森の中は、恐ろしいほど静かで、湿ったにおいが立ち込めていた。
歩きにくいけもの道を進みながら、先を行く黄金色を追って僕はどうにか足を進める。途中で立ち止まって、振り返り、アルフレートは「大丈夫?」と心配そうに眉を下げる。正直、昨日のこともあって疲労がたまっていた。けれど、ついていくといった手前でそんな弱音は吐けないと「大丈夫だよ」と返すことで精いっぱいだった。本当に情けない。帰ったら筋トレを始めようかな。
そんなことを思いながら、僕はたくましくも寂しい背中に話しかけた。
「アルはさ……昨日みたいなこと、日常茶飯事だったの?」
「うん? ああ、魔物のこと? まあ、そうだね。最近はそうでもなかったけど、魔物の襲撃はよくあることだったよ」
「そのたび、怪我を?」
僕がそう聞くと、アルフレートは「そうだったかなあ……」と曖昧に返した。それは、はぐらかしたという感じではなく、単純に覚えていないようにも思う。
彼に限ってそんなことあるのだろうか。たくさんの加護を持っているなら、記憶を人より多く保持できる加護とかありそうなところだが。
(何よりも、あの傷……)
もうすっかり、狼の魔物に襲われたところは完治していたが、彼があの鋭い爪に抉られたところを僕は見てしまった。躊躇なく、僕と魔物の間に入り込んできて、その攻撃を正面から受け止めた。そして、痛みなど何のことだといわんばかりに剣をふるって。でも、その腕は見るもえげつないほど抉れていて。骨が見えたのを思い出して吐きそうになった。
「傷の治りは早いんだ。それは、勇者の加護で。少しでも長く戦えるようにって、身体が勝手にね。だから、あれくらいの傷勝手にふさがるよ」
「でも、不老不死じゃないんでしょ。だから、死ぬときは死ぬって……もし、致命傷だったら?」
「そんなへまはしないよ。少なくとも、テオの前では」
と、アルフレートは笑っていった。冗談でも何でもないんだろうけど、僕は笑えなくて、背負っていたリュックをきゅっと握る。
どうして笑っていられるのかわからない。普通だったら、痛いし、怖いのに。その感情が彼にはないように思える。
「痛くないの?」
「痛くないよ、それも加護で」
「怖くは?」
「怖い……怖くもないね。慣れてるし」
「………………アル」
異常だよ、と言いかけて口を閉じる。
僕の知っているアルフレートは、少なくとも七歳だったただのアルフレートは年の割にしっかりしていて、人前ではなかなかったけど、擦り傷が直るのが遅くて、消毒に涙を流してわんわん泣いちゃうような子供だったはずだ。大人になったから、痛みに耐性ができたにしてもあまりにも。そもそも、人間にあるはずの恐怖感情も抜け落ちているのが何とも言えない。
それも、勇者の加護でなのだろうか。
(勇者の加護って何……? 他の加護もそうだけど、何でアルは)
ゲームではそんなことなかった。加護だって、二桁に達していなかったし。いや、シナリオとか、進め方次第で、また追加コンテンツで得られるものはあったけど。アルフレートは正義感が強くて、でもしっかりなくし、痛がるし、怖いという感情もあった勇者だった。けれど、今目の前にいる勇者はそれを一切感じていないようだった。
勇者の加護。それは、ゲームの中と一緒のはずなのに。
「アルはさ、そのことについて旅の仲間から何も言われないの?」
「仲間……?」
「ほら、わかんないけど、聖女様とか、亡国の騎士とか、盗賊とか……仲間、いたんじゃないの?」
この間は彼が踏み込んでほしくないだろうと避けていた質問だったが、どうしても気になってしまってつい聞いてしまったのだ。すると、そこまで歩いていたアルフレートは足を止めて緩く拳を握る。
アルフレートは旅の仲間を置いて、学園に来たんじゃないのだろうか。
ゲームではそうだったから必ずしもそうだとは言えない。けど、明らかにおかしいのだ。それだけはわかった。
彼はしばらく黙った後「仲間?」と再度口にして、それからこちらを見た。ラピスラズリの瞳には光がともっていない。
「仲間……ごめん、テオには言ってなかったんだけどさ。俺は一人で旅をしてたんだよ」
「え……」
「なんかずっと、テオが仲間は? とか旅は、とか言ってて。いろいろ心配してくれてるのかなーって思って、話さなかったんだけど。俺はずっと一人だったよ」
「でも、え、本当に?」
こくりと、うなずいて、アルフレートは僕のほうへ歩いてくる。ザクザクと地面を踏みしめて、目の前まで来ると、いつも感じていた身長差よりも大きく感じてしまう。
(アルは、ずっと一人で?)
