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今日もまた、日が燈る

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今日もまた、日が燈る

2 - 第2話 憩いの時間、思い出の場所

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2025年06月25日

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雨が上がると、薄曇りの隙間から陽の光が顔をのぞかせた。店先の観葉植物たちも、嬉しそうに葉を太陽へと向けている。


「すっかり晴れたね」

萌香が窓の外を見ながら呟く。


「ああ。こっからちょっと忙しくなるかもな」

五十嵐がグラスを拭きながら応じた、その時──


ドアが、からん、と鳴る。

猫を抱えた婦人が、そっと顔をのぞかせた。


「すみません、お席空いてらっしゃるかしら?」


「はい!どうぞ。窓際のお席でも」


萌香の声に、ふわりと温かい空気が流れ込んだ。

──今日もまた、静かに火が登っていく。



「猫ちゃん……大丈夫かしら」


婦人が腕の中の猫をそっと撫でながら尋ねる。


「はい、もちろんです」

萌香が笑顔で答える。


その横で、五十嵐は一歩、すっと後ずさる。

嫌いなわけではない。むしろ、どちらかと言えば好きなほうだ。

……が、アレルギーには勝てない。


「悪い、俺……ちょっと距離取るわ」

ぼそりと呟きながら、そっとカウンターの奥に消えていく。


萌香はクスッと笑った。

「じゃあ、コーヒーは私が運びますね」


「いや、むしろ頼む……マジで目が痒くなるから……」



「ブレンドを頂こうかしら。猫ちゃん用にミルクも一つ」


「かしこまりました」

萌香は笑顔でオーダーを受け、カウンターに戻る。


五十嵐は猫から半歩距離を取りつつ、ぼそっと呟いた。


「……うち、いつからペット可になったんだよ」


「え? 別に、元々ダメじゃなかったでしょ?」


「いや、黙認と公認は違うだろ」


「じゃあ“黙認”ってことで」


「…おい、経営者の発言かそれ」


「しかも、こんなに可愛いし」

萌香が屈んで猫に目線を合わせる。

「ほら、おいでー」


茶色と白の水玉模様のような、やわらかな毛並みの三毛猫。

まるで呼ばれたのが分かるように、猫はとことこ歩み寄り、萌香の足元で小さく身体を丸めた。


そっと撫でると、喉の奥からゴロゴロと甘えた音が響く。


「……ほら、いい子でしょ?」


萌香の手の動きも、猫の鳴き声も、あまりに穏やかでやさしくて──

それを見ながら五十嵐は、口に出せない言葉をぐっと喉の奥に飲み込んだ。


(……あー……でも、痒い)


