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翌日、月曜日。
僕はいつものように、家の手伝いで店の前の道を掃き掃除していた。
ホウキと塵取りを手に、片っ端から路上のごみをかき集めていると、
「おはよう、ハルト君」
声を掛けられ顔を向ければ、そこにはスーツ姿の潮見さんの姿があって、
「おはようございます。体調、よくなったみたいですね」
僕が言うと、潮見さんはすっかり元気を取り戻したような笑みで、
「うん、急にね。昨日まであれだけあった倦怠感が、一気に吹き飛んだ感じだよ。と言っても、まだちょっと体が重たいような感じはするけど」
「あんまり無理して、ぶり返さないようにしてくださいね」
「ありがとう。それじゃぁ、私はいってくるよ」
「はい、いってらっしゃい!」
潮見さんは手を振り、以前と変わらない様子で大通りの方へと去っていった。
そんな潮見さんと同じように、あれだけ気怠そうに店の前を歩いていた近所の人たちの足取りも軽く、俯くようにしていたあの頃とは全く異なり、みんな前を向いて大通りや駅の方へ向かっていく。
どうやら、本当に『無気力症候群』は解決したらしい。
昨日まで道行く人々に感じていた不気味さはどこへやら。僕のよく知る日常の姿がそこにはあって、ほっと安堵の息を漏らした。
まさか『魔法』とか『魔力』とか『魔女』とか、そんなわけのわからないものに関わることになるなんて思いもしなかった。
坂の上の魔女が本当に魔女だっただなんて今でも信じられないし、潮見さんの娘――潮見芽衣がその弟子だっただなんて、想像もできなかった。
おまけに潮見芽衣の飼い猫だと思っていたルナは喋り出すし、この一週間で僕の中の現実は、百八十度変わってしまったような感覚だった。
それだけじゃない。
昨日、僕たちの目の前に現れた、あの龍だって――
「おはよー、天満」
「うわっ!」
思わず驚いて、慌てて後ろを振り向けば、
「……なによ、なんでそんなにびっくりしてんのよ」
ルナを胸に抱えた、潮見芽衣がそこに立っていた。
その隣には真帆さんの姿もあって、
「皆さん、元気を取り戻されたみたいですね」
道行く人たちの様子に、満足げにそう口にした。
そんなふたりに、僕は胸を撫でおろしながら、
「お、おはよう。昨日の龍は? どうなったの?」
昨日、僕らの前に現れた龍。
あの大きな体の、恐ろしい牙を生やした化け物は、真帆さんたち曰く、魔力に惹かれて海まで出てきたのはいいものの、帰り道を見失って迷子になってしまっていたらしい。
あれだけの巨体を誇りながら、もともと龍の気性は穏やかで臆病らしく、ああして僕らの前に頭をもたげて出てきたのも、ふたりの魔女の気配に気づいて助けを求めてきたためなのだそうだ。
あのあと、真帆さんと潮見はふたりで龍を巣のある山奥の滝まで案内すると言って、僕らを先に家に帰した。
いったいどこの滝に住んでいるのか知らないけれど、気性が穏やかで大人しいというのなら、いつかあの龍のところまで尋ねてみるのも良いかも知れない。
「ちゃんと送り届けてきたよ」
潮見は言って、ルナの頭を撫でながら、
「そこそこ山奥の方だったの。ミツギの辺りまで行ったんじゃないかなぁ。あそこには隠された大きな滝があってさ。昔は虹取りの人がしょっちゅう虹を取りに行くくらい魔力に溢れていたらしいんだけど、今ではあんまり虹も取れなくなっちゃって、それで龍もこっちまで下ってきたみたい」
「虹って――そうか、虹色ラムネの原料だっけ」
虹色ラムネには少量の虹が含まれている。虹は魔力そのものだから、その魔力が少なくなってしまったために、龍も魔力を求めて、ということか。
「でも、そんなところに龍を戻しても大丈夫だったのか? だって、魔力が少ないってことでしょ?」
「大丈夫ですよ」
と笑顔で答えたのは真帆さんだった。
「虹が取れなくなっただけで、まだまだ魔力は豊富のようでしたから。今回はたまたま、魔力の匂いに惹かれてしまったらしいです。あの龍も、今後は気を付けると言っていたので」
「……言ってたんだ」
「はい。ずいぶん反省されているようでした」
反省している龍の姿を想像して、思わず笑いが噴き出しそうになる。
これまで僕が想像していた龍は、気性の荒い暴れん坊って感じだったけれど、どうやら現実はそうでもないらしい。それはそれで、何とも親しみがあるかも知れない。
「まぁ、でも、これで解決したみたいで本当に良かったです!」
真帆さんは嬉しそうに両手を打ち鳴らして、
「ようやく私もおうちに帰れます! 家族には寂しい思いをさせてしまいましたから」
「確かに、一週間もいなかったら心配でしょうね」
僕が何気なく口にすると、真帆さんは、
「もう、会いたくて会いたくて仕方がありません!」
自分の身体を抱きしめるように腕を回してそう言った。
「可愛い娘に、色々とお土産も買ってあげましたからね。早く見せてあげたいです!」
「へぇ、そんなにお土産を――ん? 娘?」
僕は真帆さんの姿を上から下まで何度も見直して、首を傾げる。
最初会った時から、てっきり大学生くらいだと思っていたんだけれど……あれ? 真帆さん、そもそもいったい何歳なんだ? 見た目が若すぎて、実年齢が全然想像できない。
すると真帆さんは大きく頷いて、
「はい、十歳になる娘がいます。私に似て、とっても可愛いんですよ!」
「じ、十歳の、娘?」
十歳、ってことは、僕が今年十四歳になるわけで、その娘さんとは三つ四つしか歳が変わらないところから考えると、真帆さん、もしかしてうちの母親とそんなに歳が違わないかもしれないってこと?
そうなると、少なくとも三十歳前後ってことになるわけで、もしかしたら四十歳近い可能性も――
「……美魔女」
思わずそんな言葉が口から漏れて、それを聞き逃さなかった真帆さんは「ぷぷっ」と噴き出すように笑ってから、
「だから、言ってるじゃないですか、私は魔女だって!」
いやいやいや、確かに言ってたけれども!
まさかそんな年上だっただなんて、いったい誰が思うっていうんだよ!
唖然とそんな真帆さんを見つめていると、
「ま、真帆さん!」
道の向こう側から、大きな声が聞こえてきた。
見れば、血相を変えた表情の陽葵がこちらに駆けてくるところで、
「――ミナトが! ミナトが!」
泣きそうな声で、真帆さんの身体に縋りついた。
「ミナトの体調が戻らないの!」
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