確証がなかったから突っ込まなかっただけで、実際そうかも知れないとうすうす気づいていた。でも、彼の口からそれを言われると、悲壮感というか、寂しさが伝わってきて、なおダメだった。
ゲーム内では、仲間に囲まれ、仲間の力を借りて戦っていたアルフレート。でも、目の前にいる彼はずっと一人で戦ってきたのだ。僕と離れてから十一年間。ずっと一人で。
彼は、時々さみしさを見せたが、それを前面に出すことはなかった。それは、彼が強いからじゃなくて、慣れてしまっているから。または、それらを感じる感情を加護のせいで制限されているからではないかと。
だから一人でやっていけた? そんなのは、違うと思う。
僕の頬を愛おしそうに撫でるアルフレートは「黙っててごめんね」と謝ってきた。謝ることなんて一つもなくて、むしろ、何も気づかず、勝手に仲間とか、旅を再会しなくちゃねとか思っていた僕のほうがよっぽどひどい。謝らせてほしい。
「アルは、ずっと一人で?」
「うん、十一年間ずっと……でも、テオのこと思ったら、隣にいる気がして。だから、やっていけた。それに、一人で倒せるなら、人を巻き込む必要がないからね」
「一人で、っていったのはアルが?」
「そうだね。いや、どうだったかな。もう、昔のこと過ぎて忘れちゃったよ」
と、アルフレートいうと頬をかいていた。重要なことなのに、それすらもどうでもいいと思ってしまうんだ。
でも、本当に何で?
そればかりが疑問として残り、もやもやと胸の中心を回っている。何が違う、何でゲームと違う? アルフレートがなんで一人で抱え込んでいるの?
そんな疑問を胸に抱いていることに気づいたのか、それともまぐれか、アルフレートはそういえば、と話をつなげた。
「テオとね、離れたあの十一年前、馬車に乗っているときにね、急に変な声が聞こえてきたんだ。今まで聞いたことのない、なんか、ガサっとしたようなキーンとしたような」
身振り手振りを使いながらアルフレートは教えてくれる。それは、加護なんじゃないかと僕がいえば、彼は首を横に振った。加護を授かるときは、周りに暖かな光が飛ぶだけで特別何かが語り掛けてくることはないらしいと。僕は、加護を授かったことがないので何とも言えないが、数えきれないほど加護を持つ彼がいうのだから正しいのだろう。
じゃあ、何の声なのか。
「頭に直接響いてきたんだ。誰も聞こえないみたいだった。確かね『|転生者《イレギュラー》によりストーリーにバグが生じました。今より新たな分岐ルート、ストーリーの修復を始めます』……だったかな。女性とも男性とも取れる声だったよ。それ以降聞いてないけど」
「……っ」
それを聞いた瞬間きゅっと胃がすぼまる思いをした。
その|転生者《イレギュラー》というのは、僕のことを指しているのではないかと思ったからだ。アルフレートはその後もその声とともに、ありえない数の加護を一気に授かったと教えてくれた。ゲーム序盤で、さすがれる加護は勇者の加護以外ない。だから、それはゲームのストーリー上ありえないことだ。しかし、|転生者《僕》の存在によってゲームの趣旨が変わったとするのであれば、ありえなくもない……と。
(アルがおかしくなったのは僕のせい?)
はじめから、アルフレートはおかしくない。おかしくさせられたわけでもない。
ただ、どういうルートなのか、ストーリー展開になるのか、|転生者《僕》のせいでねじ曲がったストーリーに沿うために、アルフレートは最強になったのだ。それはまるで、仲間と絆をはぐくむことを中心としたストーリーではなく、一人で戦い一人のために尽くすための物語のようにも思える。
その一人に尽くすというのを自分に当てはめるのは暴論すぎるし、恥ずかしいが、仮説としては立てられる。
一人で何でもできる最強勇者が出来上がってしまった。たった一人の|転生者《幼馴染A》のせいで――といったところか。
ようやく、つじつまが合うような気がした。僕の前世の記憶にあるアルフレートと、今目の前にいる幼馴染で恋人のアルフレート・エルフォルクは別人であると。都合のいい解釈をするのであれば、僕がために変わった仕様となったアルフレート。僕のためだけのアルフレートになってしまったのではないかと。
(でも、僕は何もしてない……よね)
僕が転生者であることがイレギュラーなのだろか。でも、アルフレートが村を出ていったあと、貴族に引き取られて……それも、物語的にはおかしかったのだろうか。如何せん、自分の存在というのは幼馴染A、モブA。故郷が燃やされるイベントで死ぬはずの、アルフレートの同郷のもの……だとばかり思っていたから。貴族に引き取られるのは、ストーリー上あったのかもしれない。そして、里帰り時に死ぬ、とか。
でも、ただのモブAから脱却してしまったら?