婦人が、白い器にそっと暖かいミルクを注ぎ、テーブルの下に差し出す。


「ほら、メルちゃん。ミルクあげるわよー」


ところが、メルちゃんは器に目もくれず、ぷいと顔を背けた。


「あら? 飲まないの? 珍しいわね……」


婦人が少し首を傾げる。


それを見ていた萌香が、カウンター越しに言った。


「……もしかして、成分調整牛乳だからだめなのかしら?」


五十嵐が思わず吹き出しそうになるのをこらえながら、

「お前、その猫より舌こえてないか」と、心の中でつぶやいた。



五十嵐がふと後ろから口を挟む。


「一応、うちで使ってる牛乳は、酪農家からウチだけにおろしてもらってる特注だ。味は保証する。」


メルちゃんを避けるように、やや距離をとった立ち位置のまま。


婦人は感心したように目を丸くする。


「まぁ、こだわりが素晴らしいわね」


「……まあ、俺が選んだわけじゃないけどな」

そう言って、そっぽを向く五十嵐。


その背中を見て、萌香がくすりと笑う。


「でも、ちょっと誇らしげだったよ」


五十嵐は答えず、グラスをひとつ、静かに拭き上げた。


カラン、とドアの鈴が鳴った。


小さな音とともに、柔らかな陽射しがまた少しだけ差し込む。

新たな来客が、その光と一緒に現れた。


「おーい、お嬢ちゃん。また来たよ」


元気すぎる声が店内に響く。


「いらっしゃいませ」

萌香がいつも通りの笑顔で迎える。


その隣で、婦人があからさまに顔をしかめた。


「……あらやだ、坂松の爺さんじゃない」


「なんだい、人の顔見るなりその言い草は」

と、入ってきた初老の男が苦笑いしながら手を挙げる。


年季の入った帽子を脱ぎ、コートをバサッと脱いで、

坂松は常連席らしき椅子に自然と腰を下ろした。

「ごめんな? 萌香ちゃん。このばあさんが煩くてな」

坂松が椅子に腰を下ろしながら、平然と言い放つ。


婦人は眉をひそめてすぐさま応酬する。


「何言ってんのよ。アンタのほうがよっぽど喧しいわよ」


「……あはは」

萌香が苦笑いを浮かべながら、メモ帳を手にする。


「ご注文は?」


「暖かい紅茶でいいや。それから……今日の夕刊、あるかい?」


「はい、今お持ちしますね」


萌香がレジ脇の新聞ラックに向かうと、

五十嵐がぼそっと呟いた。


「……あの二人が一緒にいるだけで、こっちのHPがジリ減りするんだよな……」


坂松は、紅茶が届くまでの時間潰しとばかりに、

メガネを指でくいと持ち上げ、カウンターの奥にいる五十嵐をじろりと見る。


「おう。若いの、ちゃんと真面目に勉強してんのかい?」


「……その“若いの”って言い方やめろ!!」


グラスを拭いていた手が止まり、五十嵐がすかさず声を上げる。


坂松は涼しい顔で肩をすくめた。


「いや、事実だろ。お嬢ちゃんと違って、君は顔に“苦学生”って書いてある」


「誰が苦学生だ!! っていうか“お嬢ちゃん”呼びもやめろよ」


カウンター越しに広がる、いつもの応酬。

そのやり取りを、紅茶を運びながら萌香がふふっと笑って聞いていた。

「やれやれ、口の悪い店員だな」

坂松が、ふうとため息まじりに紅茶を一口すする。


「悪かったな。めんどうな常連にはこんなもんだ」


五十嵐はグラスを拭く手を止めずに、そっけなく返す。


「もうっ、五十嵐くんたら」

萌香が苦笑まじりに声を上げる。

けれどその声には、とがめるよりも、この空気を楽しんでいるような響きがあった。


坂松も、それを分かっているのかいないのか。

「ま、気の利いた毒舌は嫌いじゃないよ」と、紅茶を口に運んだ。


「ところで──浩二よ」

紅茶を置いた坂松が、ふと思い出したように言った。


「……っ!」

五十嵐の手がピタリと止まり、耳まで真っ赤になる。


「急に下の名前で呼ぶなよ!! なんだよ、気持ちわりぃな……!」


坂松はわざとらしく肩をすくめた。


「いやぁ、そろそろ“男同士の話”でもしてみようかと思ってな」

「……くだらねぇこと言ってんなよ」


五十嵐はグラスを拭くフリをしながら、背を向けたままぶっきらぼうに返す。


「で? あの女の子とは、どうだい? 付き合えそうかい?」


「だからくだらねぇって言ってんだろ!!」


言葉と一緒に、拭いていたグラスがカウンターにコトンとぶつかる。


