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クリスマス前日。
私は二つの包みを前に、正座していた。
どうするよ、これ……。
部屋の壁に沿って並んでいるのは、段ボールの数々。
私は明日、引っ越しをする。
引っ越しをしようと思い立ったのには様々な理由があったが、最終的に決断に至ったのはひと月前に越してきた隣人だった。
「ああっ……ん! あっ!! そこっ!」
始まった――。
午後十時頃。
ほぼ毎晩と言っていい頻度で、聞こえ始める女の嬌声。
「あっ! イクッ!! イクイクッ!」
早いな……。
とにかくお盛んだ。
引っ越しの挨拶もないし、家を出る時間が違うらしくて顔を見たことは一度もない。
だから、私が知っているお隣さんについての情報は、お盛んだ、ということだけ。
住んでいるのが男性なのか女性なのか、二人なのかもわからない。
が、とにかくお盛んなのだ。
平日は夜十時頃から、休日は規則性なくおっ始める。
一週間ほど耳を塞いで耐えたが、八日目には不動産屋を訪ね、契約して帰ってアパートの管理会社に退去を告げた。
ちょっとずつ片付けを始め、明日の朝、今着ているパジャマや化粧品なんかをバッグに詰めたら、出て行ける。
けど、これ……。
龍也に買ったクリスマスプレゼント。
持って行くのも……、なぁ。
はぁ、とため息をつき、嬌声が続く壁に視線を向けた。
「いいっ! あっっ! そこそこ!!」
なんて大胆で素直な女性だろう。
私に、彼女の百分の一ほどの素直さがあれば、せめて勇伸さんと別れたことを伝えることが出来たのかもしれない。
そう。
私は勇伸さんと別れたことを龍也に伝えていない。
当然、私の気持ちも、引っ越すことも。
今更……。
細長い包みを、それより大きな包みの上に載せ、まとめて黒く光沢がかった紙袋に入れた。
仕方ない……。
まだ封をしていない段ボール蓋を開け、袋を横たえる。
それから、無意識にだがため息をつこうと大きく息を吸い込んだ。
ピーンポーン
思わず吸い込んだ息を止めた。
こんな時間にインターホンを鳴らす人間に心当たりがない。今は。
まさか……。
ゆっくりと立ち上がり、インターホンのモニターを見る。
やっぱり……。
龍也だ。
私は部屋を見回し、少し考えた。
玄関ドアを開ければ、どうしても段ボールが目に入る。
ピーンポーン
カーテンを閉めていても、外からは部屋の明かりがついているかくらいはわかる。
私は、ようやく息を吐いた。
玄関ドアの鍵を回し、ドアを開けた。顔半分ほど。
「よっ」
鼻の頭を赤くして、白い息を吐きながら、龍也が笑う。
龍也と会うのは忘年会以来だ。
「こんな時間にどうしたの?」
「来るの迷ってたら遅くなった」
龍也はじっと私の顔を見て、ダウンジャケットのポケットから細長い包みを取り出した。
「クリスマスプレゼント」
「え――?」
「明日のイヴは……彼氏と会うだろ? だから、今日のうちに渡したくて」
何でもないことのように笑ったが、龍也にとって何でもないことではないと知っている。
「今年は、友達としてじゃない。惚れた女を口説くためのアイテムだから」
「そんなことを言われたら――」
――受け取れないじゃない。
私の気持ちを見透かしたように、龍也はにゅっと手を伸ばすと、靴箱の上にポイッと放り投げた。
「重かったら捨てていい」
「そんな――」
箱に手を伸ばした時、私の手を離れたドアが風に煽られた。ドアのすぐそばに立っている龍也にぶつかりそうになり、彼は素早く受け止めた。
大きく開かれた玄関ドアから、室内に積み上げられた段ボールは丸見えで。龍也が目を見開く。
「引っ……越すのか?」
「……うん」
「どこへ……」
「……」
私は引っ込みがつかなくなった手に箱を握り、冷たい風に身震いした。
「寒いから……」
そう言うと、龍也は玄関に足を踏み入れ、後ろ手にドアを閉めた。
別れを告げた日が思い出され、私は身構えた。
「いつ、引っ越すの?」
「明日……」
顔を見なくても、龍也が驚き、傷ついているのがわかってしまう。俯く私の視線の先に見える彼の手が、ギュッと握られたから。拳がくっきりと浮き出るほど強く。
「彼氏と暮らす……とか?」
「それは――」
私を諦めさせたいのなら、頷くだけでいい。
けれど、思うように首が動いてくれない。
『どうせ苦しいなら、好きな人と一緒がいいよ』
麻衣の言葉を思い出す。
私が独りの夜に想うのは、龍也しかいないんだから――!
意を決して顔を上げた。
「龍也、私――」
「ああっ! キモチいいっ!! もっとぉ――」
水を差すどころか、バケツの水を思いっきり頭から浴びせられたように、空気が冷えた。
「やんやんっ! イクゥ」
私と龍也は見合ったまま、だけど視線は泳いでいた。
「隣、入ったのか?」
龍也が私の部屋に入り浸っていた頃は、隣は空き部屋だった。当然、私たちが隣を気にして声を潜めることもなかった。
「う……ん」
「壁、こんなに薄かったんだな」
「そうなの」
自分の嬌声を聞かれているように、恥ずかしくなる。
こうしている間も、女の喘ぎ声とベッドの軋む音が聞こえている。
「ぷっ――!」
龍也が手を口に当て、笑い出す。
「ちょっと! 笑い事じゃないんだから!!」
「悪い。けど、だって、これは――薄すぎだろ」
「コレのせいでゆっくり眠れないのよ!? 引っ越したくもなるでしょ?!」
「確かに、な」
龍也は目尻の涙を人差し指で拭う。
「運よく角部屋に入れるし、明日からはぐっすり眠れそうだわっ!」
「そうか」
「同じ1LDKでも、今より少し広めだし、オートロックもついてるし、駅から徒歩八分だし、女の独り暮らしには十分でしょ」
龍也は少し目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
「オートロックは大事だよな」
こんな風にしか龍也を安心させてあげられない、素直になれない自分が嫌だ。
「あきら」
そおっと抱き締められ、ダウンの冷たさに身体中の毛が逆立つ。