(……ああ、そうか。僕は、あの日、アルと約束したんだ)
きっとモブAならしないアクション。それは、一週間後に王都へ勇者として旅立ってしまうアルフレートに話しかけに行ったこと。蜂蜜くるみデニッシュを一緒に食べて、夜に約束を交わしたこと。そして、出発時にキスを交わして、約束したこと。これが、イレギュラーなんだ。
僕がもしあの時、何もしなければ、ただの幼馴染として当たり障りのないことをしていれば変わらなかった物語。
今、彼が苦しんでいるのは僕のせい?
「テオ、どうしたの?」
「……っ、ごめん。ごめん、アル」
「ええ、どうして、謝るの? そんな、悲しそうな顔しないで、テオ。俺がいるから」
おろおろと泣きそうになった僕の身体を支えるアルフレート。大丈夫と声をかけながら優しく背中を撫でてくれる。優しい、幼馴染。
そんな優しい彼に、このことは絶対に話せないと思った。そもそも、転生者であることも言う必要もないし、理解してもらえないだろう。言ったら言ったで、何かしらの形で彼は理解してくれるかもしれない。でも、変わらない。
胃にたまっていたものが逆流してくる感覚になる。目の前がクラりと歪んで立っていられない。頭を両側からプレスされるような頭痛がやってくる。具合が悪いのなんてすぐにわかったが、理由もわかっているためどうしようもなかった。
ここまで来てしまった物語は修正不可能だろう。
これは、勇者が仲間と旅をして世界を救う物語から外れてしまっているのだから。勇者が幼馴染のために世界を救う物語になってしまっていてもおかしくない。それで、旅じゃなくて学園生活になっているし。
「本当に大丈夫、テオ?」
「うん。アル、は?」
「俺? 俺は何ともないよ。だから、心配だよ。テオ、顔色がよくないよ」
リュックから飲み水を取り出して、アルフレートはゆっくりと僕を座らせる。汚れないようにと自分の膝の上に僕を座らせて、少し斜めに体を傾けて、僕の口に水を流し込む。乾いたのどは潤っていくけれど、食道が締まってしまったようで、むせこんでしまう。
「テオ」
「……アル、が、一人で頑張ってきたこと、知らなかった。ううん、頑張ってきたことは知ってた。でも、でも、アルがずっと独りぼっちだったこと知らなかった」
仲間がいると思ってた。アルフレートを僕の代わりに支えてくれる誰かがいると思っていた。
でも実際にはいなかったし、感情も痛みも少なからず人間らしい部分を加護と修正された物語によって奪われてしまったアルフレート。本人は自覚なくとも、こちらの罪悪感はすごかった。
ただの幼馴染Aで満足していれば、約束をしていなければこうはならなかったのだろうか。
アルフレートが一人傷付く世界にならなかったのだろうか。
大切な幼馴染とかわした約束は、その後の彼の人生を蝕む呪いへと変わってしまった。
どう考えてももう遅いのだが。
「大丈夫だよ、テオ。テオは優しいね。ずっと変わらないでいてくれた。ずっと待っててくれたから。俺はちゃんと勇者をやってこれたんだよ。もう俺は、一人ぼっちじゃないよ」
「アル……」
「今はさみしくないから。テオがいるからね。だから、泣き止んで?」
いつの間にか流れていた涙をそっと彼は指で拭う。刹那、ぽろぽろと決壊した涙腺は、とまらぬ涙をあふれさせた。
また目の前に困った顔になったアルフレートが現れる。そんな顔じゃなくて笑っていてほしい。通常よりもはるかに背負わされた勇者という責任から解放されて、いつかまたあの子供時代のただのアルフレートとして笑ってほしい。それが、今の僕の願い。
「ありがとう、アル。僕はこれからもずっとそばにいるよ。アルを一人にしないよ。だから、悲しくないよ」
「ありがとう、テオ。大事にするね」
頭の中からランベルトの捜索は一時的に消えていた。
知ってしまった事実に、かえられない現状に嘆きつつも、これからどうするか少しずつ頭が切り替わっていく。
僕のせいだとそう自分で思うのなら、これからできることを探さなければならない。アルフレートから離れない、一人にしない。
本当は強がってるだけの一人ぼっちの勇者を、一人にしない支えられる人間になりたいとそう思ったのだ。
(アル、ごめんね。ずっと寂しい思いをさせて。もう、大丈夫……もう、僕がずっと一緒にいるから)
勝手に死がふたりを分かつまでなんて胸の中で唱えて、僕に触れるアルフレートの手に、自分の手を重ねる。触れたところは温かくて、気持ちも少しだけ軽くなる。僕にとって、彼は宝物だ。好きな人。
彼が僕を守りたいというように、僕も彼の心を守りたい。非力だけど、何もできないかもだけど。それでも、痛みを忘れた、怖さを忘れた彼の心でありたいと思う。
そう、また心の中で覚悟して、彼の手をぎゅっと握ったのだった。
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