は別だ。
その実力は突出しており、この少年は幾度となく命を救われている。無茶な冒険に付き合わされ、死にかけたことも山ほどあるが、それでも生き延びられた理由は互いに認め合っているからか。
恐れる必要など、ない。
それゆえに足取りは軽く、前だけを向いて歩いて行ける。
そうすることでしか、己の無実を証明することは出来ないのだから。
◆
二週間後、ウイルとエルディアは帰国するのだが、得られた情報は想定よりも遥かに少なかった。
このままでは事件解決など夢のまた夢だ。
(だったら、一か八かだ)
曇り空の下、大通りを人混みに紛れながら黙々と進み、少年はその建物にたどり着く。
砦のようなそれは治維隊の本部だ。周囲の商店や建物が霞むほど、石造りの威圧感を放っている。
ハクアという魔女からもたらされた事実は少数なれど、諦めるにはまだ早い。
(オーディエン……、奴を炙り出す)
残念ながら、見つけることは不可能だ。相手はそういう存在ゆえ、別のアプローチを試すしかない。
ウイルはそのために治維隊を訪れるも、その理由が治維隊の隊長を心底驚かせる。
「自首……だと?」
ビンセントは眩暈を覚えながらも、部下に手続きを指示し、少年の身柄はあっさりと拘束される。
逮捕。
そして、拘留だ。
本部の一画は留置場となっており、ウイルは当面の間、そこに監禁される運びとなった。
狙い通りだ。
もちろん、いくつかの条件を提示し、それらは無条件で飲んでもらえた。
ギルドカードの持ち込みと、食事の無配給。
通常ならば、罪が確定後、留置所から拘置所へ移送されるのだが、特例でその場に放置される。ゆえに、薄暗いその牢獄の中でその時をじっと待つ続けることが可能だ。
狭い空間の中心で、硬くて冷たい床にじっと座りながら、鉄格子をじっと眺める日々。背中側の壁には頭すら差し込めないほどの窓が備え付けられてはいるものの、差し込む陽射しはなぜか弱々しい。
看守としても、この状況はただただ不本意だ。彼らとしても食事を提供したいのだが、当の本人が断るのだから、日に日に弱っていくその姿には胸を痛めてしまう。
ウイルの思惑を知っているのは、隊長のビンセントだけだ。自首してきた際、この男だけが説明を受けたのだが、あえて部下には黙っている。
それも混みの作戦だ。敵に悟られないよう、役者は命がけの演技に挑んでいる。
頬の肉は削げ落ち、ただでさえ小さな体がさらに萎んでしまった頃合に、少年は空腹に発狂しかけながらも魔女の言葉を思い出す。
奴と初めて会ったのは、確か三百年くらい前。
神出鬼没だから、会おうとしても絶対に無理。
だから、誘い出すしかない。
お久しぶりです! マリアーヌ様! ペロペロペロペロ。
もう一つだけ教えてあげる。奴はあなたに異常な執着を見せている。だから、きっと大丈夫。
(もう、何日が経ったかな……)
牢屋に案内され、今日で丁度二週間だ。その間、水すらも口にしていないのだから、命は確実に削れている。
このままでは死んでしまう。
もっとも、そういう状況を自ら作り出したのだから、後はひたすらに待つしかない。
ウイルは撒き餌だ。獲物をおびき寄せるための手段でしかなく、興味を抱いているのなら、何よりこんなところで死んでもらっては困るのなら、そろそろ喰いついて欲しい。そう思わずにはいられない。
そして、その時は訪れる。
少年の天技が、王国のど真ん中で敵影をキャッチした瞬間、石造りの空間に二つの言葉が走る。
「遅いよ……」
「コんなところで何をしているんだイ?」
食事を取らず、風呂にも入っていない少年。衰弱しているばかりか、浮浪者のように汚れている。
背後には轟々と燃える火の玉。そこからは顔と手足が伸びており、その姿は美しい反面、誰の目から見ても魔物そのものだ。
動けぬ少年を見かねて、犯人が自ら現れた。
作戦は成功だ。
「おまえを、待っていました」
「誘い込まれたってこト? 何のためニ?」
「訊きたいことがあります。おまえが、ライノル先生と奥さんを殺したの?」
ウイルがゆっくりと振り返ると、そこには見知らぬ魔物が宙に浮いていた。人間のようで、そうではない。それでも、今は臆することなく、その姿を目に焼き付ける。
「ダれだい? ニンゲンの名前と顔は覚えられなくてネ。ア、君とハクアだけは例外。ちゃ~んと覚えているヨ、ウイル」
二人の話し声が呼び水となり、廊下に足音が響く。
数人の隊員達は、到着と同時に息を飲み込むことしか出来なかった。
自首した子供が、謎の魔物と対峙している。
