テラーノベル
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暗い絶望の影が落とされた部屋の中、言葉を失っていた照さんが、ハッと弾かれたように息を呑む。
「康二なら…!」
一縷の希望を掴み取るようにその名を低く呟いた瞬間、僕を軽々と抱き上げて家を出れば、照さんの姿が冷たい風を纏ってフェンリルの姿へと変貌した。
「照、さん…っ、」
『全速力で走る、掴まってろ!』
その言葉に温かく柔らかな銀の毛皮に埋もれ、彼の首元へ必死にしがみつく。直後、照さんは僕を落とさないよう、凄まじい速度で森の深淵へと駆け出した。
疾風を切って飛ぶように進む背の上。耳元を激しい風の音が掠めていく。
(ごめんなさい、照さん…僕の為に。)
僕を絶対に死なせまいと必死に地を蹴るその健気な振動を感じながら、僕は強く目を閉じ、彼の毛皮に深く顔を埋めた。
『康二!!』
切り開かれた木々の奥、照さんの切迫した叫びが響き渡る。
『うわぁあっ!?なんや急にビックリしたぁ!』
あまりの勢いで突っ込んできた照さんと怒号に似た声に驚き、成長した姿のこうちゃんがバサバサッと鮮やかなオレンジ色の翼を大きく羽ばたかせた。
『泣け!』
『え?』
『いいから泣け!!』
『ちょ、ちょっと待って照にぃ、何なん急に!?急に言われて直ぐ泣けるわけないやん!』
混乱するこうちゃんの横。すん、と静かに嗅ぎ分けるように鼻を動かしたのは蓮さんだった。サファイア色の瞳が少しだけ見開かれ、僕を捉えてその表情が固まる。
『…佐久間…もしかして…、』
言い落とされた言葉の続きを察し、僕は何も言わずにただ力なく微笑んだ。照さんは縋るような目を蓮さんに向ける。
『蓮、お前の力は…!』
『無理だよ。』
照さんの言葉を最後まで聞かず、蓮さんはばっさりとそれを断ち切った。その声には期待を持たせない為の静かな残酷さが秘められていた。
『俺の力は浄化。病そのものを消し去る治癒の術はないよ。』
『…病、?』
場に落ちた重苦しい一言に、こうちゃんの声のトーンがすっと落ちた。そうして人の姿に変わると、心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。
「大ちゃん…どっか具合悪いん?」
その異様な雰囲気に引き寄せられるように、近くに居た涼太さんと翔太さんも、静かに僕の足元へと歩み寄ってきた。
「ちょっと…咳がね。」
困ったように僕が微笑むと、彼は《なんや、風邪かぁ!》と安堵したように息を吐いた。
「ちゃんとお薬飲んどる?マズいかもしれへんけど、あかんで。しっかり飲まな治らんよ?」
僕の病の本当の重さを知る照さんも、蓮さんも、そして僕自身も、大人になった姿でも無邪気に心配してくれる彼に真実を伝えることができなかった。
「うん…飲んではいるんだけど…なかなか効かなくて。」
「うーん…それやったら、俺の涙要るかぁ…。」
思案するように腕を組んで顎に手をやるこうちゃんは、くるっと僕達全員に背を向けた瞬間、再び大きな鳥の姿へと変わり、じっと静かに遠くの空を見上げた。
その背中へ、首を傾げる一同の視線が集まる。静寂の中、三十秒ほどの時間が過ぎたその時だった。
『………ゔ、』
小さな声が漏れ、彼が鼻を啜り始めた。必死に悲しいことを思い浮かべ、涙を溜め込もうとしたのだろう。
『大ちゃん…手ぇ出しといて…っ、』
「?うん…。」
『ふゔぅ…、』
振り返ったこうちゃんは、ぽろぽろと綺麗な大粒の涙を流していた。僕が差し出した掌の上に、温かい涙がぽたり、ぽたりと落ちていく。
『…ちょっと嫌かもしれへんけど…飲み?』
翼の先でゴシゴシと涙を拭いながら言う彼に、僕は胸を打たれた。
「ありがとう、こうちゃん。」
掌に溜まった数滴の涙を飲み下す。その瞬間、僕の体の中からぽっと柔らかい橙色の光が溢れ出し、温かい熱が全身を駆け巡った。
『佐久間…どう?』
涼太さんが照さんの背に飛び乗り、顔を覗き込んで僕の様子を伺う。僕は一度だけ、深く息を吸い込んだ。
「…あ…。」
胸の奥にこびりついていた重い痛みが引いていき、呼吸がすっと楽になった気がした。
助かるかもしれない。
照さんの張り詰めていた肩から、ほんの僅かに力が抜ける。黄金色の瞳に宿っていた絶望が、希望へと変わりかけた、その時。
「うっ…、ごほっ!!げほっ、ごほっ…、っ!!」
突如として、先程までとは比べ物にならない激しい咳込みが僕の体を襲った。喉の奥から上がってくる酷い鉄の味。僕は咄嗟に口元を両手で覆ったが、その隙間から鮮やかで禍々しい赤が溢れ出し、白く震える指先を濡らしていった。
『『……え?』』
