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今日もまた、日が燈る

3 - 第3話 甘い時間と一時の休息を

♥

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2025年06月25日

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木曜日の朝は、やけに日差しが強かった。
梅雨明けの知らせもないまま、蝉だけがフライング気味に鳴き始め、

アスファルトの照り返しは夏の訪れを誇示している。


壁掛けテレビでは、天気予報士が何度も「例年にない猛暑です」と強調していた。


「……あちぃな」

グラスを拭く手を止めて、五十嵐浩二がぽつりと呟く。


背の高い冷蔵庫の前で、ひときわ目立つ汗じみを見つけては、眉をひそめた。


「ほんとだね。ちょっと休憩しようか?」

カウンターの中では、店長であり同級生でもある佐藤萌香が、

水出しコーヒーの様子を見ながら、のんびりとした声で返す。


店内には今、客の姿はない。

柔らかなピアノジャズだけが、小さく流れている。


扇風機の首振り音が静けさに交じり、

やっと一息つけるかと、ふたりがほっとした──その時だった。


カラン。


乾いたドアベルの音が、午前の空気を断ち切った。


「すみません……一名なんですが、大丈夫ですか」


ひょろりとした長身の青年が、ガラス戸を押し開けた。


眼鏡の奥の視線は伏し目がちで、

濃紺の袴風の服が、周囲の陽射しの強さと対照的な涼やかさを醸していた。


「……いらっしゃい」

五十嵐がぼそっと言った。


(……絶対、長居するタイプだな)

直感だった。


片手には分厚い文庫本、もう一方の腕には、くたびれた布張りのカバン。


肩から落ちそうなそのカバンの口が、ほんの少し開いており、

中には原稿用紙らしき束と、付箋だらけの資料が覗いていた。


青年は目立たない奥のソファ席に腰を下ろすと、控えめに注文した。


「パンケーキと、冷たいカフェオレを……」


その瞬間、五十嵐の表情がぴくりと動いた。


「パ ン ケ ー キ……だと……?」


ぼそりと漏れた声には、若干の敵意すら感じられる。

休憩時間を引き延ばす代表格、“甘味&長居”のコンボ。

しかもこの暑さに、ホイップてんこ盛り案件の予感すら漂う。


「……あー……やっぱり、今日は厄日だわ」

五十嵐は静かにグラスを置き、奥のキッチンへと向かった。


一方の萌香は、むしろ楽しそうに微笑んでいた。

「パンケーキですね。かしこまりました〜」


五十嵐は、注文の冷たいカフェオレをトレイに載せて、青年のもとへ向かった。

 グラスの水滴がじわりと滲み、カラン、と微かな氷の音が鳴る。


 青年は、小説を読みふけったかと思えば、次の瞬間には資料と原稿用紙を広げ、真剣な面持ちでペンを走らせていた。視線はずっとページの上。店の空気にも、足音にもまるで反応がない。


「……随分、古風だな」

 五十嵐が、呆れとも感心ともつかない声でつぶやく。


「小説家さんかもね」

 カウンター越しに萌香が言った。


「見た目でわかんのかよ」

 そう返しながらも、ちらりと青年を見やる。

 眼鏡に袴風の服装。書き込みだらけの参考資料に、万年筆。


(……いや、確かに雰囲気出てるな)


