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彼らの顔は、俺には見えなかった。
ただ、早くエレベーターに乗ることだけを考えていた。
そこにタイミングよく乗り込むと、迷うことなく3階のボタンを強く押した。
ドアが閉まり、エレベーターはゆっくりと上昇を始めた。
この数秒が、永遠にも感じられた。
「…仁さん……っ」
俺は、震える声で彼の名前を呟いた。
心臓が激しく脈打ち、全身が熱くなるのを感じる。
この胸騒ぎは、ただの心配ではなかった。
仁さんのことが心配で堪らない。
もしかしたら仁さんは今も苦しんでいるかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになる。
(仁さん……さん…………っ)
俺の頭の中は、仁さんのことでいっぱいだった。
彼の顔が、彼の声が、彼の笑顔が、走馬灯のように駆け巡る。
彼が苦しんでいる姿を想像するだけで、俺の心は千々に乱れた。
心の中で彼の名前を呼びながら、ただひたすらに3階に着くのを待った。
エレベーターの表示が「3」に変わった瞬間、俺の心臓は最高潮に達した。
そして、エレベーターが止まり扉が開いた瞬間
俺は迷わず駆け出し、303号室の扉へと向かった。
その扉は、俺とさんを隔てる最後の壁だった。
俺は、力を込めてその扉をガララっと横に素早く引いた。
「…………っ!!」
扉を開けてまず目に飛び込んできたのは、ベッドに横たわる男性の姿だった。
チューブや機械に繋がれ、静かに眠っている。
その顔は、安らかではあったが、どこか儚げだった。
彼が、仁さんの兄弟である兼五郎さんなのだろう。
(良かった…まだ生きてる)
その光景に、俺の胸に安堵の波が押し寄せた。
息を大きく吐き出し、張り詰めていた緊張が少しだけ和らいだ。
そして、その兼五郎さんの片手を両手で祈るように握りしめる仁さんの姿があった。
まるで、世界から隔絶されたかのように、彼はただ一人、そこにんでいた。
仁さんは俺に気づくなり、ハッと顔を上げてガバッと立ち上がった。
「……っ!」
その拍子に、座っていた椅子が床に倒れ、鈍い音を立てた。
「…マサ、楓くんに…教えたのか」
仁さんは怒気を含んだ低い声で言った。
その声は、まるで氷のように冷たく、俺の全身を凍りつかせた。
その瞳は、俺を射抜くかのように鋭くギロリと俺を睨みつけた気がした。
今まで見たこともないような視線に、俺の身体は恐怖で震え上がった。
彼の視線は、俺の心を深く貫き
まるで俺の存在そのものを否定するかのようだった。
「…………っ」
俺は息を呑み、言葉を失った。
足がすくみそうになるのを必死に堪え
俺は必死に足に力を入れて踏ん張り耐える。
俺は、震える声で、しかしはっきりと告げた。
彼の視線を真っ直ぐに見つめ、自分の言葉が届くようにと願った。
「仁さん、急にいなくなるから、びっくりしたんですよ……!将暉さんは悪くないんです、俺が将暉さんに無理言って、連れてきてもらっただけなんです」
「……」
俺の言葉を聞いても、仁さんは黙ったままで何も喋らない。
彼の表情は、依然として硬く
その瞳の奥には複雑な感情が渦巻いているようだった。
困惑、悲しみ、そして諦め。
様々な感情が入り混じっていた。
沈黙が続く中、数秒か、あるいは数分かにも感じられる時間が過ぎてから仁さんは重い口を開いた。
「楓くん、この際だから俺からも言いたいことがあ
る」
「仁さんからも……」
俺は、彼の言葉の続きを待った。
何が言われるのか、不安と期待が入り混じった感情が胸を締め付ける。
彼の口から出る言葉が、俺たちの関係をどう変えるのか、それが怖かった。
「あぁ、ここじゃあれだし…少し場所を変えよう」
そう言ってさんは、病室を出て扉を閉めると