その音に、萌香がぽかんと振り返る。


「……え? なに? どの話?」


五十嵐はすかさず振り向いて叫んだ。


「お前は聞かなくていい!!」


「ええ……? 内緒話?」

萌香が首を傾げて、五十嵐と坂松のあいだをきょろきょろ見比べる。


「……聞くな。老人のくだらない下話なんか聞いたら、耳が腐るぞ」

五十嵐が顔を背けたまま、低く言い捨てる。


「はっはっは! こりゃまた酷い言いようじゃの」

坂松は声をあげて笑い、紅茶をすすりながら肩を揺らす。


「でも気になるなぁ」

萌香がぽつりと呟くと、五十嵐の肩がぴくりと跳ねた。


「……マジで頼むから、気にすんな」


「……いいから新聞に集中してろよ」


五十嵐がため息まじりに呟くと、

坂松はその言葉に素直に従うでもなく、ページをぺらりとめくった。


「おっ……春澤香子の不倫報道? こりゃあまいったなぁ」


その声に、萌香が反応する。


「えっ、春澤香子って……あの人ですよね? CMにもいっぱい出てる」


「そう。昔は“清純派の象徴”とか言われてた女優よ」

と、婦人がため息混じりに紅茶をすすった。


「まあ、こういうのが載ってるから新聞はやめられんのよ」

坂松がニヤリと笑いながら、記事に目を走らせる。


「……くだらねぇ」

五十嵐はそう言いながらも、横目でチラリと紙面を覗き込んでいた。


「はぁ……うちにも、春澤香子みたいなべっぴんの妻がいりゃあなぁ」

坂松が、新聞のページをめくりながらぼそりと呟く。


それを聞いて、婦人が鼻で笑った。


「アナタね、奥さん亡くしたばっかで寂しいのは分かるけど、あんまりそういうことばっか言ってるんじゃありませんよ」

声はやわらかいけれど、言葉には芯があった。


「恥ずかしいったら、ほんと」


坂松は返事をせず、しばらく新聞に目を落としたままだった。


その横で、メルちゃんがそっと前足を揃え、窓の外をじっと見つめている。


店内には、午後の光と珈琲の香りだけが、静かに満ちていた。


「……香子は、珈琲が好きじゃったよ」

坂松が、紅茶のカップを見つめながらぽつりと呟く。

「ワシはずっと紅茶派でな。味がどうのこうのって、しょっちゅう喧嘩しておった。……懐かしいの」


その言葉に、萌香がふと微笑んだ。

けれどその笑みは、ほんの少しだけ、寂しげだった。


「そうですね。奥様から頂いた食器──今も飾ってありますよ」

そう言って、カウンター奥の棚をちらりと振り返る。


淡い花模様のティーカップ。

光が当たると、どこか品のある色を返す、少し古びた磁器。


坂松は、それを見つめて、ひとつだけ、短くうなずいた。


坂松は、紅茶を一口啜ってから、静かに呟いた。


「……香子って名を聞くと、今でもドキッとするんじゃ」

「春澤香子って女優、昔から好きでの……」


ふっと、少し照れたような笑みを浮かべる。


「ワシの香子も、あの人と同じ字だった。それだけでな……この人しかおらん、って思ったんじゃよ」


「えっ……名前だけで、ですか?」

萌香が目を丸くする。


「そうそう。アホじゃろ? でも、ワシは本気だったんじゃ」

坂松は小さく笑いながら、残りの紅茶を口に運ぶ。

「“結婚しようや”って言ったら、“バカじゃないの”って笑われた。……でも、そのあとで、“……いいけど”って言ってくれてな」


その声には、今もはっきりと思い出せる“香子”の笑い声が乗っているようだった。


カウンターの奥、萌香はそっと目を伏せながら、静かに笑った。


「……浩二や」

坂松がふいに口を開く。


「うっさいな。なんだよ」

グラスを拭いていた五十嵐が、面倒そうに振り返る。


坂松は、少しだけ目線を伏せたまま呟いた。


「……苦くないコーヒー、あるかい?」


五十嵐は、一瞬だけ目を瞬かせたあと、ふっと鼻を鳴らす。


「……砂糖とミルク入れりゃいいだろうが」


そう言いつつ、すでにカウンター奥では手が動いていた。

豆の分量をほんの少しだけ変え、温度を調整する。

“あのカップ”で淹れることも、忘れなかった。


カウンターの隅。

誰かの記憶に灯をともす一杯のコーヒーが、静かに生まれようとしていた。


今日もまた、日が燈る

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