 五十嵐は、そっとグラスをテーブルに置いた。が、青年はまるで気づかない。

 咳払いをしてみるも無反応。


 「お待たせしました!!」


 声を張った瞬間、青年がビクンと肩を跳ねさせた。


 「ひいっ! す、すみません、すみません……気がつかずに……!」


 慌てて頭を下げる様子は、まるで叱られた小学生のようだった。


「もう、お客さん怖がらせないでよ」

苦笑しながら、萌香が五十嵐の方を軽く睨む。


「悪かったよ……でも聞こえてなかったし」


すると青年が、おずおずと手元を整えながら小さく呟く。


「……あの、僕……“締切”ってワードに弱いんで。もし言ってもらえたら、たぶん反射的に振り向くかと……」


五十嵐が無表情で即答する。


「それはやめとけ」


五十嵐の即答が返る。

 そんな単語、口に出したらそれこそ悲鳴を上げて倒れるかもしれない。


 静かな喫茶店に、新しい常連がまたひとり、加わろうとしていた。


***


「お待たせしました〜! 特製パンケーキです」

萌香が笑顔でプレートをテーブルに置く。


その瞬間。


「うわぁ!! おいっしそう!!」


ぱあっと顔を輝かせ、手を合わせて目をキラキラさせる青年。


……そのギャップに、五十嵐は固まった。


「……急にキャラ変わった!?」


「す、すみません……甘いものにはちょっと……つい……」


青年がもじもじしながらフォークを握りしめる姿は、

さっきまで原稿と資料に没頭していた人物とまるで別人だった。


「僕、糖分とらないとイライラして……原稿やぶいちゃう癖があって……」


パンケーキにフォークを入れながら、青年がぽつりと告白する。


五十嵐は即座に立ち上がらんばかりの勢いで叫んだ。


「原稿大事にしろよ!!」


「だ、だって……書いても書いてもダメな時、もう全部終わりだって思っちゃって……」


「いやだからって破くなよ!! せめて丸めて投げろ!!」

「そんなのだと自分に負けた気がして……」

「めんどくせぇッ!!」


萌香は笑いをこらえながら、カウンターの奥でミルクを温めていた。


「でもちょっとわかるなぁ。私も失敗したレシピ、紙ごと捨てたくなるし」


「捨てたら次に同じミスすんだろが!!」

五十嵐のツッコミが今日一番の鋭さを見せた。

「小説、書かれてるんですか?」

萌香がカフェオレを注ぎながら、穏やかに問いかけた。


青年は、パンケーキにフォークを刺したまま固まった。


「えっ……? あっ……ああ、はい」

ぎこちない笑みを浮かべながら、言葉を継ぐ。

「……一応、“名のある小説家”…の息子です」


「本人じゃないんかい」

五十嵐が容赦なく突っ込んだ。


「で、でも! 僕も一応、書いてはいるんですよ! まだ……新人賞止まり、ですけど……」

耳まで赤くなった青年が、慌てて弁解するように言葉を重ねる。


萌香はふわりと笑って、ひとこと。


「なんだか、楽しそうに書かれてますよね」


その言葉に、青年の表情が少しだけ緩んだ。


青年も、つられるように小さく笑った。


 「……僕、古上です。古上創也」


 「五十嵐浩二だ」


 「店長の、佐藤萌香です!」


 三人の名前が交差した瞬間、店内の空気にひとつ、小さな温度が生まれた。

 それはささやかだけれど、確かな“出会いの瞬間”だった。


 「……え? 店長さんなんですか?」

 古上が目を丸くする。


 「……あっ! 違くて!」

 萌香は慌てて手をぶんぶんと振る。


 「普段は叔父さんにお店を任せてて。私は手伝い……っていうか、おじいちゃんの店だったので、なんとなく、そのまま……」


 「“なんとなく”で店長名乗るなよ」


 五十嵐が呆れたように突っ込む。


 「だって、みんなそう呼ぶんだもん!」


 そんな他愛のないやり取りに、古上の表情が少しずつ緩んでいく。


 五十嵐はふっと笑って、グラスを拭きながらぽつりとこぼした。


 「……まぁ、大学じゃちょいちょい会うかもな。佐藤は“単位取り終わったから余裕~”ってぶっこいてるけどな」


 「ぶっこいてませんー!」


 「……ちゃんとしてるんですね」


 古上がぽつりとこぼしたその言葉には、どこか羨望の響きが混じっていた。


 ほんの少し、過去に置き忘れたものを思い出すような、そんな声だった。


 「なんだ。知り合いなら、寛いでても問題ないだろ?」


 五十嵐が肩をすくめながら言う。


 「それとこれとは別でしょ……」  萌香が眉をひそめる。きちんとした店の空気を保ちたいらしい。


 すると古上が、パンケーキに添えられたホイップをちまちまとフォークで掬いながら、穏やかに言った。


 「構いませんよ。僕も……このパンケーキを堪能したら、大人しくじっとしてますから」


 「それ、完全に長居する人の言い方じゃん……」

 五十嵐がぼそっと突っ込む。


 古上はくすりと笑い、丁寧な仕草でカフェオレを口に運んだ。

 その所作がどこか気障で、けれど不思議と嫌味ではなかった。


五十嵐も、自分のグラスを手に取る。

 アイスコーヒーの中で、カランと氷が鳴った。


 「……ほんと、厄日だな」

 そう呟いて、ストローで静かにコーヒーをかき混ぜる。


 けれどその言葉には、さっきより少しだけ力が抜けていた。


 萌香が、その様子を見て「ふふっ」と柔らかく微笑む。


 木曜日の昼下がり。

 陽はますます高く、外の蝉がじりじりと季節を主張していた。


 ──奇妙な客が、ひとり。

 そして、ちょっとだけ気になる“友達”が、できた日。


 

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