正門から、西門にかけて、何故か、牛の列が出来ている──。
都大路を歩む人々は、大納言様の御屋敷へ行ってみろ、と、大騒ぎしていた。
なんだなんだと、好奇心あらわに集まる人々に、髭モジャと新《あらた》は、ニンマリしている。
「うわあー、こりゃー、大変じゃー!」
お?髭モジャが、何かやらかしたみたいだぜ、と、野次馬が、騒ぎだした。
「牛がのぉー、逃げ出したのじゃあ!」
はあ?!
溜め息のような、野次馬の呆れ声の後に、爆笑の渦が続く。
「さあ、さあ」
と、髭モジャは、正門前に、陣取る牛に声をかけるが、牛は、いっこうに動く気配はなく、うずくまり、尻尾をゆらゆら、動かしているだけだった。
ははは、こりゃー、いいわ!
野次馬の歓声が上がって、それに、驚いたのか、牛が、モォ~と鳴く。
ワハハハと、都大路は、笑い声に包まれた。
「おーい、髭モジャ、西門にも、牛がいるぞ!」
野次馬のフリをする、新が、煽るように、声を掛けてくる。
「えー、そりゃ、不味い!!」
こっちこっち、早く来いと、新は、手招く。
「悪いのぉ、通してくれ」
野次馬をかきわけて、髭モジャは、進んだ。
「おい、髭モジャ、この牛、どうするんだ!」
「あー、そーじゃ!」
「おいおい、西門の牛は、どうするのさ!」
「おおー、そうじゃなっ!」
振り回される髭モジャの様子に、堪忍出来ないとばかりに、新は、野次馬へ向かって、
「ちょいと、皆で、見といてくれよ、そっちは、一頭だろ?西門は、何頭もいるんだ!」
ありゃ、そりゃ、早くなんとかしないと、と、野次馬は、ざわめく。そして……
髭モジャ、ここは、俺達に任せろ!
と、まんまと、新の口車に乗ったのだった。
「いや、いや、すまんなぁ、こりゃ、まいったわぁー」
空々しい困り顔を浮かべる髭モジャが、人混みをかき分けながら、西門へ向かっていると、トンと、女の肩に触れた。
「やや、すまん!何せ、この人混みじゃ、許してくれ」
「ええ、本当に、込み合ってますね、通りも、まともに歩けないわ、早くなんとかしてくださいよ!」
女は、チクリと、髭モジャに、文句を言いつつ、何か急ぎ事があるかのように、人をかき分け、去って行った。
「あー、参った。凄い人じゃな」
どうにか、集まった人の群れから抜け出した髭モジャは、たどり着いた新の元で、苦笑う。
「おい、髭モジャよ、笑ってる場合か?さっきの……」
「ありゃ、松虫《まつむし》の手の者じゃな」
「松虫?」
「おお、巾着切《きんちゃくき》りじゃ。それも、女首領《おんなしゅりょう》でなぁ、昔から、女ばかり集めて、悪さしておるのじゃ」
「は?スリかよ!まあ、奴らは人混みに現れるもんだが、で、髭モジャ、お前も、やられたって、ことか」
「おお、そのようじゃ。しかも……」
髭モジャは、新に、袖を見せた。
貼り付いていたはずの、札が、なかった。
「これでは、女房殿と、繋ぎがとれんわ」
「……あのな、もう、同じ場所にいるだろ?繋ぎも、何も……」
「おお、そうじゃったな!」
「で?探るか?」
「ああ、頼めるか?」
新が隣りにいる男に、目配せした。
「さっきの女、追ってくれ。ただ、深追いはするな……」
こくん、と、男は頷くと、女を追って人混みの中に姿を消す。
「なあ、髭モジャよ、あれ、を、わざわざ狙ったってことは、こっちの手が、バレてるってことじゃねぇのか?」
「うーん、それもじゃが、もう、近くにいる、と、いうことじゃろう」
正門を陣取る、牛の、若、が、モォーと、鳴いた。
「あー、野次馬め、何か、若に、悪さしてるんじゃぁなかろうか?若、が心配じゃー」
「髭モジャよ、悪さ、されそうなのは、こっち、だろうが!」
牛を心配する髭モジャに、新が、渇を入れた。
そして──。
「おかしいですね。返事が、ないなんて……」
橘達は、水瓶を覗きこみ、首を傾げていた。
「お前様!!」
「髭モジャ!!」
「おーい、おっちゃんよー!」
何度、呼びかけても、髭モジャからの返事は無かった。
「橘様。髭モジャ殿に、何かあったのでは?」
常春《つねはる》が言ったとたん、ワハハハと、大勢の笑い声が、外から流れて来る。
「ああ、表は、上手く行っているみたいですね。それで、うちの人も、返事が出来ないのかも……。上野様、いえ、紗奈《さな》!表へ行きますよ!もっと、騒ぎを起こしましょう!」
橘が、言った。
いたずらっ子のような顔をして、少しばかり、嬉しげに……。