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翌日の日曜日。
私は勇伸さんから指定されたお好み焼き屋さんにいた。
「すみません、急にお呼び立てして」
「いえ。俺も連絡しようと思っていたので」
ぎこちない挨拶。
二週間振りに会った恋人の会話ではない。
勇伸さんはB5サイズのラミネートされたメニューを私に見せた。
「話の前に、お好み焼きの具を選びましょう」
「え? あ、はい」
「定番の豚玉に好きなものをトッピングするのがいいですね」と言いながら、彼が眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「俺のおススメはイカ、エビ、チーズですね」
「じゃあ、それで――」
「――辛い方が良ければ、キムチもいいかと」
「え? はぁ」
「どっちも入れると言った知り合いがいますが、俺としてはキムチとチーズはどちらかにした方が味にまとまりが出ると思います。キムチの場合は、ソースやマヨネーズがなくてもいいと思います。どちらかと言えば、マヨネーズを少量は有りかと思いますが。あ! それから、キムチを選ばれた場合、竹輪もお勧めです。もちろん――」
「――あのっ!」
勇伸さんが話に夢中で、このままでは具を決めるのに何十分かかるかわからないと思い、口を挟んだ。
「豚玉にイカとキムチと竹輪のトッピングでお願いします」
「わかりました。では、俺はチーズとベーコンとコーンのトッピングにします」
注文から五分ほどで手の平サイズのボウルに入った具が届けられた。
私と勇伸さんはそれぞれ具を混ぜ合わせる。
休日の昼時とあって、座敷には二組の家族連れが座っている。小学生の男の子が二人いる四人家族と、小学生の女の子、幼稚園児らしい男の子、ベビーチェアに座った、恐らく女の子がいる五人家族。
椅子席には二十代のカップルと、六十代くらいの夫婦が座っている。
私と勇伸さんは、一番隅の椅子席に座っていた。
「――飲み会は楽しかったですか?」
黙々と具を混ぜていた私は、勇伸さんの問いに顔を上げた。
「え?」
「前に会った時、飲み会の話をしていましたよね」
「あ、ああ、はい」
「楽しかったですか?」
「楽しい……というか、それぞれ、色んな報告があって、ドタバタでした」
飲み会、クリスマスプレゼント選び、麻衣とのお喋り。この二週間はなんだかひどく疲れた。
「どんな報告か、聞いてもいいですか?」と言いながら、勇伸さんが私のボウルを引き取る。
熱い鉄板の上に、綺麗に円になるように落とす。ジューッと、いかにも美味しそうな音がする。
「仲間内で結婚した二人に、二人目の子供が出来たんです。悪阻で奥さんの方は来られなかったんですけど。最近まで二人目不妊で悩んでいたので、みんな嬉しくって」
「そうですか」
何気なく言ったけれど、無精子症の勇伸さんに子供の話は無神経だったかなと思った。
けれど、勇伸さんは表情を変えず、自分の具を鉄板に広げている。
「あと、ホテル勤務の友達はイギリスに転勤になったと」
「イギリスですか。余程優秀なんでしょうね」
「はい。数年後に帰国した時は支配人になれそうだと言っていました」
「それはすごい」
「はい」
「あきらさんは海外に行ったことはありますか?」
「いえ、ありません」
「そうですか」
プツッと会話が途切れ、同時に子供の泣き声が店内に響いた。
幼稚園児の男の子。
火傷をしたのか、手を押さえている。母親がおしぼりでその手を包んだ。店員がバタバタと冷えたおしぼりを持って行く。
「もうっ! 手を出しちゃダメって言ったでしょ!!」
母親が苛立たし気に叱ったが、子供は痛みでそれどころではない。見た感じ、さほどの怪我ではなさそうだが、子供にしてみれば突然の痛みに驚いたこともあり、なかなか泣き止まない。
「会えない間、少しでも俺のことを考えてくれていましたか?」