「二人で話そう」と俺に背中を向けた。
その背中には、どこか寂しさが漂っていた。
彼の足取りは、重く、まるで何かを断ち切るかのように見えた。
病院を出て、車で10分ほど走ったところに、遊具が少なめの小さな公園があった。
人気のないその公園は、話し合いをするには適した場所だった。
静かで、誰にも邪魔されない場所。
その公園のベンチに腰掛けて、仁さんは話し始めた。
彼の視線は、遠くの空を見つめていた。
「マサから全部聞いたなら分かるだろ。俺と別れて正解だったって」
それを聞いた瞬間、俺の全身から血の気が引いていくのを感じた。
「……そ、そんなことありません」
その言葉は、まるで鋭い刃物のように俺の胸を突き刺した。
俺の心臓は、まるでガラスのように砕け散ったかのような衝撃を受けて
心臓が冷たくなり、呼吸が止まりそうになる。
まるで、世界から色が失われたかのような感覚に陥った。
「楓くんに嫌われたくなくて隠していたことなんて山ほどある。だけどもう嘘をつく必要なんてなくなった…だから、楓くんは自分の人生に戻ればい
い」
それはとても冷たい声だった。
まるで俺の存在そのものを拒絶しているような、突き放すような響きがあった。
彼の言葉は、俺の心を深く抉った。
「俺の人生に戻れって…なんで…」
そんな、どうしてそんな巻き込んだみたいな言い方するんだ…
俺は混乱し、彼の言葉の真意を測りかねた。
なぜ、今になってそんなことを言うのか。
俺が引き攣ったような声で聞けば、仁さんは迷いなく、そしてハッキリと言い切った。
「それが最善だと思うから」
その声には、一切の迷いが感じられなかった。
そしてその言葉は、俺の胸に重くのしかかった。
彼の言葉の裏には、俺を想う気持ちがあることは分かっていた。
それでも納得できなくて、俺は絞り出すような声で反論した。
「……最善、なんかじゃない…っ、最善だとか、なんで、一人で決めちゃうんですか…?」
俺は、悔しさと悲しみで、拳を強く握り締めた。
爪が手のひらに食い込み、痛みが走るが
そんなことよりも、仁さんの言葉の方がずっと痛かった。
俺の心は、まるで引き裂かれるかのように痛んだ。
俺の言葉に、仁さんは困ったような顔をして視線を少しだけ逸らした。
彼の表情には、葛藤が見て取れた。
その瞳の奥には、深い苦悩が宿っていた。
「俺みたいな男と付き合ってたから、家族の形すら壊しかねない。やっぱり俺は君に相応しくないと思う」
彼の声は、どこか自嘲めいていた。
その言葉の裏には、俺を想う気持ちがあることは分かっていた。
しかし、その優しさが、俺には辛かった。
「そんなこと……っ!!」
「あるよ」
俺は反射的に否定しようとした。
しかし、仁さんは俺の言葉を即座に遮った。
「だから、終わりにした方がいいと思った」
そう言われて、俺は段々腹が立ってきた。
彼の優しさが、かえって俺を傷つけている。
俺の我慢の限界を超えた。
もうこれ以上、彼の言葉を聞いていられなかった。
「……仁さんのバカ…っ」
俺は、感情のままに叫んだ。
そして、考えるよりも早く、仁さんの胸に抱きついた。
彼の体温が、俺の冷え切った心にじんわりと染み渡る。
彼の硬い胸板に顔を埋め、俺は震える声で懇願した。
「頼みますから…これ以上一人で抱え込まないでください……!」
俺の声は、怒りと悔しさで震えていた。
彼の背中に回した腕に、力を込める。
彼の背中から、彼の抱える重荷が伝わってくるようだった。
「楓……くん」
仁さんの困惑した声が、頭上から聞こえてきた。
俺は顔を上げて、潤んだ瞳で仁さんの瞳を見つめた。
彼の瞳には、驚きと、そして微かな動惑が宿っていた。
その瞳の奥には、俺の言葉が届いたことへのかすかな光が見えた。
俺は、俺の決意を真正面から伝えるべく
仁さんの胸ぐらを両手で勢い良く掴み上げ、さらに言葉を続けた。