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「あっ、もちろん、これは、紗奈《さな》には、秘密で頼むよ?」
イタズラっ子のような笑みを浮かべ、守近は、一同を見る。
わかっておりますと、皆、頷くが、果して、明日の夜の宴に、間に合うのだろうか、と、胸の内では、一抹の不安が脱ぐいきれなかった。
「まあ、髭モジャなら、やるだろうよ」
守近が笑った。
「ところで、あと少し、仕上げが残っているのだが、長良《ながら》、頼まれてもらえまいか?」
はい!と、長良は、元気よく答えた。
そして、向かった先は──。
「なんと!あの紗奈が!全く、守近も、水臭いなぁ。宴の要員が足りないなら、この、斉時《なりとき》に、一声かけてくれれば良いものを!よおし!後は任せろ!紗奈の兄とやら!」
何故に、守近様は、このような者に、自分を使いに出したのだろうと、長良は、思いつつ、どうぞ宜しくお願い致します。などと、几帳面な性格丸出しで、斉時の屋敷を去ったのだった。
さて、ドタバタしていた屋敷も、落ちつきを見せ始め、雅な雰囲気すら流れ始めていた。
庭に広がる池には、宴に備え、船首に龍の頭の形を付けた、龍頭の舟と、鷁《げき》という想像上の鳥の形を付けた、鷁首《げきしゅ》の舟が浮かべられている。この二艘は、対で使われるもので、概ね、龍頭の舟には楽師を乗せて雅楽を奏で、残りの鷁首《げきしゅ》の舟に、貴族達が乗り込み、舟遊びを楽しむのだ。
全てを望める寝殿の正面半分には、御簾が下ろされ、女人《にょにん》の座所も確保された。
後は、明日の夜を待つだけ──。宴を楽しむ準備は、十分過ぎるほど、出来上がっている。
その頃、髭モジャは、駆けていた。バテた馬に鞭打ち、女童子が、可愛くないのかっ!お前わっ!と、馬に喝を入れながら、近江国へ向かっていた。
そうして、あらかじめ知らされていた紗奈の家、受領の屋敷に髭モジャが、駆け込んだのは、夜半過ぎ、皆、寝静まっている時刻だった。
正門の扉を叩き、かすれきったダミ声が、たのもう!と、叫んでいる。
余りの騒がしさに、正門そばに備わる棟から、屋敷の警護を担当する、随人《ずいじん》達が、勇ましく現れた。その後ろから、屋敷の家令《しつじ》と、家司《ほさ》が、顔を覗かせている。
しかしながら、髭モジャ、さすがは、元、検非違使《けびいし》。それしきの、厳《いか》めしさなど、なんのその。それどころか、道のりの険しさから、髭モジャの顔つきの方が、鬼のようになっていて、何事ぞ!と、威嚇してくる先方も、どこか腰が引けていた。
「これを、北のお方様に!」
息も絶え絶えで、髭モジャが差し出した、紗奈《さな》からの、便りを家令が改める。とたんに、顔色を変え、屋敷奥へと走り込んで行った。
「おいおい、ワシは、都から、走りづめぞ、はようしてくれ」
髭モジャは、疲れから、ごちた。
──こうして、何時通りに、夜は開けて、宴当日を迎えた。お陰な事に天候に恵まれ、夜には、無事、月を楽しめそうだった。
「守近様!!大変です!」
「おー、そろそろ来るだろうと、言っただろ?守近よ」
守近の元へ、慌てふためき、家令《しつじ》が、転がりこんで来た。
「……で、どうして、どこから、斉時《なりとき》様がお越しになったのです?」
「それがね、私もわからないのだけど、何せ、斉時だから」
まあ、仕方ありませんと、家令は、言い捨てると、本来の要件を守近に告げた。
裏口から、続々と、出入りの商人が、紗奈《さな》への祝いの品を持って来ているらしく、厨《くりや》に収まらず、裏庭に積み上げているのだとか。
挙げ句、一和《いつわ》屋の店主が、阿り餅《あぶりもち》を、紗奈の前で、炙らせて欲しいと、道具一色を持ち込み、乗り込んで来たという。
「ああ、良い余興になる。表へ運ばせて、出来立てを皆に相伴すればいい」
成る程と、守近の采配に家令は納得し、下がって行った。
「しかし、なんだねぇ、紗奈ってのは、何者なんだ?着袴の儀って喋っただけで、都中から祝いが集まって来るとはな」
「斉時、おまえも、喋っただけで、都中に伝わってしまうとは。紗奈の事は言えないと思うよ?」
「お褒め頂きありがとさん。守近よ。で、そろそろ、楽曲組が集まって来る頃なんだがなぁ」
舟の用意で、雅楽要員まで手が回らず、守近は、竹馬の友、斉時の人脈というべきか、その口を頼ったのだった。
「雅楽の楽団員より、光の君達が演奏する方が、女房達も喜ぶだろう。憚《はばか》りながら、この斉時も、参加させて頂きますよ」
「おい、お前、もしや、また、うちの女房に手を!」
「おいおい、守近、お前さんじゃないんだから。何せ、久しぶりの舟遊び。なんとなく、気も弾んでましてね。おっ、来たか?表が騒がしいぞ?」