動揺の声を漏らしたのは、翔太さんとこうちゃんだった。涼太さんはただ呆然と、目の前に広がる鮮血に言葉を失って見開いた目で見つめ続けていた。
絶望と焦燥が、俺の脚を突き動かしていた。
どんな傷も病も癒す筈のフェニックスの涙すら効かないなんて…そんなわけがない。絶対に、どこかに助ける道がある筈だ。
仲間たちに佐久間を任せて俺は単身、修道院へと疾走した。
静まり返った聖域の前に差し掛かり、俺は念の為に足を止める。姿を変え、息を殺し、右手を前方へ伸ばした。
…魔力を弾くあの不快な衝撃はない。俺の手は、何も遮るものはなく空を切った。
結界は、相変わらず解かれたままだ。手元を見つめ、一度だけ深々と頷く。俺はそのまま迷いなく、修道院の敷地へと足を踏み入れた。
建物の前には、まるで俺が来るのを最初から解っていたかのように、三つの影が佇んでいた。
「…珍しいですね。おひとりとは。」
胡散臭い笑みを浮かべ、静かに歩み出てきた神父。俺は何も答えず、人間の姿から再びフェンリルの姿へと変貌を遂げた。地を震わせるほどの威圧感を放ちながら、彼らを見下ろす。それを長身の少年が、俺の姿を見るなり目を丸くする。
「わ、やっぱり大きいー!」
「ラウが言うと…なんか説得力ないな。」
隣に立つ助祭が苦笑いを漏らす。神父は穏やかな笑みを絶やさぬまま、静かに問いかけてきた。
「それで、どのようなご用件で?」
『三つ、聞きたいことがある。』
自分の口から出た声は、冷静だった。
『…佐久間のこと、解ってんだろ?』
「えぇ。お気の毒ですが…。」
『そこで一つ目だ。…何故、フェニックスの涙が効かない?』
俺の問いに答えたのは、神父ではなく少年だった。
《簡単だよ》と口を開いた彼のあどけない表情が、一瞬にしてすっと冷めたような静けさへと切り替わる。その瞳で俺を刺すように見つめ、淡々と言い放った。
「自然の摂理には抗えない。ただ、それだけ。」
『フェニックスの涙には万病を治す力はある筈だ。』
「そうだよ。でもね、大介くんは…『そういう』運命ってこと。僕達がいくら奇跡を起こせても、主がお決めになった命の長さを書き換えることはできない。」
『二つ目に聞こうと思ってたが…何で佐久間が結核になったのかは、』
「そう、答えは同じ。」
少年の短い返答に、俺は思わず鋭い牙を噛み締めた。
『俺と一緒に居るからでは…ないんだな?』
「うん。たまたま大介くんが、薄命の星の下に居たってだけ。」
小さく息が漏れた。修道士を辞め、神と敵対するフェンリルである俺と共に居ることで定められてしまったという疑念だけは晴れた。…だが、それは同時に奇跡すら届かない絶対的な絶望を突きつけられたことを意味していた。
俺は静かに瞳を閉じ、最後の問いを絞り出す。
『三つ目。…俺は『契約』を組めるのか?』
「「「…………。」」」
その言葉を口にした瞬間、三人の空気がピリッとした緊張感のあるものへと変わる。神父は一歩前へ踏み出して元の姿──大天使ミカエルの神聖な光を纏うと、
「診てみましょう。」
俺の額へとそっと手を翳した。 柔らかな光が俺の身体を包み込むと、俺は抗うことなく目を閉じ、その審判を受け入れた。やがて《ふむ、》と全てを理解したように手を下ろしたミカエルは、
「組めません。」
溜めもなく、あっさりとそう告げた。…やっぱりか、と言わんばかりに深く首を垂れ、肩を落とす。やはり、混血である俺ではダメなのか。だが、彼は静かに言葉を続けた。
「ですが、それは今の貴方が『契約』を結ぶ為の魔力が不安定なだけです。」
『それは…今後、何とかなるものなのか?』
「あいにく。…ですが、」
言葉を区切ったミカエルに代わり、後ろから助祭がすっと前へ出た。
「俺の加護があれば、結べるようになるよ。」
『…条件は?神を信仰しろとでも言うつもりか?』
「あっはは!まさか!」
助祭は可笑しそうに笑うと、一転して俺の目を真っ直ぐに見つめ返したその瞳には慈愛の光が宿っていた。
『…じゃあ、何だ。』
「佐久間を、最期までよろしくね。」
『………それだけか?』
「うん。それだけ。」
俺は言葉を失い、ただ目の前に立つ男たちを凝視した。冗談を言っているようには見えなかった。
『…連れて来る。』
俺は静かに頷くと、再び住処へと踵を返して駆け出した。
水瀬菜音
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絶対辰哉
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うさみみ
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コメント
1件
大天使様達の力をもっても無理な事があるんやね… ひぃ〜💛は、どうするんだろぉ