子供に気を取られていた私は、勇伸さんの言葉にハッとして向き直った。
聞こえてはいたけれど、よく意味がわからなかった。
「え?」
「俺は、仕事の合間にたまに、あなたのことを考えました」
慣れた手つきでお好み焼きをひっくり返す。両手の力加減が絶妙で、垂直に鉄板に着地した。
「考えないようにしようと仕事に集中したら、考えずに済んだ」
彼が何を言いたいのかわからず、私は焼き目のついたお好み焼きを見つめていた。
「正直に言って、会う時間を作ろうと思えば作れました。けれど、俺はそうしなかった。ホテルでの事で気まずかったと言えばそうなのですが、それ以前に、あなたより論文を優先したかった」
勇伸さんの言わんとすることがよく分からない。
いや、言っている意味は分かる。
けれど、私にどう捉えて欲しいのかがわからない。
「そうした俺を、あきらさんはどう思いますか?」
この問いで、何かわかった気がした。
私に聞くまでもなく、答えは出ている。
それが正しいのか、私の判定を待っているのではないか。
「……正直に言っていいですか?」
「はい」
「勇伸さんは仕事が好きで、誇りを持っているんだなと思いました」
「はい」
眼鏡越しに勇伸さんが私を見つめる。
私も、見つめた。
私と勇伸さんは、最初からこうだった。
正直に、気取った台詞なんかじゃなく、時には誤解を招きそうな言葉でも、思ったままを伝えてきた。
だから、最後までそうあるべきだ。
「それから――」
「――今の俺には、女性との交際は無理です」
私の言葉を遮って、彼が言った。
「同じ悩みを抱えた者同士であれば幸せになれると思いましたが、間違いでした」
「……」
「俺の幸せはあなたじゃなかった」
私は、最低だ。
こんな酷い言葉に、何も感じない。
それどころか、ホッとしている。
「すみません。俺から提案した関係なのに」と言って、勇伸さんが頭を下げた。
一瞬、おでこが鉄板に触れるのではないかと焦った。
それから、こんな状況でそんなことを考えている自分が、つくづく最低だと思った。
「こうして、勇伸さんとランチしてお喋りするの、楽しかったです」
勇伸さんが頭を上げ、それから慌ててヘラを持った。
別れ話の最中にもお好み焼きが気になるなんて、普通ならビンタの一発でも食らっているだろう。
けれど、私は怒りなど感じない。
「今日は、どうしてお好み焼きだったんですか?」
「え? ああ。ご馳走すると約束しましたから。最後に、俺の作ったお好み焼きを食べて欲しくて」
「ホントに、上手ですね」
勇伸さんの頬がピクピクッと動いたのは、きっと見間違いじゃない。
照れてる……?
「さ、出来ました。食べましょう」
勇伸さんは鉄板の上でお好み焼きを切り分け、私の皿に載せてくれた。
「折角なので、半分ずつにしませんか? 私、チーズも食べてみたいです」
「いいですね。あ、チーズの方はマヨネーズなしで食べるのをお勧めします。チーズとマヨネーズの酸味が混じると――」
「――わかりました。マヨなしで」
私はまたも彼の熱弁を遮って、割り箸を割った。それを、勇伸さんに渡す。
「ありがとうございます」
何度か一緒に食事をして、勇伸さんが割り箸を綺麗に割れないことは知っていた。
お好み焼きをひっくり返す力加減は絶妙なのに――。
数少ない、私が勇伸さんについて知っていること。
いつの間にか、火傷をした子供は泣き止んでいた。まだおしぼりで手を押さえているから、母親に焼きそばを食べさせてもらっていた。
私と勇伸さんは、焼きそばも頼めば良かったかな、なんて話をしながら、頼まずに食事を終えた。
店を出て、私が勇伸さんにお好み焼きのお礼を言うと、勇伸さんはとても嬉しそうに笑った。
「あきらさんの幸せを願っています」
そう言って背を向けた勇伸さんの首にマフラーはなくて、あの時迷ったマフラーをプレゼントすれば良かったかな、なんて思った。