もしくは、炎の化け物が傭兵に誘い込まれたのか。
どちらも正解なのだが、彼らに出来ることは一つだけ。鉄格子の向こう側で起きている謎のやり取りを、黙って見守る他ない。
「今から半年前。この国の上層で老夫婦が燃やされて殺された。僕が、家を飛び出したあの日に……。そこまで言えば、おまえにもわかるはず」
「ア~、あ~、あのニンゲンのことカ。ウん、殺したヨ。それがどうかしたのかナ?」
「なぜ、殺したの?」
「この姿を晒してしまったからネ。ダったら、殺さないト」
「その理由を、訊いています」
魔物が自白した瞬間だ。ここまではウイルの思惑通りだが、その供述はまだまだ不十分なため、取り調べは継続される。
「ファファファファ! ソうだよねそうだよネ! やっぱり素晴らしいヨ!ウん、最高ダ!」
薄暗い拘置所が不気味な笑い声で満たされる。炎の魔物が、前触れもなく態度を豹変させたのだから、居合わせた治維隊の面々は恐怖に飲み込まれ動くことさえ叶わない。
一方、少年だけは冷静だ。会話だけなら二度目ということもあり、火球の上に浮かぶ女の顔を見つめながら自分のペースを貫く。
「なぜ、あの二人を殺したの? もしかして、僕のせい?」
「君のせいイ? ソの言い回しの意味はさっぱり理解出来ないナ。片方は邪魔だから燃やして、もう片方は用事が済んだから殺しタ。ソれだけのことだヨ。君のせいってどういう意味なんだイ?」
実は、ある程度の予想は済んでいる。この問答はウイルにとって答え合わせでもあり、衰弱中ながらも絞り出すように考えを述べる。
「あの時は、なんとも思わなかったんだ。ライノル先生が、母様の病気についてわかったことを、雨の中、わざわざ教えに来てくれて、本当にすごいと思ったんだ。だけど、違う。今ならわかる。おまえが裏で工作してたんだな。おまえが、ライノル先生に吹き込んでそうなるように仕向けたんだ。白紙大典と契約した僕を、迷いの森へ向かわせるために!」
怒声が響くと同時だった。
かき消すように。
割り込むように。
祝福するように。
炎の魔物が、女性のような両手を使って拍手を鳴り響かせる。
「セ・い・か・イ! ハクアの入れ知恵もあったのかナ? ダけど、それでも、大変よく出来ましタ。ソの本はワタシも探しててネ。君のおかげで見つけられた時は、喜びの余り狂ってしまいそうだっタ。デもね、見つかったら次ダ。今度は届けてあげないといけなイ。元の持ち主ニ。ワタシが届けてもつまらないかラ、君に運んでもらうことにしタ。コれが、全ての始まリ。ワタシと君の出会イ」
ウイルが知りたい情報は、オーディエンによって全て白状された。
ドクトゥル夫妻を殺した犯人は、眼前の魔物で間違いない。
動機は利用価値がなくなったことと、姿を晒してしまったがゆえの口封じだ。
牢の外には、いつの間にか隊長も駆けつけており、ウイルの無実は無事証明されたことになる。
持ち込んだギルドカードが、オーディエンという未知の魔物を記録してくれており、そういう意味でも事件解決に向けて大きく前進した。
そうであろうと関係ない。二人のやり取りはまだ続く。
「おまえが僕に目を付けたのは、白紙大典と契約した時?」
「ソうなるかナ? 元々注視してた場所だったけド」
この返答が、少年の表情を曇らせる。
「な、なぜ? おまえはその前から、僕の家を監視してたってこと?」
「ウん。ソう言ったつもりだヨ」
この瞬間、痩せこけたウイルの顔から血の気が失われる。
思い当たる節があるからだ。
あの日の出来事が、ついに線で繋がってしまったからだ。
「まさか、母様の呪恨病は……」
「ソれもワタシに仕業。ア、そこまでは気づいてなかったんダ。ファファファファファ!」
このやり取りをもって、問答は切り上げだ。
片方は心底楽しそうにはしゃいでおり、もう片方は弱っていながらも狂い叫んでしまう。
「おまえがやったのかぁ!」
「オっと、死にそうなんだから、暴れない方が良いと思うヨ? ソれじゃ、用事も済んだようだし、ワタシは立ち去ろうかナ。次会う時は、モっと強くなっててネ」
飛び掛かってきたウイルをヒラリといなし、炎の魔物は牢屋の中から音もなくいなくなる。
小さな窓は鉄格子ごと溶かされており、溶解部分は今なお高温だ。
得られた情報は想定以上だった。それでも、一人残された少年は、大口を開けて叫ばずにはいられなかった。
「オーディエェェン! おまえだけは許さない! 絶対にぃ!」
これが、初めての邂逅となる。
光流暦千十一年。
四年前の思い出だ。