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私はその場から逃げるように離れた。
サクラちゃんの視線が、ずっと背中に刺さっていた気がする。
息が苦しい。
足が止まらない。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
……どうすればいいの。
私は、公園の近くで立ち止まった。
そのときだった。
「……あれ?」
聞き慣れた声。
振り返る。
そこにいたのは、クラスメイトの佐藤だった。
「誰……? え、なに? 知ってる人?」
警戒したような目で見られる。
当たり前だ。
私は、知らない男なんだから。
でも——
この人なら。
もしかしたら。
私は、一歩近づいた。
「……私、大久保なんだ」
自分でも、何を言ってるのか分からない。
でも、言わないといけない気がした。
佐藤は、一瞬固まったあと、すぐに眉をひそめた。
「は? 何言ってんの」
冷たい声。
やっぱり、無理だ。
それでも。
私は、止まれなかった。
「ほんとに……ほんとに大久保で……朝起きたら……」
言葉がぐちゃぐちゃになる。
うまく説明できない。
伝わらない。
「ちょっと、やめてよ。気持ち悪いんだけど」
その一言で、胸が強く締め付けられる。
……分かってた。
そうなるって。
それでも。
それでも——
信じてほしかった。
私は、必死に言葉を探す。
何か。
何かないの。
証拠。
信じてもらえるもの。
そのとき、ふと思い出す。
「……佐藤、右腕にタトゥー入れてるでしょ」
空気が、止まった。
佐藤の表情が変わる。
「……は?」
低い声。
明らかに動揺している。
「学校にバレたらやばいって言ってたじゃん。夏でもずっと長袖で——」
「……なんで知ってんの」
声が震えている。
私は一歩近づく。
「だって、あのとき一緒に——」
言いかけて、止まる。
でも、もう止められない。
「屋上で見せてくれたでしょ。誰にも言うなって言ってたのに」
沈黙。
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#読み切り
風の音だけが聞こえる。
佐藤の目が、明らかに揺れている。
疑いじゃない。
混乱だ。
私は、息を呑む。
……いけるかもしれない。
信じてもらえるかもしれない。
胸の奥に、小さな希望が灯る。
そのとき。
「……それ」
佐藤が、小さく言った。
「……なんで、それ知ってるの」
私は、思わず息を吐く。
よかった。
伝わった。
そう思った瞬間——
「……だからって」
声が変わる。
「それで“大久保”ってなるわけないでしょ」
冷たい目。
さっきまでの揺れが、消えている。
「誰に聞いたの? それ」
一歩、距離を取られる。
「マジでやめて。そういうの一番無理」
心臓が、ドクンと鳴る。
さっきまであった希望が、一瞬で崩れる。
「違う……ほんとに私で……」
「やめてって言ってるでしょ」
はっきりとした拒絶。
その言葉が、頭の中で何度も響く。
私は、何も言えなくなった。
喉が詰まる。
息がうまくできない。
目の前にいるのに。
ちゃんと見えているのに。
もう——
届かない。
佐藤は、スマホを取り出した。
「これ以上変なこと言うなら、普通に通報するけど」
その言葉で、体が凍りつく。
……終わった。
私は、完全に“知らない人”になったんだ。
逃げるしかなかった。
私は、その場から走り出した。
後ろで何か言われた気がしたけど、聞こえなかった。
聞きたくなかった。
息が苦しい。
胸が痛い。
足が震える。
それでも、止まれない。
頭の中で、さっきの言葉が何度も繰り返される。
——気持ち悪い
——無理
——やめて
そのとき、ふと気づく。
……名前。
私は、立ち止まる。
さっき、言おうとして——
言えなかった。
大久保。
自分の名前なのに。
口に出そうとすると、違和感がある。
胸がざわつく。
……なんで。
どうして。
私は、誰なの。
風が吹く。
冷たい。
その瞬間。
ポケットの中で、スマホが震えた。
ゆっくりと取り出す。
知らないスマホ。
知らないロック画面。
通知が、一件。
震える手で、開く。
そこに書かれていたのは——
『もう一人いるよ』
心臓が、止まりそうになる。
……なに、それ。
意味が分からない。
でも。
嫌な予感だけは、はっきりしていた。